格言・箴言 安岡正篤先生 百朝集その4(最終編)

 1日 世の中を夢とみるみるはかなくも猶おどろかぬわが心かな
西行法師・山家集


人間だんだん驚かなくなる、即ち純真熱烈に感じなくなる、麻痺してくる。善にも、また悪にも、何ともなくなって来てをる。夫婦親子兄弟が殺傷する世の
中を20世紀人は案外平然としてをる。人類が何千年もかかって漸く造りあげてきた文明が恐ろしい破滅に瀕してをるのに、文明人がそれを驚かない、恐れない。驚く自我を喪失してをる。「我々はみな、我が名を知ってをるが、その我そのものを知ってをるであろうか」
 2日 衆人

炎涼の態、富貴更に貧賎より甚だし。妬忌の心、骨肉尤も外人より(はなは)だし。此の処若し当るに冷腸を以てし、御するに平気を以てせざれば日々煩悩障中に坐せざること(すくな)し。(菜根譚)

炎涼(あついと、ひややかなると、即ち人間生活に於けるいざこざをいう。金持ちは虚栄が強くて貧乏人より関係がうるさい。)、狼(ねじけてひどいこと。)

 3日 通病

世人の通病、事に先んじては体怠り神(くら)し。事に臨んでは手忙しく脚乱る。事を()へては意散じ心安んず。これ事の賊なり。
(呂新吾)呻吟語

誠によく穿っている。平生に修養を積まねば結局こういうことで終わってしまう。これでは幾ら経験を積んでも何にもならない。まして大事は成せそうにもない。戦後の世界の混乱も、国府中国にしても、イギリス・フランスにしても、アメリカにしてもそうだ。戦争が済んで、やれやれと思った途端、心に緩みが出来てしまい、つまり「意散じ心安んじ」て、新しい侵略勢力に対する注意も備えも等閑にしてしまつた。つまり「体怠り神昏(こころくら)かった」のである。いつも問題が起きてから大騒ぎするばかりでは、ろくな始末もつかぬ。
 4日 大患 中村は田舎にて候へども、高知も又都にては無之候。五十歩の事にて、うら山とき事無之候。只少しにても精力有中に書をよみ習ひ不申、道をさとり不申、老大に至り何の楽も無く、づき死に死候事、是俗人の大患にて候。ここに心得有之候はば、中村は申すに不及沖島にても都たるべく候。少々にても心得あれば、一日の日も面目く暮す所有之候。油断有まじく候。
(谷泰山)
中村は土佐の田舎、沖島は宿毛湾の小島。五十歩百歩の意味。づき死、土佐の方言、徒に死ぬ意。田舎暮らしで師の教えも聞けないとぼやいたのに対する泰山の返書。西行「さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里」、人間は中々寂しさに耐えられないもので大衆の中に蠢いてくだらぬことに空しく過ごし勝ちである。「独を楽しむ」「閑に耐える」とは余程の修養を積まねばできることではない。それには矢張り、細かに山水を観じて楽しみを得ること、読書尚友を楽しみ得ること、「書外、交を論ずれば睡最も賢」というような心境を愛して行かねばならぬ。
 5日 好煩悩1. 貧にして客を享す能はず、而も客を好む。老いて世にしたがふ能はず、而も世に維がるるを好む。窮して書を買ふ能はず。而も奇書を好む。(酔古堂剣掃)


貧士の客好きは実に多情である。何も無いのに、むやみに酒飲ませたがり議論したがる。
またそれが嬉しくて同類が肩を聳やかして押しかける。こういう家の妻君が大抵良くできてをるものである。そして一生苦労して報いられることもなく、しかも満足して死んで行くのである。主人公は老来益々世間と逆行して、見るもの聞くもの面白くない。その癖、白眼超然としてはをれなくて、その癪な世の中が気になつてならぬ。
 6日 好煩悩2. そういうのに限って、たまたま銭を持たせると、又しても財布を逆様にして本を買ってしまふ。いや、そうでなければつまらぬ男に相違ない。面白い人物といふものはさういうものなのである。近来こんな人物が段々少なくなって来てをることは事実である。所謂、チャッカリした奴が多い。こんな輩は世の中の蠅みたいなものだ。

