(はら)を据える その一 

今日は、(はら)について話そう。 

諸君は、単なる知識万能主義で、大して勉強しないで、どこかの大学を出ただけで、勿論、例外もあるが、殆どは会社とか官庁に勤務して、それだけでもう事足れりとしているのではないか。 

たかが大学4年間の机上の空論に近い勉強で人生が決まるなんてある訳はないのだ。

近年の大学など昔の旧制中学校以下のレベルであろう。短大などは、昔の高等小学校以下であろう。

これは、全人格的教育とか社会人となってからの言動を見ればの話だがね。 

だから、国家公務員上級試験の成績が良いだけで、トコロテン式に次官となるから、日本という国家が今日のような惨憺たる現状を迎えたのだ。 

知識だけで世の中を動かせるのは、学者という世間オンチの世界だけなんだ。知識だけでは人間集団なんて動かせない。 

人間社会なんて、実は、ドロドロしたものだ、知識は普通でも、人間集団で支配的な者として頭角を現すのは、

1.   集団の仲間に徹底的に面倒見がいい奴。

2.   或は、度胸があって集団のピンチを救う奴。

3.   自在にカネを振り撒く奴、だがこれには限界がある。 

これが人間集団の指導者になるのだ。面倒見のいい奴は集団の平和な時にはいいが、矢張り集団のピンチという極限の時に役立つのは度胸だろう。

度胸なのだ、度胸とは、別の角度でいうと「(はら)」があると云うこととなる。肝っ玉のことだ、 

今の、国会議員とか大臣とかは、どいつもこいつも、口先だけの評論家みたいなものだ。

小沢一郎が親分なのは矢張り度胸だろう。対する仙谷官房長官だが、仙谷に見られるのも度胸であろう、という感じである。誉めているのではない、現実の人間集団を動かす人間のことを言っているのだ。 

二人とも、小さい知識とか外聞など気にしておるまい。

悪の(はら)が据わっているのだ、人間の弱みを知っているのだ。二人と

だが、彼らには、人間道としての知識・素養が欠如しているから、彼らに「胆識」があるとは我輩は言わぬ。 

(はら)の据わっていない、管とか、カネがあるだけの鳩山彼らはこの度胸がある小沢と仙谷に自在に振り回されている構図が見える。 

その他の連中は、知識も見識もない、まして「胆識」も欠片もなく、右往左往しているレベル以下の議員ということ。 

問題は「肝っ玉」の有無である。

核心は、(きも)の据わった人間かどうかと言うこととなる。

分かったか!!

      平成22105

                 岫雲斎