マネーウオーの敗戦 平成10年5月3日 日本海新聞潮流に寄稿

一九八〇年代(昭和六〇年代)が敗戦から丁度四〇年後で日本経済は絶頂期であった。昭和二〇年東京も大阪も広島も灰燼に帰し、國破れて山河ありと一億国民は呆然とした。東京は米国の爆撃で非戦闘の民間人が一夜に約一〇万人死亡し広島長崎は原爆で一瞬に二四万人死亡。日本は凡てを失い食糧難で餓死寸前。そこに海外から膨大な軍人の復員。満州から逃避行の方々。食うのに精一杯の時代であった。米国の食糧支援で生き延びた。戦争に負けたのは精神ではなく米国の物量作戦、即ち物に負けたと思った。米国占領軍のチョコレートとか缶詰の豊富さに圧倒された。
現在の国際的大企業も当時は零細企業で創業者達は夜も昼もなく働き苦心した。物に負けたと当時の国民は思い戦後の日本人は必死で物の克服を図ってきた。職人気質で物作りの伝統を持つ日本人は何処かの國のような手抜きはしない。営々と働いて働いて遂に世界一と言われる製造業を確立し戦前の安かう悪かろうから高級な日本製品作りに大成功。そして世界一の債権国となり国民の金融資産は千二百兆円に到る。企業も銀行も欧米で経済的脅威を与える迄に到る。戦後早々の一ドル三六〇円の国力から一時は百円を割る迄となる。


これを欧米戦勝国から見れば一八世紀の産業革命から世界を支配している自負がある。彼ら国際金融資本の主たちは何とかしなくてはと思っても不思議ではあるまい。日本の銀行やメーカーが暴れまくりこのままでは欧米は完全に締め出されると対抗策を編み出したと思う。日本型システムで企業のバックにいる日本の銀行の薄資に目をつけた彼らは自己資本比率即ちBIS基準なるものを暗々裏に考えだしたに違いない。

この時が実は新しい戦争の始まりであった。浮かれていた日本人は誰も気づかないでいた。一〇年後遂にその効果が表われ日本の銀行を徹底的に追い詰め打ちのめした。西欧は日本の敗北を確認したのかこの三月欧州の銀行家が自己資本比率八%は高すぎると修正を言い出した。


戦後四〇年で経済に勝利を得た日本に常に新しく高いハードルを設けて日本の勢いを殺ぐのが彼らの手法だ。日本は今やダウン寸前。先月、先進国蔵相会議で米国財務長官の満面の笑みと松永蔵相の無能な仏頂面は印象深い。欧米大メジャーは銀行も証券も通信も石油もマスメディアも支配している。
世論形成などお安い事だ。そして彼らの格付けビジネスでトドメを刺された日本株式会社。日本は所詮アウトサイダーだと痛切に思う。


日本は完全に峠を越えて確かに下り始めた。戦後営々として築いた汗の結晶が危殆に瀕している。ミクロで勝ってもマクロのマネーウオーで完敗。運用の下手な国家官僚と政治家のお陰で金融資産は大きく減価している。
世界一の金融資産を持つ國がカネで苦しみ、なすすべがない。世界一の債務国米国が日本のカネで繁栄を謳歌して笑いが止まらぬと言う現実。これは経済原理以外の要因が働いている。ここまでに到った原因は何か。親方日の丸の政治家、国家官僚の舵取りとタフなネゴの欠如以外の何物でもない。

彼らにマネーの苛烈さが分かっているのか。ここが欧米と違う。マネーとは命懸けのものだ。山一、北拓の破綻で無責任な大蔵省。中央銀行にあるまじき日本銀行幹部職員の情報漏洩。何をしていたのか。

国政各分野で國は自分で守るとの気概が欠けている。断固として国民資産を守るとの覚悟が果たしてあったのか。マネーの運用が親方日の丸ではなかったのか。かかる感覚では負けて当然。米国の属国として生きるしかない。言いたい事も言えず内政干渉も唯々諾々と我慢するしかないのが最近の実情だ。政治家たちの下手な鉄砲の発言で市場の不信も招いた。製造業で勝っても欧米の金融資本にしてやられた日本。通貨戦争は日本の完敗で終わった。


事ここに到れば第二の敗戦として出直しだ。平和な國のボンボンから野武士に豹変し欧米流の物差しで文句無い勝ち方をするしかない。それは実に多難だ。農耕民族はアグレッシィヴな狩猟民族には太刀打ち出来ぬという事であろうか。      完 
                    鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典