東洋思想十講義 安岡正篤 人生と茶 淡と無

安岡正篤先生が、住友銀行の主管者(しゅかんじゃ)(住友銀行では経営者の謂いであり部・支店長の事)に対して十回に亘り講話された事がある。時は昭和51年から52年にかけてであった。安岡先生の高弟である岩沢正二副頭取の時であった。その全講話記録を開陳する。
                  平成248月吉日 徳永岫雲斎圀典

平成25年10月

1日 人生と茶
 淡と無

つい先日のことでありますが、私は挨拶を頼まれて或る結婚式に出席しました。そして宴会の後で久し振りに会った知人の老夫婦としばらく話をしました。

2日 とんでもない

その時に、「ああいう若夫婦は羨ましい」ということから、その老友が「我々夫婦のようになると、もう茶飲み友達のようなもので、まことにはかないものです」と言うのです。そこで私は、ごく親しい仲ですから「それは違う。あなたは、とんでもないことを言う。 

3日

成る程、あの若夫婦は今は幸福で一杯だろうが、これから先、どんな苦労があるかわからない。そこへゆくと、我々茶飲み友達のような老夫婦は・・・」と言うて自慢すらするのなら話はわかるが、あなたの言うのは全く逆だ」と申しましたら、「それは叉どういうわけか」と訊ねますので、私は茶飲み友達という語について一通り説明致しました。

4日 深い味わい

そもそも茶というものは、一面において哲学であると同時に、これは科学でありまして、茶飲み友達と言う語は、深遠というか醍醐味というか、まことに意味の深い味わいのある語であります。我々が今楽しんでいるいわゆる茶道、薄茶だの濃茶だのというようなものは、これは後になって発達したもので、それは以前の茶は薬、薬茶でありました。そのさい、その茶を()てる、茶をだすと言う時に、先ず注意すべきことは湯加減とよい茶を択ぶということであります。湯加減をおろそかにすると、折角の茶を殺してしまいます。

5日

また茶はなるべく上質のものを使うことが大切です。処が本当のよい茶というものはなかなか手にはいりません。もう十数年も前のことですが、私は静岡へ茶畑を見に行ったことがあります。その時に聞いた話でありますが、当時静岡で茶をつくっている家が約三千軒ある中で、本当によい茶をとるのは十軒ぐらいしかないということでありました。

6日 良い茶

そして良い茶を取るには、第一に塵埃がない所というのが絶対条件で、それもなるべく川のほとりで、太陽が昇るに従って朝霧が晴れてゆくような土地がよい。肥料も化学的なものはできるだけ使わない。こういうことを言うておりましたが、まあ、栽培法はともかくとして、出来るだけよい茶を択んで、それを程よい湯加減で煎じるわけです。その煎じる時に凡そ三つの段階があります。

7日 甘味
苦味
渋味

先ず第一煎で茶の中に含まっている糖分即ち甘味を出す。第二煎で茶の中に含まれているカフェインの苦味を味わう。そうして最後の第三煎で茶の中の渋味を味わう。つまり甘味、渋味という風に味わい分けてゆくわけです。然し、甘味や苦味というても、普通の人が考えるような別々のものでは決してないのです。そこで昔から茶人は「苦味の中に甘味がある。甘味のある苦味でなければ本当の苦味ではない」と言うてきたのでありますが、ごく最近この言葉が化学的分析によって真実であることが証明されました。

8日 本当の苦味

即ち、茶の中に含まれているあの苦味から、思いがけないような強力な甘味カテキンが抽出されたのです。本当の甘味は苦味の中にあり、本当の苦味は甘味を持ったものであります。従って、よく「苦言を呈す」と言いますが、その苦言の中に実は本当の甘さがなければなりません。甘さが無ければ真の苦言・苦味ではないのであります。そしてもその苦味が極められると、今度は渋味というものになります。

9日 渋味

これを、人間で申しますと、甘いという味は、どんな幼児でも野蛮人でも好みます。けれども苦味は、人間が単純・幼稚ではわかりません。だから苦言を喜ぶようになるのは相当人間が発達してからでありまして、これを嫌がるようではまだまだ人間として駄目だと言うことになります。そして、その人間をもっと突き詰めてゆくと、今度は渋くならないといけません。

10日 無味

人間はいい年をして、いつまでも甘いだけけでは駄目でありまして、苦味がわかり更に渋味が出でこないといけません。これが本当の茶道というものであります。然し、甘いとか、苦い、渋いと言っている間はまだまだ本物ではないのでありまして、これを突き詰めると、もう甘い、苦い、渋いというようなものではなくなって、無の味になります。そういうことを詳しく説いておるのが専ら老荘でありまして、老荘ではこの味の至れるものを無味と申しております。

