保守

1.   旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること。また、その立場。

2.   古くから習慣・制度・考え方など尊重し急激な改革に反対すること。 

政治思想の保守

保守主義は伝統に倣い、これを保守することを重要視する政治思想である。伝統とは何かに関しては様々な見解がありうる。

伝統や文化を重んじる伝統保守と、古典的自由主義ないし新自由主義を標榜する経済保守、国益や国家への奉仕を尊重する国家保守主義は、それぞれが目指す目標が異なる。保守主義を標榜する者の思想には、これら3つの要素がある程度の割合で混在しているのが普通であるが、保守主義のどの側面を重視するかで対立が生じることもある。

フランス革命当時の保守主義は「今あるアンシャン・レジームとレッテル貼りされた諸制度は、遠い過去からの取捨選択に耐えてきたものであり、これを維持存続させることが国民の利益になる」(とする主義)と定義されていた。しかし、「維持せんがために改革する」というディズレーリの言葉や「保守するための改革」というエドマンド・バークの言葉からも明らかなように、保守主義は漸進的な改革を否定しない。

保守主義は政治および社会哲学の一つであり、この哲学は伝統的制度の維持を奨励し、社会の変化については最小で漸進的なものだけを支持する。保守主義者たちの中には、現在のものを維持しようとし安定性と連続性を強調する者たちがいる一方で、近代主義に反対し過去のものへ戻ろうとする者たちもいる。

フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンフランス革命をうけて1819王政復古の機関紙を、Le Conservateurと名付けたのが、政治的脈絡でのこの用語の使用の最初だとされる[2]

保守主義の源流はアイルランド人のイギリス下院議員でフランス革命を批判したエドマンド・バークに由来するとみなされている[3]。しかし、バークは「保守する」という言葉は用いたものの、「保守主義」という用語は使っていない。

政治的保守主義は英米の政治思想であるが、その影響を受け、フランスオランダスペインドイツイスラエルロシア、日本、韓国、インドなどにも保守思想家が存在する。保守政としてはアメリカ共和党日本自由民主党イギリス保守党オーストラリア自由党台湾中国国民党カナダ保守党、パキスタン・イスラム連盟、インド人民党が挙げられる。

保守主義は、伝統との親和性が高い農業などの第一次産業にたずさわる人たちが多く住む農村部や、都市部の自営業者、キリスト教イスラム教仏教民族宗教ヒンドゥー教神道ユダヤ教)などの宗教組織を支持母体とすることが多い。また、資本主義化した社会では大企業経営者・資本家中小企業経営者も既得権益を持つものとして保守主義を支持する傾向がある。

国粋主義

敗戦
までの近代日本において欧化ないし欧化主義対立して,国粋つまり日本国民固有長所維持発揚するよう主張した思潮日本主義ともいう。時期により変遷はあるが,血統的に一系天皇をいただく日本の国家体制の〈優秀性と永久性〉を強調する国体論が,核心をなした点では変りがないといってよい。
[思潮と運動
 〈国粋〉〈国粋主義〉という言葉は,1880年代後半三宅雪嶺志賀重昂政教社雑誌日本人》が,明治維新後の文明開化直接的には条約改正関連して政府推進していた
欧化主義に反対して,〈国粋保存主義〉を唱道したのに始まる。

 

 

国粋主義とは2つあります。
1つは、自国が他国よりも優秀であるという思想です。
民族的に優れているという考えだけでなく、経済的に強いとか、勤勉だとかの考えもそうです。
中国の中華思想、イスラエルの選民思想も国粋主義です。
もう1つは、民族的に純粋であるべきだという考えで、外国人の同化を許さず(「外国人」として働くのはOK)、混血を排撃します。
ただし、自国民の男が外国の女に子供を産ませるのは容認しています。

 

国粋主義(こくすいしゅぎ, : Japanese nationalism)とは、国家主義の極端な一形態で、日本では志賀重昂1888年に雑誌『日本人』で論文・国粋保存旨義を発表して以来、用語として一般化した。明治維新に始まる極端な西欧文化の流入による近代化に警笛をならし、明治政府の政策を欧化主義として非難したもので、日本人の本来の文化や歴史、その長所を重視することを主張したもの。万世一系天皇をいただく日本の国家体制を賛美し、その優越性と長久性を強調する国体論が主体。

