「郷党(きょうとう) 第十」

原文 読み 現代語訳
10月25日

一、
孔子於郷党恂恂如也(こうしきょうとうにおいてはじゅんじゅんじょたり)(もの)不能(いうあたわざる)言者(ものににたり)(その)在宗(ちょうびょう)(ちょうていに)朝廷(ありては)便便(べんべんとして)(ものいう)唯謹(ただつつしむ)(のみ)

孔子、
郷党に於いては恂恂如たり。言う能わざる者に似たり。
その宗廟・朝廷に在りては便便としてもの言う、唯謹むのみ。
孔子は、
郷里では控え目で物静か、喋ることの出来ない人のようであった。
しかし、先祖のお墓の祭祀、朝廷では、謹厳、雄弁であられた。
10月26日

二、
(ちょう)与下(にてかたい)大夫(ふとい)(えば)侃侃如也(かんかんじょたり)与上(じょうた)大夫(いふとい)(えば)言言如也(ぎんぎんじょたり)君在叔昔如也(きみいませばしゅくせきじょたりり)与与如也(よよじょたり)

朝にて下大夫と言えば、侃侃如(かんかんじょ)たり、上大夫と言えば、言言如(ぎんぎんじょ)たり。君在ませば叔昔如(しゅくせきじょ)たり、与与如たり。 下役の下大夫と話される時は、温厚な態度、上役の上大夫と話される時は、公正中立な態度。
君主がいらっしゃる時には、恭しく謙譲な態度で適度な落ち着きを持っていた。
10月27日

三、
君召使擯(きみめしてひんせしむれば)色勃如也(いろぼつじょたり)足攫如也(あしかくじょたり)(ともに)所与(たつところに)(ゆうし)左右(てをさゆうに)其手(するとき)衣前後譫如也(ころものぜんごせんじょたり)趨進翼如也(こばしりすすむときよくじょたり)賓退(ひんしりぞけば)復命曰(かならずふくめいしていわく)賓不顧矣(ひんふかえりみず)

君召して擯(ひん)せしむれば、色勃如たり、足攫如(かくじょ)たり。与(とも)に立つ所に揖(ゆう)し、手を左右するとき、衣の前後、譫如(せんじょ)たり。こ趨り(はしり)進むとき翼如(よくじょ)たり。賓(ひん)退りぞけば、必ず復命して曰く、賓顧みず。 主君に召しだされ、国賓接待する時には、顔色が生き生きとし、足の歩みがゆっくりとなる。
接待役目の同僚に挨拶する時には、組み合わせた手を左右に持ち上げて挨拶、衣服の前後が乱れない。少し小走りで進み、速やかに自席に着く。国賓が退席の時、「お客様が挨拶をされ帰られた」と必ず主君に復命した。
10月28日

四、
入公門(こうもんにいるとき)鞠躬如也如(きくきゅうしせょとしていれら)不容(ざるがごとくす)(たつに)不中門(もんにちゅうせず)行不覆(ゆくにいきを)(ふまず)過位色勃如也(くらいをすぐるときいろぼつじょたり)足攫如也(あしかくじょたり)(その)(げん)()不足者(たらざるものににたり)攝斉升堂鞠躬如也(しをかかげてどうにのぼるととききくきゅうじょとして)屏氣(きをひそめ)(ていき)不息者(せざるものににたたり)出降(いでていっとう)一等(ほくだるとき)逞顔色怡怡如也(がんしょくをのべていいじょたり)没階趨進翼如也(きざはしをぼっしてこばしりにすすむときよくじょたり)復其位叔昔如也(そのくらいをふくするときしゅくせきじょたり)

公門に入るとき、鞠躬如(きつきゅうじょ)として容れられざるが如くす。立つに門に中せず、行くに閾を履まず。位を過ぐるとき、色勃如たり、足攫如たり。その言は足らざる者に似たり。斉(し)を摂げて(かかげて)堂に升るとき、鞠躬如(きつきゅうじょ)として気をひそ息せざる者に似たり。出でて一等を降るとき、顔色をのべて怡怡如(いいじょ)たり。階を没して趨りに進むとき、翼如たり。その位に復るときは、叔昔如(しゅくせきじょ)たり。

