安岡正篤先生 百朝集その3
平成18年3月
1日 | 興衰の原理1. |
夫れ道とは本に反り始に復る所以なり。義とは事を行ひ功を立つる所以なり。謀とは害を違り利を就す所以なり。要とは業を保ち成を守る所以なり。若し行・道に合はず挙・義に合はずして、而も大に処り貴に居らば、患必ず之に及ばん。 |
是を以て聖人は之を綏ずるに道を以てし、之を理むるに義を以てし、之を動かすに礼を以てし、之を撫するに仁を以てす。此の四徳は之を修むれば興り、之を廃すれば衰ふ。故に成湯・桀を伐ちて夏の民喜説し、周武・紂を伐ちて殷非らず。挙天人に順ふ。故に能く然り。 (呉子より) |
2日 | 興衰の原理2. |
呉子は古来孫子と並び称される兵書の代表作である。孔子の門人中でも篤学篤行で名高い曾子にも就いた魏の名将であり、楚の名相にもなった呉起の作というが、遥かに後人の手になつたものである。 |
そこでこの書を軽視する者もあるが、中々善くできた作で、軍事についても道義を重んずる人々の間には、孫子よりもこの書を取る者も少なくない。史記に孫子と併せて伝がある。 |
3日 | 興衰の原理3. |
呉起の伝に非常に教えられ所のあるおもしろい話がある。魏に仕えて盛名のあった彼が、宰相の選任に当たって自任していたところが、田文に定まつた。彼は大不平で、田文に詰問した。軍事にかけては君と我と、どっちが勝れているか。田文は言った、君にはかなわぬ。それでは行政財政にかけてはどうだ。田文それも君にかなわぬ。 |
外交にかけてはどうだ。それもかなわぬ。大いに得意になつた呉起は、然らば、どうして君は我を差し置いて宰相に任ずるかと詰め寄った。処が田文曰く、主上が若くて、外国は危ぶみ、大臣はぴつたりせず、国民は信じないという時、宰相の任は君にするか、我にするか、考えへこんでいた呉起は、きっぱり答えた。やつぱり君が宜しい。してみると彼も亦よくできた人物に相違ない。 |
4日 | 時代相1 | 朝に純徳の士寡く、郷に不弐の老乏し。風俗淫僻、恥尚所を失ふ。学者は老荘を以て宋となし而て六経を黜く。談者は虚薄を以て弁となし而て名検を賤しむ。 | 不弐(不弐の老、夭寿不弐、長生しようがしまいがそんな打算はせずに終始誠を尽くす長老の意味)、淫僻(みだりがましく、かたよつたこと。)、恥尚(恥づべきことと尚、貴ぶべきことが逆になっていること。)、談者(評論家)、虚薄(内容の空疎。)、名検(名分と規律)。 |
5日 | 時代相2. |
身を行ふ者は放濁を以て通となし而て節信を狭しとす。進んで仕ふる者は苟得を以て貴と為し而て居正を鄙む。官に当る者は望空を以て高しとなし而て勤格を笑ふ。(文選) |
放濁(でたらめ、やりつぱなしで不徳義なこと。)、節信(節操信義)、苟得(何でも取れるものは取ること。)、居正(正義に居ること。)、望空(虚位を擁すること。即ちロボットとなること。) |
6日 | 時代相3. |
これは独り晋時代の悪風に限らない。形こそ変われ、今日の日本も同様な時弊の耐え難いものがあるではないか。 |
この「風を移し俗を易へる。これにはどうしたらいいのか。結局政治家に偉い人物を出すことと、教学を改めることが一番早道であろう。 |
7日 | 亡国 |
秦は山西を以て六国を鏖にし万世に帝たらんと欲す。劉氏一命して関門守らず。武夫健将売降して後れんことを恐れしは何ぞや。詩書の道廃れて、人ただ利を見て、義を聞かざりしのみ。(李覯) |
ただ利ばかり見て、一向「義」を考えないのは今日も甚だしい。真の利は義の和であり、義が利の本であることを意外に気がつかなぬのである。 |
8日 | 花園天皇震記 |