日本以外の一般論としての国粋主義は、ある国家に固有の文化伝統を礼賛して愛国心や愛郷心で意識の発揚をはかり、それ以外を排他しようとする、極端な思想や過激な運動のことで、一般的には極右思想の一つに位置づけられる。

右翼

右翼(うよく、英:right-wing, rightist, the Right)または右派(うは)とは、保守、愛国心、国粋主義的な思想の傾向を指す 。 一般に、伝統的な社会秩序や価値の維持や、伝統的に形成された社会的地位や身分などの社会的成層への支持を表すために使われる 。 類義語には「保守」や「守旧」など、対義語には「左翼」や「革新」などがある。

右翼(うよく、right-wing, rightist, the Right)または右派(うは)とは、保守愛国心国粋主義的な思想の傾向を指す[1]。一般に、伝統的な社会秩序価値の維持や、伝統的に形成された社会的地位や身分などの社会的成層への支持を表すために使われる。類義語には「保守」や「守旧」など、対義語には「左翼」や「革新」などがある。また「右派」や「左派」は、各集団や勢力の内部で、更に相対的に「右」「左」を示す場合にも使用されている[7]

「左翼」も「右翼」も相対的な用語であり、何を「左翼」や「右翼」と呼ぶかは時代・国・視点などによって変化する。また「右翼」と呼ばれる思想・運動にも多種多様な主義主張が含まれる。更にレッテル貼り的に使われる場合も多い。

「右翼」と「左翼」のフランス革命の間に作り出された。「右翼」は、国民議会旧体制の維持を支持する勢力(王党派貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占めた事に由来する。

現在、「右翼」という用語は主に、保守主義者、反動主義者を含む、伝統的な右翼と歴史的な関係がある政治勢力を示す用語として使われている。また、「左派」が共産主義社会主義をめざす勢力を指すのに対して、右派(右翼)は、左派勢力に反対して自由市場の資本主義を擁護する勢力(リバタリアニズム新自由主義など)や、国家主義民族主義国粋主義を支持する勢力を指すために使われている。

革新

革新(かくしん、reform)とは、字句通りの意味では新たに革(あらた)めることを意味し、既存のものをより適切と思われるものに変更することを意味する。 古典的な政治学の図式では、左翼(left)・社会主義(socialism)・共産主義(communism)、あるいは中道左派・社会自由主義・社会民主主義と同義で用いられる。

革新(かくしん、reform)とは、字句通りの意味では新たに革(あらた)めることを意味し、既存のものをより適切と思われるものに変更することを意味する。

古典的な政治学の図式では、左翼left)・社会主義socialism)・共産主義communism)、あるいは中道左派社会自由主義社会民主主義と同義で用いられる。一方で、字義通り何かをより良いものに改めていこうとする「改革」(英語では同じくreform)と同義の抽象的な意味で用いられることも多く、また、政治学以外では「イノベーション」(innovation, 技術革新・刷新・更新・新機軸)の訳語としても用いられる。

思想としての革新政治分野で使われることが多く、主に現行の政治体制の変更を優先的に要求する立場であるとされる。対する概念は保守

進歩主義progressivism)とは、(共に、左翼・社会主義・共産主義の婉曲表現として用いられることもある点も含め)意味的に重なる部分が多いため、あまり厳密な区別がなされず同義語として混用されることも多い。現に、progressive progressivismの訳語として、「進歩的/進歩派」「進歩主義」の他に、「革新的/革新()」「革新主義」などの訳語が用いられることもある[1]

近代社会においては、社会主義共産主義など左翼系への政治形態の変更を主張する。あるいは、中道左派社会民主主義などの改良的政策を導入する立場も、一般的に革新に分類される。共産主義社会においては、革新は永続的なものとして認識される。

保守が伝統的価値観を温存しがちな農村漁村部を基盤とするのに対し、革新は社会の変化が大きく、そのゆがみの影響を受けやすい都市部を支持母体とすることが多い。

日本の革新勢力[編集]

戦前[編集]

戦前の革新は、1930年代後半に革新官僚と言われた国家統制を指向する勢力に代表されるように、国家主導の社会主義的な改革をめざす方向性をもったことばであった。また、右翼の中にも社会主義から強い影響を受け、一部の国学の系統を引く日本の保守思想家や左翼からの転向組の中から国家社会主義思想を持つグループが現れた。この系統は革新右翼と言う[2]赤松克麿が結党した日本革新党もこの流れをくむ。この潮流はやがて戦時体制という形で国家に事実上取り入れられることになった。