たのしみは とぼしきままに 人集め 酒飲め物を 食へといふ時(橘曙覧)

世の中に 同じ心の 人もがな草の庵に 一夜語らむ(良寛)

魂合へる 友と語れば 悪しざまに 言はるるさへも をかしかりけり(黒川真頼)

 7日 人間十句
(古川柳)

のんびりといつもどつても親の家
寝ていても団扇の動く親心
母親はもったいないがだましよい
もちっとぢゃ子で辛抱をする女房
むりやりにこの事たのむのはそなた
女房に負けるものかと馬鹿が言ひ

こまっかいくせにあらいは人使ひ
使ふべき金な使はれ老いにけり分別の四十に遠き三十九
神仏の手前勝手を申し上げ

川柳とは元来、浅草の柄井八衛門の雅号、民衆の生活と人間味を余す処なく表現した文芸は他にあるまい。
世界にもあるまい。

 8日 処世1.

仁に過ぐれば弱くなる。

義に過ぐれば固くなる。

禮に過ぐれば諂となる。

智に過ぐれば嘘をつく。

信に過ぐれば損をする。

気長く心穏かにして、萬に倹約を用て金銭を備ふべし。倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり。此の世に客に来たと思へば何の苦労もなし。朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。元来客の身なれば好嫌は申されまじ。今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶して、しゃばの御暇申すがよし。(伊達政宗)
 9日 処世2.

多感の質を戦国の乱裡に鍛え、悟道に精進した政宗の面目躍如たるものがある。此処まで徹底して考へ、そして実行して行かねば、群雄の中に於て国を保つ事は困難であった。彼らこそはまぎれもなき常在戦場であった。寸刻の油断も出来なかった。かく人間が真剣になればなる程而して一方理想に燃ゆれば燃ゆるほど、己を責めざるを得ない。さすれば必然神仏に帰依して道を求めざるを得ないようになる。昔の名ある武将に皆かかる経路によるこまやかな内面的磨練があり、そして此の磨練が又

戦場に於ける剛勇となる。この点が大いに学ぶべき点である。苦労人といふ点に於いては政宗以上と思われる家康も、亦政宗と同じような家訓を残してをるが、参考の為に記して見よう。「人の一生は重荷負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず、不自由を常と思へば不足なし。心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害其の身に到る。己を責めて人を責むな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
10日 腹を立てぬ呪文1.

おんにこにこ はらたつまいぞや そはか




明治初年、禅門の老宿西有穆山がある老婆に教へた真言陀羅尼である。支那最古の医書、上古天真論に、人間万病の根源は一「()()の字にあるとしてをる。

西洋の医学者は、精神と肉体との間に非物質的な交互作用が行はれてをり、例へば、肉体に対する情緒の反応を物質化して証明することに成功してをる。ワシントンの心理学者エルマー・ゲイツ氏は汗と呼吸とについて、精神状態が肉体に及ぼす化学的変化を明らかにした。怒ると汗がひどく酸性になる。ゲイツ氏は汗の化学的分析から情緒の表を作り上げた。又、各精神状態は夫々腺や内臓の活動に化学的変化を生じ、これによつて作り出された異物を呼吸や発汗により体外に排出することを証明した。
11日 腹を立てぬ呪文2.

