「面構え」 その三

(つら)にその人間の凡てが現われるというた。 

(つら)を見るのだが、(つら)、即ち顔の皮には、人間の核心である「心の相」が現われていると言うことなのじゃ。 

皮の相は、心の相なんじゃ。

それを学問的には、「心相(しんそう)一如(いちにょ)」と申す。 

人相見というのがおるが、あれは面の皮を見て心を問うておらん。それでは適確な洞察が出来ぬと申すものじゃ。 

まあ、諸君のように研鑽を積んでおらぬ俗人はじゃ、吾輩のように「道眼」とでも言う眼で見た人相とは全く違うということじゃな。 

                   岫雲斎