10月鳥取木鶏研究会 講話内容
1.
国民は漸く気づいたか、民主党の本質。
大相撲千秋楽 管総理への罵言 売国奴。帰れ。
管内閣は「ど素人内閣」――国益毀損顕著。
究極責任の自覚皆無の管・仙谷。
言い逃れは本能的な管・仙谷。
2.
読書の秋であります。そこで、思い出しました。
曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。
古来教養ある階層に普及した名言であります。文とは今日で言う教養であります。教養を以て友を集める。利を以て会するものではない。そうして友を以て仁を説く。仁とは限りない我々の進歩向上を言うのであります。「文会輔仁」、わが鳥取木鶏会もこれを以て旨としておるのであります。
益者三友。損者三友。直を友とし諒を友とし、多聞を友とするは益なり。便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは損なり。
益になる三種類の友達がある。徳を損ずる三種類の友達がある。正直な人を友とし、誠のある人を友とし、諒は諒解の諒で、うん、もっともだとうなづける誠。見聞の広い人を友とする。自分の知らない色々の見聞に長じておっても、珍しい話を聞かせてくれる友達は実に楽しいものであります。これが益者三友。
反対に所謂、世慣れた人を友とし、便辟は便利・利益本位、或は避に同じで、厄介なことは避けて相槌をうつ、調子を合わせる意。気軽に調子を合わせてゆく誠意や、実意のないことを便辟というのであります。また善であるけれども、ぐにゃぐにゃして事勿れ主義の人を友とし、調子を合わせて媚びる人を友とする。これは損者三友である。
便佞の佞という字は、信と女をくっつけた佞と、仁に女を加えた佞と二通りありますが、従って元来は善い意味を持った文字であります。仁愛に富んだ信のある女の言葉は必ずやさしいものである。行き届いて気持がよい。そこで信から出る行き届いた挨拶・言葉遣いを佞と言う。それが出来ぬというので、つまりろくな挨拶も出来ぬという意味で自分のことを不佞というのであります。処が段々意味が変わってきて、口先だけの信のないことを佞というようになり、佞奸などと使われるのが普通になってしまつたわけであります。
孔子曰く、晏平仲善く人と交わる。久しうして人之を敬す。
晏平仲は管仲・晏子と言って並び称せられる春秋時代の斉の名宰相であります。晏子の行蹟などを拾い集めた晏子春秋という本がありますが、立派な書物で、晏子の人柄がよく偲ばれるのであります。
その晏子を孔子がほめた、「久しうして人之を敬す」と言う。大抵は人と交って久うすると、人これを侮るものであります。「久敬」という言葉がありますが、年が経つにつれて敬意を払うようになってこそ本物であります。