戦後「日・中関係回顧と未来」 徳永圀典
1.1980年代前半-- 黄金時代を謳歌
1987年胡耀邦失脚、1989年天安門事件で曇天化。
2.中国の核実験1995年頃76百万ドルの無償援助を停止し抗議、中国怒る。
台湾総統選挙威嚇で台湾沖にミサイル発射。
この二つで「対中友好外交は終焉」した。
3.1997年、1998年アジア通貨危機で中国は日本を出し抜いて東南アジアに手を差し伸べアジアの盟主に一気に躍り出ようとした。日本は1千億ドルのアジア通貨基金構想を出したが米国と中国に拒否された。ここから日本と中国の東南アジア支援競争化。
日・中はゼロサム関係に突入した。
4.21世紀となり日中経済関係は急激に深まったが政治関係はささくれだったまま。
5.2005年小泉総理の靖国参拝と日本の国連常任理事国入りキャンペーンに反対する中国国内の愛国反日デモを機に「政冷経熱」時代に突入。
6.2006年8月15日の小泉総理の最後の靖国参拝で「日中は深層凍結」状態になる。
7.2010年と2012年の尖閣諸島を巡る日中間の対決によりグランド・ゼロ状態に陥った。
---過去30年の「動機」と「力学」
1.
地理即ち「尖閣」と歴史即ち「日本の対中進出」を巡る緊張と紛争の底には、日中双方に、相手が自分の将来を抑え付け、傷つけようとしているとの恐怖感がある。
2.
中国は、アジア周辺国では日本だけが中国の台頭と海洋強国としての登場を制約する能力を持っていると警戒している。
3.
日・中双方とも、共に受容できる地域秩序を構想する意思も能力も保有していない。
4.
日本にとり尖閣喪失の懸念は、それによる中・台湾統一の加速化と、それに伴う中国の太平洋に対する無制限のアクセスと日本のシーレーン・コントロールにある。
5.
中国は、衰退する日本は、中国の断固たる圧力に耐えられないだろうと読んでいる。
6.
尖閣問題で日米同盟を揺さぶり、日本と米国を分離させる為に使うべきだと戦略家が考えている。
安倍・習の日本と中国が、敵対関係へと向かうのか、
予断を許さない。
かかる時、朝日新聞の如き中国シンパのメディアは特段に要注意である。
日本は矜持ある平和国家として宣言した道、国際法に依拠した道を進むしかない。