国会予算委員会、「岡目八目」


平成18年10月6日の予算委員会。

田中真紀子は、「くそばばあー」だと思う。「場末の夜店の叩き売り婆」である。国会議員としての品格が欠けている。実に無礼千万な人間だ。このように人間を国会に送る新潟県人のレベルが判明できる。

自分の外務大臣時代のナンセンスなお粗末なことを棚にあげた身勝手な女である。すぐ人に責任をなすりつける。
品性下劣、こんな奴が議員とはね。もちあげるメデイアは朝日くらいかな。

民主党にはあの程度の教養といい加減な議員しか存在しないのだろうか。

真紀子が外務大臣の時、金正日の息子の正哲が東京ディズニーランドに偽名で極秘来日した時、税関で彼を保留していながら、真紀子はさっさと返したではないか。度胸のカケラもない口先婆あー。

この時、逮捕して拉致家族と引き換えすればよかったのだ、国民は真紀子に対してこそ文句がある。それを忘れて安倍総理に拉致問題に言いがかりをつける傲慢尊大の「オオばばあー」

真紀子はあの時は、米100万トン北朝鮮に出したらいいとまで言ったではないか。この鉄面皮・無責任婆め。

民主党とか真紀子はご都合主義の、いい加減な政党であり人物なのである。

菅直人君にしても、相変わらずの、成長の見られない問答。これが副代表幹部だからね、あきれ果てる。物の言い方が幼稚で謙譲さに欠ける。これはトップの器量ではない。子供だね。人に感銘を与えない。日本の子供の教育にとても悪い、菅も真紀子も「汚い、下品な言葉遣い」で教育を論ずる資格なしだね。

二人とも国民の「反感」を増大させるだけだろう、品位のカケラのない民主党幹部だ。

そして次に出てきたのが、あの「眼つきの悪い元党首の岡田」途端にテレビのスイッチを切断した、あの「目つき」は気持ち悪い。聞く気がしない。余りの硬直性にはあきれ果てる。顔つきに少し優しさ柔和さが必要だよ。

こうしてみると、前原前代表の顔は真摯だし、好感が持てる。惜しいことしたね。

午後の委員会、民主党の枝野君あたりは真面目に政策論争をするからとても良かったよ。いいね。

民主党は幹部連中にろくなのがいないのだね。小沢は心臓病みでおぼつかない役立たず。鳥取の米子に応援に行くというが、国会をサボっている。無責任である。

お粗末な民主党、日本の野党第一党「知見」のなさ、低劣さ。

共産党委員長の志位君は、相変わらぬ書生っぽい、ステレオタイプの問答は、どうにかならねぇのかい。人間の問答と程遠いよ。好かん。

午後、社民党民主連合の阿部知子氏の質問を聞いたが、私と意見は正反対であるが、その紳士的な、日本女性的な言葉遣いは、真紀子などより遥かに優れており最後まで聞くことができた。党首の福島瑞穂のあの、ステレオタイプのあれは民主党以下だが阿部知子氏は中々一流の態度である。左翼にしておくのは勿体無い。

民主党は幹部以下、阿部知子氏に見習ったらいいのではないか。

傲慢な、謙虚さの見られぬ下品な問答はやめて欲しいのである。

平成18年10月6日

サンケイ新聞

衆院予算委で安倍、真紀子対決

 衆院予算委員会は6日午前、2日目の本格的質疑を行い、民主党と同じ会派に所属する田中真紀子元外相が質問に立った。田中氏は初当選同期の安倍晋三首相を相手に得意の「真紀子節」で攻めたが、首相は終始冷静にかわし、熱くなった田中氏が空回りする展開となった。

 田中氏は3年前に民主党会派入りして以来、初の予算委での質問となった。冒頭、安倍首相と同じ平成5年初当選であることを引き合いに「同期の桜として首相就任をお祝いします」とエールを送り、首相も「あのときは田中氏こそ首相になるのではないかと思った」と持ち上げた。

 最初こそ笑顔を交え穏やかな口調だった田中氏だが、次第に早口になりヒートアップ。首相について「小さな子供が玄関先にチョチョっと出ていき、パパの靴をいたずらで履いて道路に出てみた。しかも右の方へ寄って歩いていきそうで危なっかしいとの印象を持つ人もいる」と痛烈に皮肉った。

 田中氏は北朝鮮による拉致問題について、安倍首相が、平成14年9月の小泉純一郎前首相の訪朝に官房副長官として同行したことを取り上げ「(首脳会談は)金正日総書記のぺースで腰砕けだった。なぜ激論を交わし、ひざつめ談判をしてこなかったのか」と批判。

 外交論を大上段に振りかざした田中氏だが、自身は拉致被害者5人が帰国した直後に「(拉致被害者の)家族の国籍は北朝鮮籍で、(帰国は)難しいとはっきり言わなければならない」と述べたり、外相時代に対北コメ支援について「拉致疑惑があるからけしからんという意見もあるが、100万トンでも出した方がいい」などと発言した経緯もあり、首相は淡々と「あのときはベストを尽くした」と反論。

 田中氏が歴史認識について問い詰めると、首相は「ズラズラいろいろ言っているが、事実認識が違うところもある」と指摘し、「金総書記の子息をすぐに出国させたのも当時の田中外相の判断だった」とチクリとやり返すことも忘れなかった。

(10/06 12:35)