先生が王宮の門に入ると、身体を鞠のように丸くかがめ、ぎりぎりで門を通れるかの如く入られる。
門の中では、君主の中央部には決して立たれない。門の敷居を踏むことも決してない。門を入り中庭に進むと先生の顔色は改まり、足の進み方もためらう如くゆっくりとなる。何も話せぬ人のように物静かに恭しい。衣服の裾を持ち上げ、堂上に昇るとき、身体を丸くかがめ、息ひっそりと静か、まるで息をせぬ者のよう。堂上から退き階段を一段降りると、顔色に力がみなぎり、のびのびとした様子になられる。
階段を全部降りると、小走りにするすると自分の位置に戻られる。
元の位置に戻られると厳かで粛々とした様子になられている。
 

10月29日

五、
執圭鞠躬如也(けいをとればきゅうきゅうじょとして)(たえざ)不勝(るがごとくす)上如揖(あがるときはゆうするがごとく)下如授(さがるときはさずけらるるがごとしし)勃如戦(ぼつじょとしてせん)(しょくあり)足縮縮如有循也(あしはしゅくしゅくとしてしたがうことあるがごとし)(きょうれ)(いには)(ようし)容色(ょくあり)私覿愉愉如也(わたくしにまみゆるにはゆゆじょたり)

圭を執れば鞠躬如として勝えざるが如くす。上がるときは揖(ゆう)するが如く、下がるときは授けらるるが如し。勃如として戦色あり。足、縮縮如として循うことあるがごとし。享礼には容色あり。私にまみえるには愉愉如(ゆゆじょ)たり。

主君の命を受けた使者が持つ圭(玉のついたシャクジョウ)を受け取る時には、身体を丸くかがめてその圭の重さに耐えられないように見える。圭を持ち上げる時には、他人に優雅に挨拶するように、圭を下に降ろす時、他人に授けるように丁寧にする。顔色を生き生きとして、緊張感を感じさせ引き締まっている。足の運び、つま先を持ち上げる如く、ゆっくりとすり足で進む。君主の贈り物を捧げる享の儀礼、先生は顔色に感情をお示しになられる。私的な会談では、先生は非常に機嫌が良く愉快な様子である。

10月30日 六、
君子不以紺取飾(くんしはかんしゅうをもつてかざらず)(こうし)紫不以為褻服(はもってせつふくとなさず)当暑(しょにあたりては)(しんに)(してち)(げきもてす)必表而出之(かならずひょうしていづ)輜衣羔裘(しいにはこうきゅう)素衣麑裘(そいにはげいきゅう)黄衣狐裘(こういにはこきゅう)褻裘(せついは)(ながく)短右(ゆうべいをみ)(じかくす)(かなら)(ずしん)()(あり)長一身(ながさいっし)有半(にゆうはん)狐貉之厚以(こかくのあつきもって)(おる)(もを)(さりて)無所不佩(はおびざるところなし)非帷(いしょうにあ)(らざれば)必殺之(かならずこれをさいす)羔裘(こうきゅう)(げん)冠不以弔(かんしてもったちょうせず)吉月必朝服而(きちげつにはかならずちょうふくして)(ちょうす)斉必(さいすればかな)有明(らずめいいあり)(てふす)

君子、紺取(かんしゅう)を以て飾らず。紅紫は以て褻服(せっぷく)と為さず。暑に当たりては眞にして希谷(ちげき)もてす、必ず表して出ず。輜衣(しい)には羔裘(こうきゅう)、素衣には麑裘(げいきゅう)、黄衣(こうい)には狐裘(こきゅう)。褻裘(せつい)は長くゆうべいを短くす。必ず寝衣あり、長さは一身有半。狐貉(こかく)の厚きもて居る。喪を去りては佩び(おび)ざるところなし。帷裳(いしょう)にあらざれば必ずこれを殺す。羔裘玄冠(こうきゅうげんかん)しては以て弔せず。吉月には必ず朝服して朝す。斉すれば必ず明衣ありて布す。

