泊瀬朝倉宮の跡地

桜井駅ちかくだ、せっかくの古道だ、「山の辺の道」からは大きく離れるが、第21代・雄略天皇の泊瀬朝倉宮の跡地を求め東海自然歩道を金屋の集落から東に散策する。

この道はかって初瀬街道と呼ばれ平安時代の紫式部や清少納言たちが、京都から南下してきて、()柘榴()(いち)で旅の疲れを癒し長谷寺へ参詣した道。江戸時代からお伊勢参りの山越え伊勢街道である。

(こも)(りく)
雄略天皇は、その宮殿を何故か「隠口)」の初瀬谷に構えた。隠れ口とは山間の隠れた国の意味。近鉄朝倉駅で下車してあたりを見回すと、右にそびえる鳥見山と左の三輪山に挟まれた峡谷の入り口に立っている。
その狭い峡谷を、国道165号線と近鉄電車の線路が初瀬川を挟んで東へ延びている。古代の人々が隠口の国と呼んだ理由も分かるような気がする。