徳永の大和古寺風物見聞誌

私の二十代

私の職業上の二十代は住友銀行本店外国部と本店営業部外国為替課であったが、今考えれば豊穣なサラリーマン人生のひとときであった。
来客のない本店非営業店であり、時間にゆとりのある勤務、三時には女性が茶菓を毎日配ってくれた。昼食時には、大阪は中ノ島の大川、淀屋橋と肥後橋の間の土佐堀通りにある住友村の中心の住友銀行本店と対岸の日銀大阪支店横には土手があり若い我々は女子行員も交えて土手の芝生で雑談に興じた。また日銀大阪支店横に浮かぶ(しば)(とう)とよぶ料理屋も使用した。優雅なものである。

激甚な競争に没入するのは支店配属されて外国関係から取引先課になってから昭和40
年代の30才代であった。

11時半になると本店最上階にある所謂高等官食堂にも総務部法規係の親友先輩・東大司法官試験合格の四つ柳浩氏と出入りしていたものだ。
土曜日など、淀屋橋から上本町七丁目の独身寮まで御堂筋を南下して難波を通過し上町台を登り、徒歩2時間で帰寮していたのだ。
日曜日など先輩諸氏南壮郎氏、川口氏らと琵琶湖にヨットをしに出かけていたのである。
先輩諸氏も旧制高等学校気質のままで気楽であった。