君子は、
物忌みの色の紺や、喪明けの色である赤茶色で衣服を飾らない。紅や紫といった派手な色が混じった衣服を着ない。暑い季節には、葛(くず)の布目がしっかりした衣服、布目が大まかな生地の単衣の上着を、体を隠す下着の上から着なければならない。(寒い時期には)黒い子羊の毛皮の上に、黒木綿の上着を着る。白色の上着であれば、白の仔鹿の毛皮が合い、黄色の上着であれば、黄色の狐の毛皮が合う。いつも着る毛皮は長いので、邪魔にならぬように右の袂を短くす。寝巻きは、長さは身長の
1.5倍。
客人には、狐や狢の分厚い毛皮を下に敷き、その上に座って貰う。喪が明ければ、外していた装飾品の玉などを再びすみやかに身に付ける。朝服として着る帷裳(いしょう)は特別な仕立てで、それ以外の服であれば適切な形に裁断する。
慶賀のときに着る羔裘と玄冠を身に付けて、弔問に訪れない。月の初めは、必ず朝廷の礼服を身に付けて出仕する。斎戒沐浴には、必ず浴衣を着る、生地は麻が良い。いつもとは食事のメニューを変え、住居の中でも座る場所を変えるようにする。
10月31日

七、
(しは)不厭(せいをき)(わめず)膾不厭細(かいはさいをきわめず)食饐而曷魚餒而肉敗(しのいしてあいと、うおのたいしたるやにくのやぶれたる)不食(はくらわず)(いろの)(あしき)不食(はくらわず)(におい)(のあしき)不食(はくらわず)(じんを)(うしない)不食(たるきくらわず)不時(ときならざる)不食(はくらわず)(さくこと)不正(ただしからざ)不食(ればくらわず)不得其醤(そのしょうをえざ)不食(ればくらわず)肉雖(にくおおしと)(いえど)不使(もしきにか)勝食(たしめ)()(たださ)(けはりょ)無量(うなけれども)不及(らんにおよ)(ばず)(こし)(ゅし)市脯(ほはく)不食(らわず)不撤薑食(きょうをてっせずしてくらうも)不多食(おおくはくらわず)祭於公(こうにさいすれば)不宿(にくを)(とどめず)(さい)(にく)不出(はみっか)三日(をいださず)(みっ)三日不食之(かをいだせばこれをくらわず)(くらうとも)不語(これをかたらず)(いぬる)不言(にいわず)雖疏食(そしさいこう)()()(いえども)(まつれば)必斉如也(かなららずさいじょたり)

食(いい)は精(しらげ)を厭わず、膾(なます)は細きを厭わず。食の饐(い)して曷(あい)せると、魚(うお)の餒れて(あされて)肉の敗れたるは食らわず。色の悪しきは食らわず。臭いの悪しきは食らわず。壬(じん)を失えるは食らわず。時ならざるは食らわず。割(きりめ)正しからざれば食らわず。その醤(しょう)を得ざれば食らわず。肉は多しと雖も、食(し)の気に勝たしめず。唯酒は量なく、乱に及ばず。沽酒(こしゅ)と市脯(しほ)は食らわず。薑(はじかみ)を撤てず(すてず)して食らう、多くは食らわず。公に祭するときは肉を宿(しゅく)せず。祭の肉は三日を出でず。三日を出でたるはこれを食らわず。食らうに語らず、寝ぬる(いぬる)に言わず。疏食(そし)と菜羹(さいこう)と瓜(うり)と雖も、祭るときは必ず斉如たり。

孔子は、精白されている米を好み、膾の肉は細かく切っているものを好まれた。飯が饐えて味が悪くなったり、魚が傷んでいたり、肉が腐っていたりすれば食べなかった。色の悪いものは食べず、臭いの悪いものは食べられなかった。煮加減が悪ければ食べず、季節外れのものはは食べず、切り目が正しくなければ食べず、だし汁が一緒に出なければ食べられない。肉を多く食べもご飯の量を越えることはない。お酒の量は決まってないが、酔っ払うまでは飲まない。(自分で作った酒以外の)市場で買った酒や乾し肉は食べられなかった。生姜は捨てずに食べられたが、多くは食べなかった。主君の祭祀に出される肉は、その日のうちに食べ切った。家の祭祀の肉は三日以上は残さず、三日を越えれば食られなかった。食事中には学問を語らず、就寝中には寝言を言われなかった。粗末なご飯や野菜の汁、瓜でも、祭祀で神に恭しく厳粛にお供えされた。