11日 「淡」は究極の味

それでは、この無の味を持った現実に存するものは何かというと、言うまでもなく水であります。これを「淡」と申します。淡は火にかけて極めるという意味であります。甘いとも苦いとも渋いとも何とも言えない味が無の味であり、淡であります。論語の「君子の交は淡として水の如し」というのは、そういう至れる交わりのことで、それでこそ初めてこの語の意味がわかるのでありまして、単なる水臭いつき合いというような意味ではないのであります。淡の字は昔から文人・画家等に喜ばれて、淡淵とか淡窓という風によく雅号にも使われております。

12日 これが茶飲み友達

そこで、人間がお互いに人生の至れる味をしみじみと話し合う、というのが茶話の本義であります。夫婦が長い間一緒に苦労をして、漸く人生の醍醐味、世の中のことや、人間の至極の話をしんみりとし合えるわけであります。そこで、私は老友夫婦に「これが茶飲み友達というもので、とても若夫婦の出来ることではない。あなた方のような老夫婦にして初めてできるのであるから、はかないなどと情けないことを言わずに、今の生活をお互いに感謝し合わなければいかん」と言うたのでありますが、老友夫婦も合点がいったと見えて、「今日は若い人の婚礼に来て、私共お蔭で結婚をし直しをしました」というで大層喜んでくれました。こういう事が東洋の学問の真髄なのです。

13日 日本人の特徴

その学問の真髄が儒教や老荘、或は仏教・神道を通じて、専門家のように自覚してそれ等を深く探求しないけれども、いつか日本の民衆生活の中に深く浸透して、人生の真髄を捕えた意義深い専門用語を国民は日常生活の中によく使いこなしておるのであります。これは世界の諸国民・諸民族の中では滅多にみることの出来ない日本人の特徴であります。

14日 非常に危ない

その世界に類の無い価値ある日本人の精神生活、風俗・習慣、国語を今日のように滅茶苦茶に荒らしてしまっていると言うことは、洵に情けない限りであります。従って列島改造よりも何よりも、我々は先ず日本人の精神生活、特に思想、道徳、教育を改革・改造すべきでありまして、これをやらなければ、日本の将来は長持ちどころか非常に危ないと思うのであります。 

15日 見識の学・道の学

この間も、或る人が私共の大会に見えられて、「日本は戦後、大日本帝国の大と帝が無くなって日本国となったが、最近は国までなくなって日本列島になってしまった。これでは列島どころか劣島である。先生、この劣島政治を何とか出来ませんか」と云って大層気焔を上げておられましたが、成る程言われてみればその通りであります。「天に口はなし、人をして言わしむ」というのは、本当にこういう事を言うのだと思いまするこれが見識の学・道の学というものであります。

16日 人物と学問 さて、今まで何回かにわたって、本当の学問というものは人間学で、西洋で言う処の叡知の学問、人格の学問、霊魂の学問が本体で、知識・技術等の学問もそこから出てこなければならぬ、全人格的なものでなければ本当の学問とは言えぬ、と言うことを諄々と話して参りました。そこで最後に、その活学の具体例を二、三挙げておきたいと思います。
17日 蘇東坡

先ず最初に挙げたいのは宋の蘇東坡(そとうは)黄山谷(こうさんごく)であります。宋は中原(ちゅうげん)を治めた北宋と、金・元に破れて揚子江を渡り、南へ移ってからの南宋とに分れますが、蘇東坡(そとうは)黄山谷(こうさんごく)は北宋の人であります。

18日 宋名臣言行録

この時代は、宋の一番栄えた時代で、多くの哲人・学者・名将・名宰相が現れました。後に南宋の朱子がそれら名臣・名相の言行をまとめた名高い「宋名臣言行録」という書を著しておりますが、これは明治天皇のご愛読書の一つでもありました。

19日 東坡・山谷・味噌・醤油

その北宋の中でも特に日本で流行ったのが蘇東坡(そとうは)黄山谷(こうさんごく)の学問で当時、鎌倉五山の禅僧の間で「東坡・山谷・味噌・醤油」と言うのが一つの流行語になっておりました。家庭に味噌・醤油が必需品である如く、我々の精神・教養には東坡・山谷がなければならぬと言うのであります。その黄山谷(こうさんごく)に次のような名高い語があります。

20日 大丈夫たるもの

士大夫(したゆう)三日(みっか)(しょ)を読まざれば即ち()()胸中に交はらず。便(すなわ)ち覚ゆ、面目(めんもく)・憎むべく語言・味なきを」。

書は聖賢の書。理義は義理も同じで、理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則であります。大丈夫たるものは三日、聖賢の書を読まないと、本当の人間学的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって循環しないから、面相が下品になって嫌になる、物を言っても言語が卑しくなったような気がすると言うのであります。

21日 本当の学問

本当の学問と言うものは、血となって身体中を循環し、人体・人格をつくる。従って、それを怠れば自ら面相・言語も卑しくなってくる。それが本当の学問であり、東洋哲学の醍醐味も亦そういう所にあるわけであります。

22日 孫呉の兵法

その次に、これは政治的活例でありますが、戦国時代に孫呉の兵法と言うて、孫子と並び称される呉子(ごし)(名は起)という人があります。戦略・戦術の大家であったことは言うまでもありませんが、なかなか行政手腕もあったようであります。