戦後から現在[編集]

戦後、革新のことばが使われるようになったのは、1955年に自由党日本民主党とが合同して自由民主を結成したことを「保守合同」と称したことから、対抗する政党を自認していた日本社会党と、その影響下にある勢力が使い始めたものである(55年体制成立)。実際の政治の場面での革新という用語は、1967年の東京都知事選挙で、日本社会党や日本共産党が共同で推した美濃部亮吉が当選したことで、京都府知事であった蜷川虎三とあわせて〈革新自治体〉という表現が広く使われるようになったと考えてよい。これに社会党代議士から横浜市長に転じた飛鳥田一雄も含めて、社会党と共産党の共闘を軸とする革新連合が政治の話題となったのである。これには、党綱領で連合政権を目標として明確に掲げていた日本共産党が1969年の総選挙14議席を獲得し、発言力が増したこととも関連する。

1971年の統一地方選挙では、東京都の美濃部、横浜市の飛鳥田の再選をはじめ、大阪府黒田了一川崎市伊藤三郎など、各地で社共両党の共闘による新首長が誕生し、道府県議選挙でも、日本共産党が公明党民社党の議席を上回る状況が生じた。また、1972年の総選挙では、共産党が野党第2党に躍進した。統一地方選挙の時期以外にも、埼玉・滋賀・岡山・香川などの各県で、また名古屋・神戸などの政令指定都市でも革新派が当選した。この結果は公明党の戦略にも変更をもたらし、一時期ではあるが日米安全保障条約の廃棄を主張するようにもなった。〈革新〉ということばが、安保条約と、当時問題になっていた公害問題をめぐっての大企業への規制への態度を基準として計られるようになった。

1970年代後半には、国政レベルでは、社会党の全野党共闘論と、共産党のとりあえず一致できる点での共闘という社共共闘先行論との対立があり、国政選挙での選挙協力は参議院選挙における沖縄県選挙区のケースを除いてはほとんど成立しなかった(1977年の参院選での宮城県選挙区のケースがある)。また、地方政治においても、いままでの革新自治体が政策の基盤にしていた福祉の充実による民政安定が、高度経済成長の失速による自治体への税収の不安定化のために、財政的な裏づけが困難になり、いくつかの自治体では財政破綻につながる状況になったことで、革新自治体の継続が困難になっていった。さらに、19801月の、社会党と公明党との間で締結された政権合意(社公合意)に、日本共産党は政権協議の対象としない、と明確に位置づけられたことで、それまでの革新路線は政党間の政策課題としては終結した。

こうした経緯の上に、朝日新聞毎日新聞などの左派系マスメディアは、左翼・左派勢力を「革新」と同義で使用していた(一部ではなお使用している)。逆に、産経新聞などの保守系マスメディアは「革新」よりむしろ「左翼」を用い、その対立陣営を「右翼」「右派」ではなく「保守」と称する傾向にあった。しかし、1990年代の東西冷戦終結、55年体制の終焉と革新勢力の退潮、また新たに自民党の対抗政党として伸張してきた民主党が一概に保守とも革新とも分別できない混成勢力であることから、保守・革新対立の構図という捉え方が大きな意味を持たなくなり、従来の「革新」の用語・用法は重要でなくなりつつある。過去数十年の経緯の延長上になお社会党や共産党(また沖縄社会大衆党)を「革新」と呼ぶ習慣はメディア上に見られるものの、現在では「革新」陣営は必ずしも現状の体制・制度の一切の変更を主張するのではなく、自民党政権・自公連立政権が憲法改正防衛省昇格、郵政民営化PKO法案、消費税導入、国鉄分割民営化など、戦後民主主義戦後レジームからの脱却やまた新自由主義的な政策・制度の転換を試みる場合に反対の姿勢を取ることも多いように、「保守」「革新」の語を従来のまま使い続けることにも議論の余地がある。

なお、現在も安保条約の解消と、大企業への公正な規制を主張する勢力は、その後も自らを革新と位置づけている。そうした団体の一つに、「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)」がある。 

(簡略説明)
その1、言葉の定義について
右翼は保守主義。左翼は革新主義のことです。

由来は、フランス革命後の議会で、議長席から見て右側に集まったのが
保守主義、左側に集まったのが革新主義だったからです。
次に、タカ派とハト派。
ハト派は、穏やかに事態を解決しようと図る人たちのことを言います。
タカ派は逆で、解決には強硬手段や武力行使も辞さない人たちのことを言います。
よって、右翼(保守)・左翼(革新)双方に穏健(ハト)派・過激(タカ)派が存在しうるわけです。

