(はら)を据える その二  

度胸が無ければ大きな仕事は出来ぬ、という事が分かったか。

別の言い方をすると、命懸けということにもなるのじゃ。確定的な結末が予測できたら度胸なんて不要じゃ。 

それは、一か八(いちかばち)かの賭けでもあるのだ。命懸けで、その賭けに挑む、だが、死に物狂いでやるから、いい結果が出る。だから、緻密にやれる頭脳の者が勝つともいえる、胆を据えての洞察の力量にかかっている。見通し、「よみ」である。 

普通の人間は死に物狂いの賭けをやらない、やるには度胸が要る。それを繰り返して行けば、胆力も鍛えられて本物になって行くのだ。 

昔の武士は、その妻女も含めて、武士の面子にかけて、命懸けで諸問題に当たった、だから凄い仕事が出来たのじゃ。武士の妻も常に名誉をかけて命懸けの胆が据わっていたのじゃよ。 

凡ての仕事が切腹覚悟だからいい結末が生じるのだ。現代人でもそれをやれば成功間違いない。 

今の連中は、そういうものが無い、会社員ならまだしも、国会議員、大臣諸君も、「屁」みたいな人間ばかりじゃ。

管君みたいに言葉だけで泳いできた奴は、トップになれば、戦う相手が存在しないのだから、全人格的な人間の器量というものが現われてくる。

既に、管君はトップとしての指導力は無いとメデイアを含む国民から判定されてしまっている。大体、総理がコブシを振り上げて演説するなんて、もうそれだけで落第だよ。

胆を据えてやる、とは命懸けで挑む、ということと同義語なのじゃ。分かったか!

 

(つら)を見れば分かるのじゃ、管内閣の連中の(つら)を見れば分かるだろう、碌な面をしたのはおらん。

面を見れば人間の(たましい)が分かる、面魂(つらだましい)とはよく申したものじゃのう、ワッハッハッ。

次ぎは、(つら)に就いて講話をするとしょう。 
                                岫雲斎