23日 君と俺と一体どちらがよく出来るか較べてみよう

史記の呉起伝によると、その呉起(ごき)が魏の国に重用されておった時に、たまたま魏の国が大臣を択んで「田文を相とす」と言うのですから、田文という人が宰相-総理大臣に任命されたわけです。当然自分が任命されるものと思っておったのがライバルの田文が任命されたのですから、呉起としては甚だ面白くない。そこで呉起は直接、田文に会って、君と俺と一体どちらがよく出来るか較べてみようと言うことになりました。

24日 そりゃ君の方が偉い

呉起云う、「君と功を論ぜん」。田文曰く、「よし」ということで、軍事から始まって、行政・財政・外交と色々挙げて、「君と俺とはどちらが勝れているす」と言って較べるわけです。その問答がまた大変面白いのでありますが、処がその一々について、田文は「そりゃ君の方が偉い」と言う。そこで結論として呉起が「君の能力はわが下で、位はわが上に居るとは何ぞや」、いづれの点から言うても俺より上の宰相の位につくとはどう言うことであるかと言いました。

25日 君の方が適任だ 田文曰く「主、(わか)くして国疑い、大臣未だ随はず、百姓信ぜず。其の時に(あた)って之を()に属せんか、之を我に属せんか」。先君が亡くなられた後、まだ幼君が位につかれたばかりで、国中がこれでやってゆけるかどうか疑っている。大臣たちもまだ先君の時のように心から随っていない。従って民衆も朝廷を信じておらない。そういう時に宰相の任は、君が適任と思うか、俺が適任と思うか、一体どっちだ、というわけです。---()、黙然たること(やや)久しうして曰く、之を()に属せん」。なるほど君の方が適任だ、宜しく頼む。
26日 宰相の本質 さすがに呉起も偉いですね。軍事だの行政だのと一つ一つ問題を採りあげてみれば、呉起の方がよくできる。然し国を挙げて不安状態にある時には、よく出来ると言うだけでは宰相の役は勤まりません。とにかく、その人が居ると言うだけで、国民が信頼し安心する、と言うことが頭脳とか手腕よりも、もっと根本的・本質的な問題でありまして、これが宰相というものです。
27日 そこをいきり立っていた呉起も冷静に之を知り悟ったのです。これも亦みなさんが会社で適用すれば、今度の支店長は、どいう人だろうかと不安に思っている時にも、自らどうすれば良いかという事も分る筈でありまして、年齢だの学歴だのと言うものは問題ではないのであります。
28日 大臣の分類

第一の大臣
最後にあけだいのが、明末の学者として、また行政家として大きな感化を残した呂新吾です。彼はその著「呻吟語」の中で、大臣と言うものを六通りに分けて論じております。

第一、寛厚(かんこう)深沈(しんちん)遠識兼(えんしきけん)(しょう)、福を無形に()し、禍を未然に消し、智名(ちめい)(ゆう)(こう)無くして、天下(いん)に其の()を受く。
 度量が広くて落ち着き、遠大な見識を以てあらゆるものを照らしてゆく。そうして福を形無きにつくり、禍の未だ現れぬうちに消してしまう。別段頭が良いという評判もなければ、勇気のある手柄があるわけでもない。あるのやらわからぬような存在であって、然も民衆は知らず()らずのうちにその賜を受ける、無事でおられる。これが第一等の大臣だと言うのであります。

29日 第二の大臣

その次は、
第二、(ごう)(めい)・事に任じ、慷慨(こうがい)敢て言い、国を愛すること家の如く、時を憂ふること病の如くにして、(はなは)鋒鋩(ほうぼう)(あらわ)すことを免れず。得失(とくしつ)(あい)(なか)ばす
 しっかりして、てきぱきと政事をさばき、国を憂えては自分の意見を堂々と述べる。国を愛すること自分の家の如く、時代を憂うること自分の病気の如くにして、やや明智や気概を露出し過ぎて反発や抵抗を招くことがあっても、敢然として主張すべきは主張し、やるべきことはやってのける。得失相半ばすと言うてももこれぐらいの気概がなければ何もできません。今日欲しいのは、こういう大臣であります。これが第二等の大臣。

30日 第三

第三、安静・時を()ひ、(やや)もすれば故事に(したが)うて、利も興す能はず、害も除く能はず。
 悪はやらぬが、さりとて善も進んで行わないという、いわゆる事勿れ主義の大臣、余り面白くないけれども安全は確かに安全であります。これが一段落ちると、

31日 第四、

第四、(ろく)()し、(ぼう)を養ひ、身を保ち、(ちょう)を固め、国家の安危を(ほぼ)(こころ)(かい)せず。
 とにかく滅多な失敗がないように神経をつかって、自分の俸禄や衆望、身分、恩寵といったものを失わぬようにこれ務める。口では国家の安危だの何だのと言うても、内心は自分さえよければ良いという人物であります。