美しい日本の山  平成10年4月6日 日本海新聞潮流に寄稿

例年一月、二月には関西の山々の霧氷や樹氷を楽しんでいる。今年は暖冬であったが2月初旬奥吉野は高見山の素晴らしい霧氷を満喫した。海抜千二百四十九米。富士山をスリムにした姿の美しい山である。  
 里では立春を過ぎると日に日に陽光が充満して冬は峠を越える。
三月になると最早や春本番と感じるが自然の営みは緩慢で三寒四温を繰り返す。私は春を待つこの季節が大好きだ。待ちきれない春を思い近くの山々に登り春の気配を探る。終日春を求めても山々には気配すらなくまだ冬である。疲れて家に帰り庭の樹木の枝を何気なく見やれば枝には蕾がすっかり膨らんで春は既に十分である。私はこの季節のこの期待感、春を待つ三月を好む。

四月になると日本列島は桜前線が駆け抜ける如くアッと云う間に北上する。里では染井吉野桜が華やかだが各地の山々の緑の間に点在する山桜のそそとした風情がとても日本に似合うし好きだ。 
この頃伊豆の明るい海は初夏に近く富士山と良くつりあう。峠の雰囲気を好むがわけても箱根峠では源実朝でなくとも真鶴半島や相模湾駿河湾を見渡せば歌が幾らでも湧いてくるから不思議だ。海岸の白砂青松と潮騒は心を和ませる。

  
生けるごとくかえりて寄する今井浜さ夜ふけて見ゆ白きいぶきを

然し何と言っても新緑の素晴らしさであろう。三月、山々の眠っていた木々の梢にかすむ薄茶色のもやが四月にかけて次第に萌黄色となるのがたまらない。山々を眺め最高に楽しめるのがこの季節だ。生命の再生循環、新しい命の誕生か復活か。若い時には気づかない命溢れるものに魅入られる時だ。
この時期から登山は更に活発化する。何故なら新緑前線も北上するし山中のしたたる様な緑が直に楽しめるからだ。

五月の山々に就いて世界的女性登山家の田部井淳子氏は云う。春なら山梨県の鳳凰山[上には残雪、中ほどが一面のピンクその下が淡い蓬色の新芽で萌えている頃なんか世界中に回覧板を回して日本ってこんなにきれいなのよって教えてあげたい]と。私も幾度この思いをして登ったであろう。
山々の緑に圧倒され感激して白神山地のブナの里親に孫の名前共々登録した事もあった。されど東北には無いが新潟以南の松枯れが気にかかる。

六月、東北は出羽三山の月山神社に初めて登りし時。

    
     神道の髄を見たるかみ社に霧たちたるは神立ちませる

この時の荘厳を通り過ぎ神霊に触れた思いを忘れない。

七月八月は勿論北アルプス。可憐なる高山の花。涸沢のあの降り注ぐ様な満天の星の清麗さ。上高地、穂高連峰、立山連峰、そして白山の山々は厳しい友達だ。自分を鍛えてくれた友だ。富士山は眺める方がいい。山や峠に魅入られて早や四半世紀、一年に五十三日登山した四十代が懐かしい。

九月になると京都の北山とか比良山系、葛城金剛山系ときに台高大峰山となる。六甲山系は足のトレーニング地。六甲全山縦走五十六キロは本格登山へのパスポートであった。初期には植物図鑑を手に花や樹木を調べた懐かしい山々である。


十月は何と言っても東北は八甲田、八幡平、吾妻、安達太良、岩木山ついでに十和田湖近辺の山々の紅葉、痺れる様な奥入瀬。東北はナナカマドの赤が目立つ。黄色が特に鮮やかな八幡平。広葉樹林は生命の源、神々からの授かりものだ。

田部井淳子氏に云わせると東北の紅葉はもう神様の衣装ですと。西日本では黒部渓谷、大台ヶ原大杉谷はもう感嘆詞そのもの。中国地方は言うまでもなく我が鳥取県の大山。信州の空は白い雲が良く似合う。車山、横手山渋峠からの大展望は晩秋の晴れた日が素晴らしい。富士から北岳、木曽駒ケ岳そして北アルプス、後立山連峰の白銀は列島の中心を実感させる。軽井沢は夏も素敵だが夕方近く碓氷峠から見る妙義山あたりの重畳たる山並みには深いものがある。


何と素晴らしく美しい日本の山々であろうか。山も海も日本の自然は優しい。素晴らしい日本の自然と四季。さあ、春本番だ。山々が招いている。   完   徳永圀典