福田総理大臣 vs 安倍前総理大臣 

福田総理、やはり年の功というものがある。静かな語り口、真面目で真摯な態度、心に直接響いてくるものがある。多くの日本人は安心感、真面目な姿勢に58パーセントという支持率を提供した。さもあらん。

私は、あの眼の奥の厳しさに格別に感じ入っている。あれは、閣議でも凄みがあると思う、根が頑固で信念の一徹も見え、筋金がありそうだ。福田総理の手堅そうな姿勢に緊急避難時であり安堵を覚えている。トップには人間的重みが必要不可欠である。福田総理なら閣議で閣僚のお喋りもあるまい、自然と総理の着席まで閣僚は立って迎えるであろう。安倍総理より人間的重厚さと威圧があるからだ。トップはこうあらねばならぬ。日本国のために成功を祈る。 

だが、福田総理の思想には、多くのリベラル的なものが過去に見られたので私は今まで支持しなかったが、総理となり、その姿勢の実質的な慎重さが生まれて軌道修正を加えて欲しいと念じるのみである。古賀誠が党の重要なポストを占めており福田総理を手放しで認めるものではない、努々(ゆめゆめ)油断無く監視する必要があるのは言うを待たない。
福田内閣に、リベラル的方向の兆候あらば、即時、反撃、糾弾するべく身構えていることを付け加えておく。
 

安倍前総理、我々と同じ思想信条であり、心ある多くの日本人と同心であるからこそ、経験不足を感じていたが強く支援し、戦後レジームの脱出を祈念した。それだけに今回の挫折は失望落胆であった。 

安倍総理は、素晴らしい政策を掲げて国民は大きく共鳴した。一年間であれだけの成果は歴史に残る一里塚を築かれたと思う。だが、安倍総理の敗退は、国民大衆がまだ平和ボケで朦朧とし混沌としており、国家の危機に無自覚だから民主党を勝利させたのである。 

あのまま成功裡に総理をやり続ければ大宰相かとの予感を感じたが多少、贔屓の引き倒しの反省をしている。 

実を言うと、あの語り口は、味わいに欠け、良くなかった。適確さに欠けた点は否めない。平和ボケ国民の心に響くものが足りなかった。これは人間・人物の内容、人生経験と無縁ではない、若すぎたのである。

安倍総理生来のあの語り口は決して、内容は良くても、誉めたものではなかった。響くものが無かった、言葉に味わいが欠けていた。 

やはり、福田総理が一枚も二枚も人間的に上手(うわて)である、経験も、語り口も、話の味わいもだ。 

登板の順番を間違えてしまったのである。日本のために実に惜しいことであった。 

平成19年10月1日 

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典