マスメディアの怪  平成10年6月3日 日本海新聞潮流に寄稿

 朝は新聞を読む事から始まる。わが日本海新聞やインターネットを含むと六ー七紙は読む。日本海新聞は先般の境線問題でも公平に見て反対意見を積極的に掲載した。社主自身も記者として記事するなど姿勢が極めオープンで主張が明快である。全国紙に見られない。田村記者が特報を書きまくりその見識の高さが反響を呼び同時に特別扱いだと反応があった。その批判的投稿も感心するくらい載せた。主張が明快且つ男性的気概に溢れ編集も毅然としている。だから記者諸氏の論調にも青雲の覇気が漲ってきた。特報効果で鳥取もガヤガヤと面白くなった。

 私はオピニオンリーダーとしての大マスメディアには失望している。踏み込み不足が多く且つ真の勇気を欠いている。全紙ではないが国内外の長いものに巻かれており勇気も無く知性の追求が及び腰だ。そして国民全体の利益を守る事をも諸般に亘り躊躇しているように感じる。何が言論の自由かと思う時もある。自社の利益が頭にあり過ぎて社会の木鐸性を放棄し一部の国民にこびている。ここを越えて知の啓発をしなくては欧米に追いつけまい。

@九州旅行の時、駅で新聞を買うがおかしいなと思うのは五大紙の産経が無い事だ。キオスクが悪いのか事情は知らぬが知る権利が侵されて何が言論の自由か。新聞協会が問題 にしていい。


A商業主義の為に一部巨大スポンサーに関するニュースとか批判が見られぬ事が多々ある 。

B憲法でも結果的に現憲法通りになるとしても戦後五〇年で時代は激変した。被占領時代 の憲法を自由に論議すらさせない一部の石頭にはバカバカシクなる。知性を放棄してい る。国民を愚弄している。タブー無しで大いに論議しなくては英知は生まれないし前進も無い。ここにマスメディアの欺瞞と偏向がある。ドイツでは戦後度々修正している。 これでは戦前の憲法以上に不自由だと云わねばならぬ。

C長野オリンピックで日本人が優勝した時、国歌と国旗掲揚の際に英語ではその旨放送し乍ら日本語では団体の歌、団体の旗と放送したらしい。こんな欺瞞があったのに私は産 経の江藤淳氏のコラムのみで知った。知らぬ人が多い。おかしい。マスメデイアも言わ ない。これが言論の自由か、言論制約だ。大マスメデイアはご都合主義の報道の自由だ。そんなメデイアは誰も信じない。ゴシップメデイアとも言われているのだ。国民が馬 鹿にされている事と同じ。戦前の軍部の統制と変わらない。戦前は国民の意識もマスコ ミも未発達で政府を十分監視出来なかった。今日かかる言論制約をするマスメデイアはより悪質と言える。


D一方で欧米の格付けビジネスのお先棒を無批判にかつぎ日本経済を自虐したマスメディア。不勉強なマスメディア、彼らは本質を良く考えないで目先の現象のみを追いかけるだけだ。


E人権問題はバランスが大切だと田村記者が特報で述べたが全く同感だ。被害者の人権無 視は甚だしいものがある。ジャーナリストの桜井よしこ氏が講師で招かれ乍ら中止したのは神奈川県か、あれは言論封殺だ。取りあげぬご都合主義。


F未放映CM料を詐取した某民間テレビ。いい加減なものだ。騒げばカネになる彼等の本質を知れ。

G沖縄の基地問題。沖縄新報の編集局長とか一部社民党議員が基地の一坪地主であるが報じない。利害関係ある民事被告人に一方的に相方の企業批判をさせるセンスの大マスコミ系週刊誌だ。沖縄でも陰に民の声も多かったが反対一色に報道する不公平は大マスコミの見識の無さか偏向か。一知事に日本全体の事を左右されてなるものか。
これでは国家 はバラバラだ。敢えてこれを意識させまいとする力が働いている。大マスコミにこれら の不透明な作用が存在すると思っている。表面に出ない所で論じられているのであろう。

欧米の主流世論を適時適切に報道し島国の情報閉鎖性を克服する工夫が足りない。政治家公務員、動燃の如き外廓団体同様責任者不明の大マスメデイア。ナンセンスに近い週刊誌群。新聞も個性的でなくては魅力に欠ける。日本海新聞のような地方紙が本音を言って面白い。市場経済同様、冷静にマスメデイアを批判する眼を育てなくては社会の悪化に加担してしまう。  完 
                      鳥取木鶏クラブ 代表 徳永圀典