液体空気(圧力を緩めて蒸発させると零下217度まで下がる)で冷却したガラス管の中に息を吹き込むと、息の中の揮発性物質が固まり、無色に近い液体となる。この人が怒ってをると、数分後に管の中に栗色の滓が残る。苦痛或いは悲哀の時は灰色、後悔してをるものは淡紅色になる。この栗色の滓を天竺鼠に注射すると必ず神経過敏になり、激しい嫌悪の情に駆られてをる人の息の滓なら、数分後で死んでしまふさうだ。一時間の嫌悪の情は80人を殺せる毒素を出し、この毒素は従来の科学の知る限りの最強の猛毒であると。

おんにこにこ 腹立つまいぞやそはか

「そはか」薩婆詞・蘇婆詞、多種表記されている。すべて「そはか」と読む。真言の結句で、色々と深意を含むが、巳成の如来と自己本有の菩提心を驚覚する意味が最も強い。
12日 雅俗

雅俗ということなど、よくよく弁知すべきことなり。雅は正なりとあり。たたせしきをいふなり。人の心まことありて、自然と慇懃に、目だたぬやうに、会釈しほらしくすべし。博識多才といふことも、それは自分の内証事、人中にてはその時そのむれによりて一応の興をやぶらず、人のするやうに我もして、和を第一と心得たるが雅なり。それにたがへば俗なり。(趙陶斉―長崎に住んだ日シナ混血児)

雅俗(今日の文化的非文化的、或いは教養の有無に相当する語)。世には雅ならんとして厭味になるのが実に多い。文明文化亦然り。総て自然を尊重せねばならぬ。謙虚を旨とせねばならぬ。「博識多才といふことも、それは自分の内証事」といふあたり、おのづと点頭させられる達道の句である。「頑石も点頭す」とは此辺のことであろう。

13日 君と我

樽酒相逢ふ十歳の前 君は壮父たり我は少年 樽酒相逢ふ十歳の後 我壮父たり君白首我が才・世と相当らず鱗ををさめ(はね)をゆだねるはまた望むなし当今賢俊皆あまねく行く君何すれぞ亦遑々たる 杯めぐつて君に到る手を(とど)むるなかれ万事を破除するは酒に過ぐるなし(韓退之)

一気呵成の概があり何人も一誦して眉を開くものがある。「当今賢俊皆あまねく行く 君何すれぞ亦遑々たる」など、上手に世を渡る秀才や腕こき連に対して世渡りの下手な、苦労性の理想家が一向に報いられる時の無い不遇をさして実に妙味があるではないか。まあ飲むさ、君。
14日 時世と朋友

世衰へ、俗下り、友朋中、平生最も愛敬する所の者と雖も、亦多くは頭を改め面を換へ、両端の説を持して以て俗の容るる所を(ねが)う。
意思
(はなは)だ衰颯・憫むべしと為す。吾兄の若きは真に道を信ずる之篤く、徳を執る之弘しと謂うべし。何ぞ幸なる、何ぞ幸なる。
(王陽明)

終戦後の世相を経験した者で、これを読んで感動せぬはなかろう。この男がと思ふ者までぐらぐらして、とんでもないことを言ひだすのを、心のほどが見えすいて何となさけなく思へたことであろう。「意思(はなは)だ衰颯・憫むべしと」とはこのことである。さふいう連中に限って、終始一貫わが所信を守って勉強してをる背骨のしっかりした(刻励自立)者を頑固だの、迂遠だの、古くさい(迂腐)だのと俄かに非難しだす。王陽明の文がある。「向に吾が成之に郷党中に在るや、刻励して自立する。衆皆(そし)り笑うて以て迂腐(うふ)と為す。成之・為に少しも変ぜず。僕時に()愛敬することを知って、衆の非りに笑ふに従はずと雖も、然も尚未だ成之の得がたきこと此の如きを知らざるなり。今や、成之の得難きことを知れば則ち又朝夕(とも)にするを獲ず。(あに)大いに(うら)むべきに非ざらんや。「かういふ人こそ万人の友になれる」のである。
15日 大丈夫の

海潤うして魚の躍るに委せ、天空しうして鳥の飛ぶに任す。大丈夫に非ずんば此の度量ある能はず。衣を振ふ千(じん)の岡、足を(あら)ふ万里の流。大丈夫に非ずんば此の気節ある能はず。珠・澤に蔵まりて自ら(うつく)し。玉・山につつまれて(ひかり)を含む。大丈夫に非ずんば此の薀籍(うんしゃ)ある能はず。月は到る梧桐の上、風は来る楊柳の辺。大丈夫に非ずんば此の襟懐ある能はず。
(林羅山)