おおまかな定義の説明は以上です。

では、何が保守的(右翼)な考えで、何が革新的(左翼)な考えなのか。
保守、革新という区別は理解できたけど、何が基準なんだろうっていう疑問。

何が左翼(革新的)であり、何が右翼(保守的)であるかは国と時代によって、
基準が異なります。
それでは、今の日本ではどうでしょうか。
日本でいう保守は、戦前の思想・体制などです。
対するものが革新的、左と区別できます。

-非武装中立・9条護憲
-再軍備・9条改憲・天皇制・伝統・権威・秩序・祖国愛
左 平等優先<−>自由優先 右
   共産主義     資本主義

もちろん、「共産主義者じゃないけど、他は左翼的な考え」
という人もいるでしょうし、考え方も様々でしょう。
以下は、総合的に見てどっちに寄っているかという世間の批評です。

新聞 左 朝日  右 産経   
党派 左 共産党 右 自民党  
人   左 田原総一郎 小林多喜二(蟹工船で最近話題の)
     右 石原慎太郎(タカ派) 小林よしのり(タカ派) 藤原正彦
雑誌   左 赤旗(機関紙) 世界
       右 諸君! 正論
本    左 憲法9条を世界遺産に
       右 国家の品格

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条改正に関する分かれ方など、いい説明の例になるのではないでしょうか。
政治は、世論など状況によって変わりますが、
以前タブー視されていた9条改正が、様々な情勢の変化で、前政権では、自民党で9条改正を含めた憲法改正の動きもありました。共産党は変わらず強固な護憲派です。機関紙の赤旗も護憲派。産経は改憲支持の記事をよく見かけますし、挙げた右の人も改憲派。
藤原氏が改憲派であったかどうかはよく覚えていませんが、ベストセラー作家なので載せてみました。日本の国柄(伝統など)・祖国愛・エリート育成(階層的)を重要と考えているところが、保守的であると思います。(氏は、家族愛〜人類愛を説いているので、祖国愛だけ挙げると御幣があるかもしれませんが)
*
もっと詳しい話を知りたい。歴史を知りたいとお考えでしたら、
 幻冬舎が出している、浅羽通明著 「右翼と左翼」の一冊を一読されることをオ ススメします。一日で読めますし。

すこし前に「リベラルが保守反動になった」という話を書いたところ、「リベラルの定義はなんですか?」という質問をいただきました。これはなかなか難しいのですが、わかる範囲でこたえてみましょう。

まず、議論の前提として私たちは「近代」の枠組みのなかで生きています。近代というのは、政治思想的には、「自由」「平等」「人権」「民主政」などを至上の価値とする社会です。

ところで世界には、近代の理念とは別のルールで動いている社会もあります。代表的なのはコーランの教えに基づいて政治を行なうイスラム原理主義の国で、「神政」は「民主政」と水と油のように相容れません(それに対して中国のような一党独裁は民主政への移行過程とみなされます)。

かつては「文化相対主義」の名の下に擁護されていた近代とは異なる価値観は、9.11同時多発テロによって(すくなくともアメリカでは)全否定されました。「お前はテロリストを認めるのか」という批判に、文化相対主義者は答えられなかったからです。

リベラル(自由主義)は「近代の理念」の実現を純粋に求める立場で、もともとは封建制(王政)への回帰を目指す反動勢力とのたたかいのなかで生まれました。その意味では、日本を含む先進諸国の政治思想はすべてリベラルです(天皇制は立憲君主制として認められるのであって、「現人神」のような反近代思想は排除されます)。

ところが封建制とのたたかいに勝利してしまうと、こんどはリベラルのなかで仲間割れが始まります。さらには社会主義(共産主義)の実験が失敗したことで、それが主要な政治論争に格上げされました。

リベラルの理想は福祉社会です。それに対する異議申立ては、大きく以下の三つにまとめられます。

(1)差別や奴隷制を否定する「人権の平等」は当然としても、国家による税の強制徴収と分配で結果の平等まで求めると、肝心の「自由」を圧殺してしまう。これは「リバタリアン(自由原理主義者)」の主張です。