今日寛平御記十巻一見し了んぬ。菅丞相等の臣下、多く諫を納る。この御記を見る毎に、只恨むらくは当代忠臣なく、不忠不直の臣万朝に多きを。朕、此の如き末代澆季の時に生る。これ不運なり。悲しいかな哀しいかな。臣下皆忠を存する人なし。況んや大忠をや。歎ずべく、悲しむべし。 |
英邁な天子の肺肝より絞り出た御記の一節。いつの代にも思いだすごとに恐懼を感ずる。 |
9日 | 神意 |
吾れ之を聞く、国の将に興らんとするや民に聴く。将に亡びんとするや神に聴く。 |
神は人次第である。人がその為すべき道を尽さずして、却って神助を求めて自他を瞞着しようとするは自殺的行為である。最も神を知らざる似而非敬神者流が神を弄んで日本を敗亡に陥れた。神意の畏るべきを深省せねばならぬ。菅原道真の歌に曰く、「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」。 |
10日 | 神鑒1. |
神有り茉に降る。恵王これを内吏の過に問うて曰く、これ何の故ぞや。対へて曰く、国の興らんとするや、明神之に降る。その徳を監るなり。 | 将に亡びんとするや、神又之に降る。その悪を観るなり。故に神を得て以て興る有り、亦以て亡ぶる有り。虞・夏・商・周・皆之れ有り。(左伝) |
11日 | 神鑒2. |
世に神を見たとか神の声を聞いたとかいう一種の神秘的経験を奇瑞として狂喜するものがある。それは必ずしも迷信とか精神病的現象として貶すべきものではない。人間は物質的な世界にありながら、無限に拡がってをる不可思議な世界に遊ぶことは出来る。然し、それは、中々以てそう簡単な虫の良い沙汰ではない。瑞祥だと思っておることが、案外不詳であるかも知れない。不詳ということは内心に対する警告である。 |
何事も自己の内心を通じて始めて真実の意義があるので、徒に外物を欲しがるかぎり、真実の意義はわかるものではない。その迷妄が無闇に瑞祥や不詳を作り出すのである。 |
12日 | 運・時・命・数1. |
治乱は運なり。之に乗る者あり。之を革むる者あり。窮達は時なり。之を行く者あり。之に遇ふ者あり。吉凶は命なり。之を作す者あり。之に遇ふ者あり。一来一往各々数を以て至る。豈に徒に言はんや。(文中子) |
文中子は少くして逝った隋の異色ある哲人で、門下から多くの国家的人材を出した点に於いてどこか吉田松陰を偲ばせるものがある。 |
13日 | 運・時・命・数2. |
治乱とか、窮達とか、吉兆とかは、どうにもならぬ運命的事実であるように俗人ほど思ひがちである。 「あに徒に言はんや」というその徒言とは、そういうことを簡単に運命と決め込んで語ることである。 |
人間には機械化する傾向と創造する能力とがある。理性が薄れ、内省や努力を失うほど、人間は機械化して、個人の窮達も、国家の治乱も、すべて人事の吉凶は決定的・他律的になつてくる。群集の中に堕してしまつたり、紛糾する利害の中に捕えられてしまうと、段々そういう風になる。 |
14日 | 運・時・命・数3. |
独自の、隠れた、容易に他から解らない内面生活は、之に反して独創性の源泉である。これこそ人格の独立を堅持し、精神の自由、境遇の創造を可能ならしめる。「運」とか「時」とか、「命」とかは、皆それ自体創造の営みを言うのであるが、それに「乗る」とか、「遇う」とか、「遇う」とかいうことは、つまり偶然的、機械的な行為、自主性の無い、行き当たりばったりのことを意味する。「革む」とか、「行く」とか、「作す」とかは、之に反し | て自主自由の行動である。 治乱も窮達も吉凶も畢竟人次第で、あるものには宿命、同じことが他のものには自由である。大きな国家の難問題でも、遠大な見識や勝れた手腕のある政治家があれば無事に解決するし、平凡或は愚劣な政治家が当たると、破滅に陥れてしまう。彼らはそれを運命の悲劇というであろう。然しながら達人は自業自得の顰蹙する。そういう因果の関係を数というのである。よく数に通じて、現実の裏表を熟知すれば相当に予言も当たるものである。 |
