十七条の憲法は聖徳太子の理想

三宝崇拝の国家方針

以上のように全十七条の中には施政の根本方針、為政者としての心構えというべきもののほか、細かな官司の服務態度について触れたものも混じっていて、全体として官司の服務規定という体裁になっています。ここでは、全条項に解説を加えるのでなく、ポイントになる条項を中心にして要点を述べておきましょう。

まず第二条ですが、これは篤く三宝(仏・法・僧)を敬えと規定しています。

三宝の「仏」とは最高の人格者、悟った者、つまり釈迦、「法」とは宇宙万物を支配する真理法則、つまり釈迦の教え、「僧」とは釈迦の教えを信じて実践・生活する人間集団、つまり僧侶を指すと考えるのが一般的です。この三宝を敬えとは、要するに仏教を敬えということです。

従って、第二条で官司はすべて崇仏に徹し、仏教を敬うべきことが示されているわけです。しかし、これは宗教として仏教を信仰せよというより、仏教の基本思想を学びとれという意味に解すべきかと私は考えます。

 

十七条憲法の中にある天皇暗殺の影

第三条においては、君(天皇)と臣下の関係を天地の関係として説き、天皇の詔勅を絶対のものとして遵守せよと命じています。そして第十二条においては、「国に二君なく、民に両主なし」と、君臣の別を明確にうたわれています。

こうした規定は見方を変えれば、蘇我氏がいかに権勢を誇っても、蘇我氏はあくまで臣であり、天皇はその上に立つ存在であることを示したい、という太子の気持ちの表出とも解されます。君臣の別は明確にしなければならない、まして臣が君を倒すようなこと、即ち叛逆などあってはならないのだということが、第二条や第十二条に明確に打ち出されているともいえるのです。

ほかにも多くの条項の背後には、崇神天皇暗殺という弑逆(しぎゃく)事件を目の当たりにされた太子の、そうしたことが二度とあってはならないのだと言う思いが見え隠れしているように思われます。一面では十七条憲法の目標は天皇を弑逆(しぎゃく)した蘇我氏を抑えることにあるともみられ、少なくとも太子はそうした目標を底意にもちながら、官司の服務規定としての十七条憲法を定められたのだと考えます。

 

政治改革の実施のために必要だった十七条憲法

第六条などでは懲悪勧善の理念が特に強調され、さらに、臣道に徹して滅私奉公することを諭されているような条項が多くみられます。これは、天皇の有能な官司として服務する態度を仏教理念を基本として倫理的に説かれたのにほかなりません。そこには、国家仏教の理念を政治に正しく反映しようとする太子の理想がはっきり打ち出されていると言えます。

ちなみに、十七条憲法には儒教や法家の思想の影響とみられる条項があると指摘されますが、そうした思想も国家仏教が取り入れていたとみられ、やはり思想的には国家仏教の影響を第一に考えてよいでしょう。そして、何ゆえにそうなのかと言えば、これまで述べてきたように太子の仏教的な成育環境、さらに摂政となられてからも積極的に国家仏教を学ばれたことなどが大きく影響しているからです。

こうみてきますと太子が理想とされた政治改革の実施のためには十七条憲法はなければならない規定です。

十七条憲法に使われてい文言の中に後代の言葉が入っていることから、よく十七条憲法はすべて「日本書紀」編纂者が作ったもので太子の真作ではないという学者がいます。

しかし、冠位制を定めて政治改革を断行されようとした太子にとって冠位制で組織される官司の服務規定は一番大事なものです。

そして服務規定としての十七条憲法を見ると、その内容から太子の政治改革に必要なものであったことは全ての面で認めることができます。従って、十七条憲法は太子が自分の理想のために自ら定めて公布されたものであることを一つの歴史的事実として認めなければならないと考えます。

文言の中に後代の言葉が入っているのは「日本書紀」の編纂者が古い原典の文言を編纂時の慣用句に書き改めたからであり、僅か数個の言葉の問題を以て全て後世の創作とするのでは正しい歴史研究の方法とは言えないでしょう。