(情を含んだ趣)、薀籍(内容・含蓄)、自然を通じて深い真理や道徳を発見し、また真理道徳を自然に託して生活を芸術化しようとするのが東洋的学問修養の奥旨である。この心胸を養うことができたら世の中は何と自由闊達なことであろう。柔道の勝負に、相対して一歩を踏み出すは、あだかも「夕顔の開くが如く」といひ、弓を射るに、矢を放つは「稲の葉露のこぼるる如く」といふなど、此等を道境といふ。理の極地である。
16日 小人と君子 小人の豪傑を顛倒するを怪しむ。顛倒に慣れて(まさ)に小人たるを知らず。君子が世の(せつ)()を受くるを惜む。惟だ折磨されても乃ち君子を見るを知らず。 つまらぬ人間が偉い人物を手玉にとるのは最初変に思われるが、人をまんまとひっかけるのが小人で、それが珍しくなくなるにつれて本人が小人たることが分からなくなる。否却ってあれは中々政治家であるとか、やり手であるなどといふことになる。立派な人物が世の中に苦しめられているのは残念なことであるが、苦しめられるほど立派な人物になることはそれほど考へない。
17日 大自在1

天・我を薄んずるに福を以てすれば、吾れ吾が徳を厚うして以て之をむかふ。
天・我を労するに形を以てすれば、吾れ吾が心を逸して以て之を補ふ。
天・我を厄するに遇を以てすれば、吾れ吾が道を
(とほ)して以て之を通ず。
天・我を苦しむるに境を以てすれば、吾れ吾が神を楽しませて以て之を
()ぶ。
(菜根譚)

逸し(身体の労を補う)

(運良く物事がゆくこと)

(行き詰まらぬように道を通じてゆく事)

(逆境を意味する)
18日 大自在2.

浅薄な、従って深い人格の自主的自由力も持たない人間は、少しうまくゆくと好い気になって直に行き詰まる。少し苦しくなると忽ち疲れ衰えてしまふ。人物が出来るに隋って自己をも環

境をも自由に創造し支配する。宇宙も斯の人をどうすることも出来ない。この大自在など一寸聞けば何だか大変な難事の様に思われるが、実はごく平凡なことなのである。
19日 五悪字

字を以て親に奉ず。字を以て世に処す。(らん)字を以て俗を避く。字を以て書を読む。字を以て道を愛す。
(格言聯壁)

(こびる)、とか(むさぼる)、とすいふ此等の文字は普通悪字とされてをるが、なるほどかうも逆に活用されるものと感心せざるを得ぬではないか。親には出来るだけ御機嫌とるがよい。

世間の事には「」いがよい。脂っこいのはうんざりする。俗を避けるには「(なま)」け者もよい。出世も面倒、恋愛も面倒でーといふ愉快な怠け者が知人にをったが、そんなのに限って読書には貪欲である。道に対しては何によらずと見られるまで徹してゆかねばならぬ。桜痴・梅痴・石痴・これ等の痴は皆宜し。
20日 六錯

奢を以て福ありと為す。詐を以て智ありと為す。貪を以て為すありと為す。怯を以て守ありと為す、争を以て気ありと為す。(いかり)を以て威ありと為す。
(格言聯壁)

世事は往々顛倒錯覚され易い。豪奢な生活必ずしも幸福ではない。世の人は豪即福と錯覚しがちである。深省すべき問題である。威張りたがる人間に限ってよく人を叱りつける。六錯実に世間の俗情を穿っている。肉欲を以て神聖とし、堕落を以て文化とし、流行を以て進歩とし、道徳を以て反動とし、闘争を以て正義とし、ソ連を以て祖国となすなどは現代の六錯か。
21日 六知

