安岡正篤先生「名言集」 @ 平成2410月  徳永編集 

安岡先生は、「佳いものは何でも佳いが、結局、佳い人と、佳い書物と、佳い山水との三つである」と云われた。至言である。

この三つの中で、一番大切で、生きて行く上で大きな意義のあるのは「佳い人とのご縁」であろう。何かの機会にご縁で深く結びつくのは人生の華と言えるかもしれないのであります。佳い人と会い、会話を楽しみ、一献を共にする時、人は生きて佳かったと思うのではなかろうか。

佳い人との出会いは、お互いの価値観が合致した時に結びつくことが多い、常に自己反省に務めて心魂の錬成をなすべきだと思う。

鳥取木鶏会を通じて結ばれてもいる同士が更に同志となり日本の一隅を照らす一灯となりたいものであります。そこで、私の学びました安岡先生の言葉の数々をご披露して参りたいと思います。

1. 勝縁を結ぶ

 大抵は思いがけない書を読んだとか、友を得たとか、そういう縁によって、平生意識的・無意識的に求めたいた事がいい実を結ぶ。それで出来るだけ勝れた縁、勝縁を結ぶことを心がけなければならない。こういう心がけを以て、先ず自分自身の精神革命をやらないと、本当に安心して暮せない。      (人間維新)

2. .苦中に学有り

 どうしても世の中の苦労をなめて、世の中というものがそう簡単に割り切れるものではないということがしみじみ分かって、つまり首を捻って人生を考えるような年輩になって初めて学びたくなる。また学んで言い知れぬ楽しみを発見するのであります。然し、若い人でも逆境に育ったり、或は病気をしたりして、うかうかと暮せないような境遇に立ったものは、やはりこれに魅力を持つようであります。            (論語・老子・禅)

3. 機慧、敏慧

学問求道というものは、常に反芻する必要がある。繰り返し、繰り返し反芻することが大事であります。散漫を防ぐことに心掛けねばなりません。それと同時に、頭をよく働かせる。頭というより寧ろ心を働かすということ、専門用語で言うと、「()(けい)」、「(びん)(けい)」です。頭を働かすなら機智でよいのですが、知慧、即ち機械的な智性の作用よりももっと深い生命を含んだものの意味で機慧といいます。

4. 精神の行き詰まり

 我々日本人は明治以来えらく、それこそ世界の奇跡などと言われて大層な進歩繁栄をしたもののように、いつの間にか自惚れておったのですが、実はその間にとんでもない抜かりが沢山あったのであります。あらゆる行詰りは究竟(きゅうきょう)すると、心の精神行き詰まりに外ならないのですが、これが中々気づかないものなのです。

(日本の運命)

5. 虚と進化

 物の生命が、自然であればあるほど無意識ですから、言い換えれば「虚」である。虚を致すことに極まるとは、つまり造化と一体になることです。そうすると雑駁莫でありませんから、静になります。機械でも本当に性能がよくて完全に動いている時は、しんとした観じ、落ち着いた感じがします。それが雑駁になってくる程ガタガタ騒がしくなって来る。静を守ること篤いというのは統一が深いということです。               (東洋学発掘)

6..精神革命こそ

 人間そのものをよくする以外に人類の幸せはあり得なくなる。人間の精神を強靭なものにすることによって、環境をよくしなければいかん。自然科学を発展させようと思えば、その何倍もの力を注ぎ、精神風俗をよくすることに懸命にならなければ、人間は滅亡に向かって驀進するということになる。科学技術にうつつを抜かしておる人間は、往々にして哲学や道徳を馬鹿にする。これほどの倒錯、錯誤はない。まさに反対である。          (東洋人物学)

7. .道を学ぶことの尊さ

 人間も木と同じことですね。少し財産だの、地位だの、名誉だの、というようなものが出来て社会的存在が聞こえて来ると(ふところ)の蒸れと一緒で好い気になって、真理を聞かなくなる、道を学ばなくなる。つまり風通しや日当たりが悪くなるわけです。そうなると色々な虫に喰われて、つまらぬ事件などを起し意外に早く進歩が止まって、やがて根が浮き上がり、最後には倒れてしまう。         (活学第三編)