11月1日

八、
(せきただ)不正不坐(しからざればざせず)郷人(きょうじんとさ)飲酒(をのむときけ)杖者(じょうしゃい)(ずれば)斯出矣(すなわちいづ)

席、正しんらざれば坐せず。郷人と酒を飲むとき、杖者出づれば、斯ち出づ。

先生は、席が礼法に外れて正しくない時は、お座わりにならない。
同郷の人々の親睦会でし同席の長老が退出されて始めて退出された。
11月2日

九、
郷人儺(きょうじんのぎには)朝服而立於乍(ちょうふくしてそかいに)(たつ)

郷人の儺(おにやらい)には、朝服して乍階(そかい)に立つ。

村人の疫病神や災厄を追い払う行列には、朝廷に出仕する礼服を着て、宗廟の階段に立って迎えられた。

11月3日

十、
問人於他邦(ひとをたほうにとわしむれば)再拝而送之(さいはいしてこれをおくる)

人を他邦に問わしむれば、再拝してこれを送る。

他国に使者を送るときは、使者に再拝して送り出す。

11月4日

十一、
康子饋(こうしくすり)(をおくる)拝而受之(はいしてこれをうく)(しのたまわく)(きゅう)未達(いまだたっせず)不敢嘗(あえてなめず)

康子、薬を饋る(おくる)。拝してこれを受く、曰く、丘、未ださとらず、敢えて嘗めず。

季康子が、孔子に薬を贈った。先生は拝礼し、受け取り申された、「私は、この薬の効用を理解していない、服用できない」。
11月5日

十二、
厩焚(うまややけたり)子退朝曰(しちょうよりしりぞく)傷人乎(ひとをきずつけたるか)不問(うまをとら)(ざるか)

厩焚けたり、子、朝より退きて曰く、人を傷つけたるか。馬をとらざるか。

馬小屋が火事で焼け落ちた。朝廷から退出して言われた、「火傷や怪我をしたものはいなかったか」。馬の損失についてはお聞きにならなかった。
11月6日

十三、
(きみ)賜食(しをたまえば)(かならず)正席先嘗之(せきをただしてまずこれをなむ)君賜腥(きみせいをたまえば)必熟而薦之(かならずじゅくしてこれをすすむ)(くん)賜生(せいをたまえば)必畜之(かならずこれをやしなう)侍食於(くんにじしょくする)(とき)君祭先(くんまつればま)(ずはんす)

君、食を賜えば、必ず席を正して先ずこれを嘗む。君、腥を賜えば、必ず熟してこれを薦む。君、生を賜えば、必ずこれを畜う(やしなう)。君に侍食するとき、君祭れば先ず飯す。

主君から食べ物を下賜されたら必ず身なりを正して味見された。主君から生の肉を頂いら必ず煮て宗廟にお供えした。主君から生きた動物を下賜されたら、これを家畜して飼育した。主君と食事の席を一緒した時は、主君が神に食事を捧げられてから先に食事に手をつけられた。 

11月7日

十四、
疾君視之(やみしとききみこれをみる)東首(ちょうしゅし)加朝服(ちょうふくをくわえ)(しんを)(ひく)

疾ありて君これを視る、東首して朝服を加え、紳(しん)をひく。

先生がご病気で主君がお見舞いにこられたとき、東枕にて礼服を布団の上から掛け、広帯をその上に横に置かれた。

11月8日

十五、
君命召(きみめいじてめせば)不俟駕行矣(がをまたずしてゆく)

君、命じて召せば、駕を俟たずして行く。 君主から命令を受ければ、馬車、籠を待たずにすぐに歩きだされた。
11月9日

十六、
(たい)大廟(びょうににいりて)毎事(ことごとに)(とう)

