面構え その二 

人間の言動や思想、学問が別々になっておる間は、まだ中途半端なのじゃ。

人間の一挙手、一投足、一言一行に薀蓄されたものが具現されるようにならねば本物とは言えぬのじゃ。 

つまりじゃ、真理とか学問というものはじゃ、究極的にはその人間の「相」にならねばならぬのじゃ。 

医学上でも、人間の顔面皮膚は生きたものであり、最も鋭敏と言われる。

体内のあらゆる機能が悉く顔面に集中しているのじゃ。この考え方が東洋思想、東洋人相学の根幹を占めるものじゃ。
 

面構えにも色々ある。そうなると「相」学である。

頭とか目とか鼻に現われるのが「形相(ぎょうそう)」である。これは外観的、表面的なものだから、言うなれば静止的な相である。 

だがのう、人間は動物だから動く、相は動いてるのじゃ。

歩く相、坐わる相、怒る相、笑う相、食う相、泣く相、と千差万別すべてに人間が現われるのじゃ。
人間の本質がそれらに現われておるのじゃ。
 

人間も吾輩のような年齢に達すると見抜くことが出来るのじゃ。

見抜くと申したが、洞察のことじゃ。直観だよ。

単なる知識でなく最後は人間は直観となるのじゃ。
   

                           岫雲斎