(2)近代の理念はもちろん大事だが、自由や平等、人権を過度に強調すると、民主政の土台となる文化や伝統、共同体を破壊してしまう。これは保守派の立場ですが、最近では「コミュニタリアン(共同体主義者)」と呼ばれるようになりました。

(3)近代の理念を実現するためには偏狭な政治理念にとらわれず、「最大多数の最大幸福」を実現できる合理的で効率的な社会をつくるべきだ。こうした功利主義を唱えるのは主に経済学者で、「新自由主義(ネオリベ)」とほぼ同義です。

財政拡大による福祉社会が持続不可能になり、これらの批判に有効な反論ができなくなって、リベラリズムの退潮が始まりました。しかしだからといって、それに代わる新たな政治思想が誕生したわけではありません。リベラルを批判する側も、それぞれの理念を掲げて対立しているからです(リバタリアンと功利主義者の主張はかなり重なりますが)。

こうした構図を頭に入れておくと、マイケル・サンデルの「白熱教室」やその関連番組がより楽しめるようになるでしょう。

『週刊プレイボーイ』2013107日発売号に掲載された記事の転載です)

 

愛国主義

愛国心(あいこくしん)、愛国主義(あいこくしゅぎ、パトリオティズム、: patriotism)は、国民が自らが育った、あるいは所属する社会共同体や政治共同体などに対して愛着ないし忠誠を抱く思想心情である。このような思想心情を他人に比べ強く持つとされる、或いはそのように自負する人達を愛国者と称する。

対義語は「売国」。またそのような行為を行う者を売国奴と呼ぶ(但し売国の定義は非常に主観的で定かでない)。

一口に「愛国心」といっても、話者によってその意味するところには大きな幅がある。愛国心の対象である「国」を社会共同体と政治共同体とに切り分けて考えると分かりやすい。

愛国心によって表出する態度・言動の程度は様々で、ノスタルジーから民族主義国粋主義まで幅広い。よってこれらを十把一絡げに「愛国心」と表現することもできるため、その内容は往々にして不明確である。また、愛国心を訴える事は政権側からのみでなく、反政府側からも行われることである。反体制的な愛国運動は、政権側から弾圧されることがしばしばである。

また、愛国心は大衆を煽動する道具とされてきた一面もある。幸徳秋水は「帝国主義はいわゆる愛国主義を経となし,いわゆる軍国主義を緯となして,もって織り成せるの政策にあらずや」と著書に記している(幸徳『帝国主義』)。

平和主義者には“愛国心こそが戦争を起す最大の要因である”と説いた者もいるが、反戦運動においては、戦争を若者を殺し国を危うくするものとし、愛国を掲げて戦争反対を訴える団体も多い。

祖国愛

 

愛国心vs祖国愛 藤原正彦 

 



藤原さんの「国家の品格」がやたらと売れてる(百数十万部?)ようだけど、僕は読んでない。忘れたころにでも読もうかと思ってるけど。ナショナリズム・フェチ野郎としてはチェックしとくべきなんだろうけど、あんまりそそられないし別にいいや、って気分でやる気なしの僕。

んで、藤原さんへのインタビュー記事があった。本を読んでないのに、この記事だけに喰いつくってのもなんだかなーだけど、気にしない気にしない。ちょっと引用


「私は本で『祖国愛』を自国の文化、伝統、情緒、自然を愛することだと定義したんです。だから、この文でいうと『伝統と文化を尊重』することがまさに『国を愛する』ことなんですよ。内容が重複してしまっている」・・・

「愛国心なんて今すぐ廃語にすべき言葉です。この言葉は明治以来の失敗の最大の原因でしょ。愛国心という言葉には、二つの相反する異質なものが混じっている。一つはナショナリズム。これは国益主義で、他国はどうでもいいという考え方。二つ目はパトリオティズム。つまり祖国愛。これはすべての人間が当たり前に持っていないといけない。でも、戦後の日本は両方を捨てた。それで、今ごろになって、汚い手あかの付いた愛国心という言葉を使おうとしている」・・・

――どういう表現がいいのでしょうか。

『自国の文化、伝統、情緒、自然をこよなく愛する』。これでいいんです。趣味の問題ですけど。でも、私が首相じゃないから、『書き直せ』というわけにもいきませんしね」


藤原教授は著書で「愛国心」という言葉には自国の伝統や情緒を愛する「祖国愛」と、自国の国益だけを考える「ナショナリズム」の二つの意味が含まれると指摘。ナショナリズムは、戦争につながりやすい不潔な考え方だと批判している。