(こも)(りく)

この言葉を聴き、古代となると、やはり万葉集冒頭の一番、から雄略天皇の歌を紹介しておかなくては気持ちが進まない。泊瀬(はつせ)朝倉宮があったのだ。

()もよ み()持ち 掘串(ふくし)もよ み(ふくし)持ち この岡に ()()ます() 家聞かな ()らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れしきなべて われこそませ われこそは()らめ家をも名をも 

隠口の 泊瀬小国に よばひせず わが天皇(すめらぎ)よ 奥床(おくとこ)に 母は寝たり 外床(ととこ)に 父は寝たり 起き立たば 母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明け行きぬ 幾許(ここだく)も 思ふ(ごと)ならぬ 隠夫(こもりづま)かも

(はつ)瀬川 流るる水脈(みな)の 瀬を早み 井提(いで)越す浪の音の(さや)けく

隠口の 泊瀬の山 青幡(あおはた)の 忍坂(おさか)の山は 走出(はしりで)の宜しき山の 出立(いでたち)の (くは)しき山ぞ (あたら)しき山の 荒れまく惜しも 

(はし)(たて)の 倉橋川の (いわ)の橋はも ()ざかりに わが渡りてし  石の橋はも   柿本人麻呂

 余談が過ぎた