大廟に入り、事ごとに問う。 役人時代、先生が魯の霊廟を参拝されたとき、お参りの方法を事毎に長上に質問された。
11月10日

十七、
朋友死(ほうゆうしして)無所帰(かえるところなし)(しのたまわく)於我殯(われにおいてひんせん)

朋友死して帰する所なし。曰く、我に於いて殯せん。

友人が死んで絶望に打ちひしがれているとき、先生は「私の家に殯(もがり)をしよう」
11月11日

十八、
朋友之饋(ほうゆうのきは)(しゃば)車馬(といえども)非祭(さいにくにあら)(ざれば)不拝(はいせず)

朋友のきは車馬と雖も、さい肉にあらざれば拝せず。

友人からの贈り物は、たとえ車や馬のように豪華なものでも、祭祀の肉でなければ拝礼されなかった。

11月12日

十九、
寝不尸(いぬるにしのごとくせず)(おるに)不容(かたちつくらず)

寝ぬるに尸(し)のごとくせず、居るにかたちつくらず。

眠られる時には死体のように仰向けにならず、家に居るときはくつろいでゆったりしておられた。
11月13日 二十、
子見斉衰者(ししさいしゃをみれば)雖狎必(なれたりといえどもかならず)(へんず)見冕(べんしゃと)者与瞽者(こしゃとをみれば)雖褻必以貌(なれたりといえどみかならずぼうをもってす)凶服(きょうふくしゃ)者式之(にはこれにしょくし)式負版者(しきふはんしゃににはこれしょくす)有盛饌必変色而作(せいせんあればかならずいろをへんじてたつ)迅雷風烈必(じんらいふうれつにはかな)(らずへんず)
子、斉衰(しさい)の者を見れば、狎れたりと雖も必ず変ず。冕者(べんしゃ)と瞽者(こしゃ)とを見れば、褻れ(なれ)たりと雖も必ず貌を以てす。凶服者にはこれを式(しょく)し、負版者に式す。盛饌あれば必ず色を変じて作つ(たつ)。迅雷風烈には必ず変ず。

先生は官吏の喪服を着た人に出会うと、親しい仲であっても顔色を変えて身なりを正された。
麻冠をかぶった人や盲目の薬師に出会うと、懇意にしている人でも、必ず表情を引き締められた。軽い喪服を着ていた人には、礼にのっとって拝礼された。戸籍台帳を背負っている人に会っても、礼に従った挨拶をされた。豪華なご馳走をしていただいたときには、顔色を引き締めて態度を改めて立ち上がった。雷雨や暴風の激しいときにも先生は謹厳な態度をとられた。

11月14日

二十一、
升車(くるまにのぼるには)必正立執綏(かならずただしくたちてすいをとる)車中(しゃちゅうには)不内顧(うちからかえりみず)不疾(はやくもの)(いわず)不親指(みずからはゆびささず)

車に升るときは必ず正しく立ちて綏(すい)を執る。車中には内から顧りみず、疾くもの言わず、みずからは指ささず。

馬車に乗られるときには、必ずまっすぐに立って、落ちないように持つ綱をすっくと握られた。馬車の中では、後ろを振り返らず、大きな声で話をせず、他人を指さしたりされなかった。
11月15日

二十二、
色斯挙矣(しきしとしてあがり)翔而後集(かけりてのちにあつまる)(しのたまわく)(さん)(りょう)(のし)()(ときな)(るかな)(ときな)(るかな)子路共之(しろこれにきょうす)三臭而作(さんきゅうしてたつ)

色、斯として挙がり、翔りて(かけりて後に集まる。曰く、山梁の雌雉(しち)、時なるかな、時なるかな。子路これに共す、三きゅうしてたつ。 雉が人間の気配に驚いて突然飛び上がる、ぐるぐると飛び回ってから木に止まった。
先生が申された、
「山の橋にいる雌の雉は、時機を心得ている、時機を心得ている」。
子路が雉に近づいていくと、三度羽ばたきしてから飛び立っていった。