15日 |
ファウストの嘆1. |
はてさて俺は、ああ哲学も 法学も、また医学もなくもがなの神学も 一心不乱に勉強して、底の底まで研究した さうして、ここにかうしてをる。 |
憐れな愚かな俺だ そのくせ何にもしなかった昔より少しも偉くなつてをらぬ そして俺などに何がわかろうかと、さう自分で知っている!それを思へばこの胸がはり裂けそうだ。(ゲーテ) |
16日 |
ファウストの嘆2. |
こに知識人の変わらぬ悲哀がある。いくら神学を勉強しても信仰が深くなるわけではない。或は段々神から遠ざかるであろう。いくら科学を研究しても、安心立命が得られるわけではない。或いは自己を喪失することもあろう。魂の感動に基づかねば真の生命を得ることはできない。日本近代の哲学界に最も高名であった西田幾太郎教授が晩年禅に入って、余が禅を学の為になすは誤なり。余が心の為、生命の為になすべし。見性までは宗教や哲学の事を考へずと言ひ |
「世をはなれ、人を忘れて、我はただ、己が心の 奥底に住む しみじみと この人の世を 厭ひけり けふ此の頃の 冬の日のこど 運命の 鉄の鎖に つながれて 打ちのめされて 立つ術もなし」と詠じているのは、知識人に対する好い教訓である。学問文化が栄えて、文明は人は衰退の影を長くし、世界の人類は滅亡の脅威にさらされている。政治はいかにすれば人を救ふことができるであろうか。国際連合も駄目であった、国際連合もその前途を甚だ危ぶまれている。 |
17日 | 大神宮参詣1. |
当宮参詣のふかき習は、念珠をもとらず幣帛をもささげずして、心にいのるところなきを内清浄といふ。潮をかき、水をあびて、身にけがれなきを外清浄といへり。内外清浄なりぬれば、神の心と吾心と隔てなし。既に神明と同じければ、何を望みてか祈請の心あるべきや。これ真実の参宮なりとうけ給はりしほどに、渇仰の涙とどめがたし。(坂土仏・大神宮参詣記) |
大神宮は世俗の宗教の様にご利益など祈請にゆく処ではない。末世的に汚れ枉がった自分を正直・清浄に返して、天地の大生命との冥合を祈る霊場である。神道史上最も貴重な大著といわれる、類聚神祇本源十五巻は渡会(村松)家行の著といはれる。これに神道の玄義を説いて「志す所は機前を以て法と為し、行ずる所は清浄を以て先と為す」と説いている。 |
18日 | 大神宮参詣2. |
神道は現代の言葉を借りて言えば、常に永遠の今に生きる。今という永遠の時点に立つ。故に神世は今に在り、今亦神世に在る。天地開闢、万物造化の機であり、機前を元とし本とする。その元本を離れ、違背して、天地人間の純粋な自律的統一体たることを無視し、己私を恣にするところに、後世のあらゆる迷ひ・罪・汚れを生ずる。元来人は万物の霊長であるから神物である。その人の心といふものは神明である。万事は一心より起る。元に元し、本に本づき、本心に任じて、正直清浄なれば、神人合一して自由自在である。もっさとやさしく言ふと、村 | 松家行の語に「神気を嘗む」(神道簡要)といふことがあるが、実に良い。 |
19日 | 死土産 |
