詩人・佐藤春夫の書いた案内板があった。

この説明てこの由緒ある市の跡の観音を。大陸の舟がこの奥地まで舟
で到達していたのである。そこに交易市があった。



海拓榴市は、古代から栄えた交易市です。大陸の使節も大和川の舟運を利用して、
この地まで溯りました。
この市は歌垣で有名です。
人々は歌を通じて愛を交歓したのです。
     紫草は灰さすものぞ海拓榴市の
          八十のちまたにあへる子や誰  万葉集巻12-3101

     たらちねの母がよぶ名を申さめど
          道ゆく人を誰と知りてか      万葉集巻12-3102

王朝以来、ここはまた長谷寺詣での宿場として栄え(枕草子)、(源氏物語)(かげろう日記)
などにも登場します。

ふるくからあった観音堂が老朽したので、近時建てかえられました。

      海拓榴市の野路に飛び交う無死何    佐藤春夫