徳永流「新聞・雑誌・テレビの見方、読み方」 

米国のネットでも、ワシントン・ポストとかニューヨークタイム、日本では、朝日新聞とか鮎川欽也のテレビ朝日、筑紫哲也のテレビ東京、色々と偏見に満ち溢れた報道が日本社会を撹乱して、彼らの飯の種にされている。

要する、彼奴は、視聴率を向上しさえすれば、広告収入が上がりギャラが増えるという目的の為に、目立つことを言い、嘘でもいいのだ。 

だから本当は、そのような新聞を買わない、見ないのが最高の攻撃になるのだ。朝日新聞などは、決して自費は投じないことがいいのだ。聞く処によるとテレビ朝日は広告収入が激減しているという。朝日新聞も過去のような部数はない。政治に強いとされた朝日新聞だが、最早や、その信仰は崩壊している。

日本人よ自分に自信を持つがいい。 

そこで、手当たり次第に、言いたい放題のメデイア批判を試みる。 

新聞

@朝日新聞

――これは「ウソつき新聞」と断定できる。過去の報道と態度を見れば、いかにこの新聞が、良心の欠片もないものだと断定してよい。喫茶店で図書館で見るが、頭から、「どんなウソと詭弁で書いているか」を眼鏡として読まなければならない。頭から決して信用してはならない。自分に都合のいいことしか書かない。これは、「嘘つき新聞」である。一部で、朝日は「ちょうにち新聞」と言われている通り、中国や北朝鮮に幹部がやられて報道思想中枢が占領されている。

日本人の象徴である皇室に対する「言葉の使い方は軽蔑すべきものである。」

 

A日本経済新聞

―この新聞が「経済教科書」なんて言うのはナンセンスに近い。中国に媚びている新聞であり「中国提灯持ち新聞」である。記事にも思い入れがあり偏向が散見される。「富田メモ」など、取り上げ方が極めて悪質で良識ある新聞ではないことを実証した。「眉唾新聞」である。経済人よ、この新聞の購読は再考したほうがよい。 

B毎日新聞

―あっても、無くてもいい新聞、もう解散したらいいのではないか。朝鮮半島に強い、創価学会新聞の下請けと聞いた。存在価値のない新聞、倒産して不思議ではない。無用の長物か。

 

Cサンケイ新聞

―これは、日本人の新聞だと確信する。朝日新聞の永年の購読者が、朝日新聞に見切りをつけてサンケイ新聞に乗り換えている多数の人々を知っている。都市にも地方にもである。この新聞を読み、心が和むと言う人が多数いる。「日本人の新聞」である。「真実と勇気の新聞」である。 

       テレビ

@NHK

―あの朝日新聞の本多記者という元外国籍日本人と、とてつもない報道番組を作成し放映していたという絶対的事実だけで、この放送局は国の資金を投じてはならない。言語道断な放送局であり、国民の税金、視聴料など支払う義務を感じない。国谷女史の左翼的誘導番組は最早や中止を要求する。偏見ある報道に、何人もの男女を使用する必要はない。独りで報道すればいい。勿論、いい番組が多数あるが、政治的偏向が度を過ぎている。ここも「どんな偏見報道をするか」と瞬時も忘れて見てはならぬ。 

Aテレビ朝日

―もう、言わずもがなである。鮎川欽也とか、常連が朝から晩まで、政府が出来た日から安倍政権の批判する。民主党の小沢に偏っている。田中真紀子のオオバカを持ち上げる。田原総太郎のような、年寄りにいつまでも司会させて、いいつもりだが、国民はもうテレビ朝日の、「反日本」は国民に決定的に刻み込まれた。

利益をあげる為に、下請けに出しているのが多すぎる。だからその過程で、悪事をする奴が多い。テレビ朝日のお笑い番組の低劣さは青少年を蝕んでいる。その張本人だ。

こんな会社に広告しても信用しない。このテレビに広告する企業の製品は買わないと決断しよう。 

BTBS

―余り見ないが、筑紫哲也に代表される、元外国籍日本人が「反日の急先鋒」をしている。不愉快な報道をいけしゃあしゃあとする。 

C日本テレビ

―お笑い番組でも、自分の手足で現場主義でのものがあり、自ら汗を流している番組がテレビ朝日と比較にならぬ程よろしい。思想的にも朝日より数段に日本的であり存在価値はある。

Dフジサンケイテレビ

―報道2001に代表されるように、まともである。

日本のテレビだ。すべてがいいのではないが、合格である。木村太郎の「太論」は安藤女史と共に見られる。安心できる。 

あっはっはっはっはーー、こんな事で不快感の発散だ。 

平成18年10月23日 

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典