秦山翁西村新五衛門へ学談の序に、貴殿よく合点して、死土産を拵へる様にめさるべし。随分博学多才にならるる。神道も天文も詩文歌学もなる事也。さて、それを人にふけり高ぶるもの多し。然れどもその分にては大切なる用にたたず。死ぬる時持て行かれず。死ぬる時は皆跡へのこりて、我は大に苦をかいて死ぬる也。さるによりて人中へ出る事もならず。油もなくて夜分に書物一冊見ることもなきほどの事にても、くらがりに黙然として居ても、少しも淋しうもなく、心面白く居ると云楽のなきは、いかほどの物しりでも本の事にてなきと示されしと也。(秦山語録) |
谷秦山は土佐出身、野中兼山の遺風を慕い、山崎闇斎に学ぶ。 南学を中興し、卓然として国体を闡明し、その学識節行共に敬迎すべき哲人である。 聊かの学問気節を以て却って我見を立て、自ら高しとして、漫に人を罵り世を憤るものが多いが、それこそ自らの外道に堕せるものである。 達人は常に寂然たる裡に悠々たる和気を含んでいる。秦山の此の語の如き実に肝に銘ずべき有道の言であるる。 |
20日 | 決定力 |
法然上人曰く、一丈の堀をこえんと思はん人は一丈五尺をこえんとはげむべきなり。往生を期せん人は決定の信をとりて、しかもあひはげむべきなり。(一言芳談) 決定の信とは、たとへば法然上人に対する親鸞上人を見るがよい。歎異抄にいふ。親鸞聖人門徒に向ひて曰ふ、各々十余箇国の境をこえて、身命をかへりみずして尋ねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生のみちをも存知し、また法文等をも知りたらんと、心にくくおぼしめしおはしましてはんべらんは、大きなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学匠田地お知らせします。 |
とほくおはせられさふろふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して弥陀に救けられまゐらすべしと、よき人のおほせをかうぶりて信ずるほかに、別の仔細なきなり。念仏はまことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん。また地獄に落つる業にてやはんべるらん。総じてもて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまゐらせて、念仏して地獄に落ちたりともさらに後悔すべからずさふろふ。そのゆえは自余の行もはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまをして地獄に落ちてさふらはばこそ、すかされまつりてといふ後悔もさふらはめ、いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。 |
21日 | 信心 |
飢へて食を願ひ、渇して水をしたふが如く、恋しき人を見たきが如く、病に薬を頼むが如く、みめかたち良き人、紅白粉をつくるが如く、法華経には信心を致させ給へ。さなくしては後悔あるべし。(日蓮上人南條時光に与ふる書状) |
道徳や信仰は上人の言葉通り本能的にならねば本当ではない。もつと極言すれば、我々が空気を呼吸し、水を飲むように自然にならねばならぬ。御利益があるからだの、人が言うからだというのでは、為にするところある不純なものである。文明人がかうならねば、文明は罪悪であり無意義である。 |
22日 | 生前未了事 |
浩気還太虚(浩気 太虚に還り)、丹心照万古(丹心万古を照らす)、生前未了事(生前 未だ了へざりし事は)、 留興後人補(後人に留興して補はしめん) |
明末の烈士楊椒山の最期の詩。一誦楕夫を起こしめるものがあるではないか。わが身微なりと雖も、天地造化の浩然の気の所産である。一心は恒星の光にひとしい。身は宇宙に還り、心事は永遠に留めようではないか。 |
