西晋一郎に関して
先月23日、私が日本海新聞に寄稿した、「日本の知の巨人・西晋一郎」、反響は直ちに多々ありましたね。
どんなお方か、当会会員である田中勢一郎顧問の祖母の兄上になられます。お墓は元々鳥取市内の
真教寺にあったらしいのですが、現在は円護寺にある。法隆寺管長であった有名な佐伯定胤の筆によ
る戒名は「教学院清風晋徳居士」であります。
森信三氏をこの会のお方はご存知でありましょう。
西先生の一の弟子です。
こんな事を言っておられました。
西晋一郎先生、この人こそ、私が生をこの世に享けてよりこの方、直接まのあたりに接し得た日本人のうち、
「最高にして最深なる人格」ではないかと思う。聖に近き人とまで申しておられます。
同時に、また今後の私の残生に於いても、おそらくは廻り逢うことの出来ない、無比の「深遠なる人格」だと思う。少なくとも、あのような生の存在形態を日本人の中に見出すことは恐らくは今後絶対に不可能と言ってよいであろう。と。
この身あるは、親があるからであり
親があり家があるは
国があるからであり、
国があるは国の歴史があり、
国の精神が
あるからである。
西先生と申されています。
毎月、少しずつ西先生の言葉をご披露したいと考えています。
平成28年10月3日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典