山之辺の道

この山之辺の道を思うと溌剌たる二十代の若い時を思い起こさせる懐かしい響きがある。と共に日本創世記の舞台とその確固たる遺跡の数々、日本人の原点を永久に刻印させている場所だと痛感する。また老年となり別の視点での遺跡めぐりもあるが、何よりも万葉集の舞台を強く想起させる。魅力ある道である。

日本の古代へつながる道なのである。 

古代、飛鳥・藤原の都と、平城京は三本の道で結ばれていた、上ツ道、中ツ道、そして下ツ道。大和盆地の平野部を南北に突きぬけているがそれが現在でも通行可能である。

その上ツ道の東側、山裾に沿って古代の道が走っている。北の奈良市の春日山と南の桜井市を結ぶ道である。全長35キロ、三輪山山麓から南半分、北に向かい天理市の石上神社までの15キロは素朴な里山風景の中を細い田舎道が縫っている。古事記、日本書紀の古代の史跡が連なっている。

古代、この辺りは河内湖であり大阪湾から桜井市の三輪神社の先の()石榴()(いち)付近まで舟が遡行していたようである。徳永圀典