23日 | 六然 |
自ら処すること超然。 |
これが出来たら真の自由人、我々はとかく自処紛然。処人冷然。有事茫然。無事漫然。得意傲然。失意悄然。とでも言うようなことになつて、ここに言うように自分には一切捕われずに抜けきってをり、人に対してはいつもなごやかに好意を持ち、何か事あれば活気に充ち、事が無ければ水のように澄んでをり、得意の時はあっさりして、失意の時もゆつたりしてをるという事は、余程の修練を要する。「随処に主となれば、立処皆真」こうなねばならぬ。 |
24日 | 秘罪 |
人の善を聞いて而て之を掩覆し、或は文至して以てその心を誣ふ。人の悪を聞いて而て之を播楊し、或は枝葉して以てその罪を多くす。これ皆罪を鬼神に得る者なり。吾が黨之を戒む。(呂新吾) |
掩覆(覆い隠す)。 文致(かざること)。 播楊(故意に宣伝する。) |
25日 | 五不是 |
息候鄭を伐つ。君子是を以て息の将に亡びんとするを知る。徳を度らず。力を量らず。親を親しまず。辞を微かにせず。有罪を察せず。五不?を犯して而て以て人を伐つ。その帥を喪ふや亦宣ならずや。 |
これも亦今度の戦争に於ける日本を反省させる好教訓である。今更のようにひしひし身にこたえるではないか。この中特に「親に親しまず」ということは今も日本の奇怪な世相である。日本人が日本という親を親しまないで、日本のアラ探しばかりして得意がり、遠い中共やソ連や、或いは米英仏に親んで、アジアのことはとんと親しまない。何という飛び越えた話か。徳を度らず、欲ばかりではないか。力を量らず、野望を抱いてはいないか。辞を微らかにす、即ち言い分を明瞭にすること、大義名分を立てることを怠っていはしないか。有罪を一向罰することが出来ず、無頼漢に横車を推させっぱなしではないのか。それでは亡びる外ない。 |
26日 | 一樹の下 |
或は一国に生まれ、或は一郡に住み、或は一県に処り、或は一村に処り、一樹の下に宿り、一河の流を汲み、一夜の同宿、一日の夫婦、一所の聴聞、暫時の同道、半時の戯笑、一言の会釈、一坐の飲食、同杯同酒、一時の同車同畳同坐、同牀一臥、軽重異あるも、親疎別有るも、皆是れ先世の結縁なり。(説法明眼論) |
聖徳太子の作と伝えられる明眼論、本邦古代の著書として内外の古書に引用されている。 |
27日 | 死生の道 |
黄門光圀卿、諸子弟を喩して曰く、汝曹年少、一旦緩急あらば皆当に勇を奮って而して首を馬前に隕さんことを思あべし。然れども危に臨んで死を致すは士の当分なり。血気の勇は盗賊猶ほ之を善くす。汝曹に望む所以に非ざるなり。士の士たる所以は死の難きに非ず。死に処するを難しと為す。生くべからざるして而も生き、死すべからずして而も死す、皆道に非ざるなり。然らば則ち何を以てか之に処せん。聖賢の学を講ずるに在るのみ。(義行実) |
当分(士の分際としての当然のこと)。特攻隊は誠に感激に堪えぬが、之を国内でいやに扇情的に賛美した者が多かった。流石に出来た隊長は一人でも特攻隊員を出さぬことに苦労したものである。死の覚悟ができたら、今度は生きる工夫が大切である。不惜身命の故に但惜の身命である。以て生くべくして而て死し、以て死すべくして而て生く。これは道を知る人間のみ存する深理であり有情である。 |
28日 | この二仏 |
爾時に仏有り。未だ出家したまはざりし時、小国の王たり。一の隣国の王と友たり。同じく十善を行じて衆生を饒益す。其の隣国の内に有らゆる人民多く衆悪を造す。二王議り計って広く方便を設く。一王発願すらく、早く仏道を成じて当に是の輩を度して余り無からしむべしと。一王発願すらく、若し先ず罪苦を度して是をして安楽ならしめ、菩提に至ることを得しめずんば、我れ終に未だ成仏を願はずと。一王発願して早く成仏せん者は即ち一切智成就如来なり。一王発願して永く罪苦の衆生を度して未だ成仏を願はざる者は即ち地蔵菩提是なり。(地蔵菩薩本願経) |
法華経の行者を日蓮とすれば、この地蔵経の行者に隋の信行がある。信行は真に慈悲の化身であちた。彼は4歳の頃、巳に牛車が泥道にはまりこんで、牛が苦労しているのを見て悲泣した。そして車の後押しをしてやろうとしてきかなかった。頭もずば抜けて良く、創見に富んだ。夙く出家して群経を渉蝋したが、教は時に応ずべきものであることを確信して、遂に三階の新義を唱道した。それはシナが南北の別れて長く続いて悲惨な争乱と、文字通りの地獄の苦に悩んだ社会民衆の生活から生れた最も深刻な活きた宗教であった。仏とすれば彼は全く地蔵菩薩であった。「大方広地蔵十輪中経」が最も力強く彼の人格を感化したものである。この人とこの宗教との伝はらぬことを私は深く惜しむものである。 |
29日 | 死は是の如く1. |
虚空落地(虚空 地に落ち)、火星乱飛(火星 乱れ飛ぶ)、倒打筋斗(筋斗を倒打して)、抹過鉄圍(鉄圍を抹過す)。土佐の絶海和尚の遺偈である。虚空地に落つ、天と地と一つである。火星は五行の火星でなく、文字通り赤熱の星と解すべきであろう。筋斗は「とんぼがへり、もんどり」である。倒打の倒は「さかさま」とか「倒れる」意味でなく、ものごとの激しい動作を形容する意味で、倒打筋斗は激しく「もんどり」打ってといふことである。 |
抹過は「すれすれ」に過ぎる意。鉄圍とは、佛経説話に有名な須弥山物語に出てくる山の名である。須弥山は蓮の種の形に似た宝山で、仏法及び世間を守護する諸天善神の居住であるが、その周囲に七つの金山と、それを囲む七重の香水の海があり、その一番外輪の海は塩水で、その海中に人間が住む州があるるその海の外を囲んでいるのが、鉄圍山で、この山すれすれに激しくもんどり打って落ちるのは奈落の底である。多分底をつきぬいて大虚空に消え了ふであろう。いや実に豪快である。 |
30日 | 死は是の如く2. |
夢幻空華(夢幻・空華)、六十七年、白鳥湮没(白鳥湮没して)、秋水連天(秋水・天につらなる)。天童正覚臨終の偈である。何という美しく、清く、大きく、神秘な作であろう。若山牧水の歌に「白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まず漂ふ」といふのがあるが、これに比べるとまだ問題にならない。夢か幻か、病眼に浮ぶ幻の花か、わが六十七年の生涯よ。いま我れ世を去るその様は、くつきりと、空の青、水の青にも染まず浮んでいた白鳥が、一瞬その影を没して、水や空、空や水、ただ水天一碧の如きである。 |
天童正覚は有名な宏智禅師、南宋曹洞禅の大宗である。師は浙江の天童山に住むこと30年、従学するもの千人を越え、道化四方に振うた。彼臨終の前、下山して諸方の檀家に別を告げ、山に還って衣食平常に変らず。 10月8日沐浴して衣を更へ、端座して筆を執り、大慧に後事を嘱し、この偈を書いて筆を措き、そのまま遷化したのである。彼は生滅を超えた純一玄妙の一心を以て自我とし、随処に解脱し、歩々光明の中を行くを旨とした。王陽明は臨終に遺言を問ふ弟子に向って、此心光明、亦復何をか言はんやと語って永眠した。 |
31日 | 百朝集の百章の文字 |
瓊謡一百字 千古見清機 (唐・呉融) |
この一百の文字、古来の哲人賢者の語は、まことに人間精神の至宝であり美玉(瓊謡)である。もしよく之を実践に応用すれば、慾では解らぬ不思議なはたらき (清機のあることが実験できるのである。) |