静座して然る後平日の気()けるを知る。黙を守りて然る後平日の言(さわ)がしきを知る。事を省いて然る後平日の心忙しきを知る。戸を閉して然る後平日の交(みだ)りなるを知る。欲を寡うして然る後平日の病多きを知る。情に近づきて然る後平日の念、刻なるを知る。(格言聯壁)

今の知識人は外物を知ることを知って、内心を知ることを知らない。技術者は外物を操作することを知って、自己を左右することを知らない。我々はかういふ風に時々反省し操作して、往々失ひ易い真実の自己と生活とを保全しなければならぬ.
22日 秋の思

秋の夜を 寝られぬ人の 尊さよ(新六)
秋の色の 白きはこれか 今朝の露(正俊)
秋光の しみ入る土を 耕せる
(川口進)
思ふことさしてそれとはなけれども 秋の夕を心にぞ問ふ
(宮内卿・新古今)

古より秋に逢へば寂寥(せきりょう)を悲しむ 我は言ふ秋日・春朝にまさると 晴空一鶴 雲を俳して上る すなはち詩情を引いて碧霄(へきしょう)に到る (唐・劉菟錫)
23日 忠勤の二字

人事を以て天と衡を争う、忠勤の二字より大なるはなし。

能く心肝を
(ひら)いて以て至尊に奉ず。忠にして智亦生ず。

能く筋骸を苦しめて以て大患を
(ふせ)ぐ。

勤にして勇亦生ず。

近世賢哲・力を此の二字に得る者
(やや)人に乏しからず。
忠の平日に積むは妄語せざるより始む。
勤の平日に積むは晏起せざるより始む。

(曾国藩)

(天と軽重を争う意)、頗(ここでは、ややの意)。曾国藩はいつも言う、朝・目が覚めたら寝床の中でぐづ゛ぐづするなと。司馬温公曰く、修養は、でたらめを言わぬことから始めると。「人事を以て云々」は、人間に重要なことは沢山あるが、天より観て、即ち公平なところ、一番重要なことは忠と勤とだということである。忠とは真心から至尊の為に尽くすことである。すべて自分が大切と思うもの、尊しとするところのものに、身を捧げて努力するのは忠である。理想に向かって精進するのが忠である。これこそ人類進歩の根本道徳である。忠の否定は個人主義、利己主義、享楽主義、拝金主義であり、利害と理屈と闘争とになつてしまふであろう。
24日 易簡而天下之理得矣。
(易経繋辞上伝)
簡潔は智慧の妙諦なり。(シェークスピアーハムレット) 冗長になることは、いつでも容易であるが、簡潔にするには容易ならぬ努力が要る。圧縮し要約しそして最後はきりつと緊める。(仏・アラン)
25日 免許の腕前 剣術の免許を取りたりといふ人は斬らるる程の腕前になりたりと心得べし。

この上一段刻苦修行せば万一の際人に斬られざる境地に達すべし。

元来免許にも至らぬ者は身の及ばざるを知るが故に人に斬らるるが如き事をなさず。

是を以て免許を得し程の者乃ち人に斬らるるなり。

(三浦平内―水戸の名剣士)
真に道を得た人の言葉である。これはひとり個人の修行問題に限らぬ。日清日露の戦争にどうやら免許を取った日本人は「この上一段の刻苦修行」をしなかつた為に到頭他に斬られるようなことになつたのではあるまいか。剣聖と言われた上泉伊勢守が廻国中、一日ある町で凶暴な武士が明き家に逃げ込んで、怒号しているのを里人が遠巻きにして騒いでいる処に通り合わせて、わざわざ僧体を装ひ、近づいて難なく取り押へたといふ有名な逸話がある。真に達した名人といふものに共通した用意である。
26日 三間 学ぶ者酒を縦にし、娼に宿し、賭博の当に戒しむべきを知るも、間話を説き、間書を管するの尤も当に戒しむべきを知らず。前の三事は固と下流の帰。梢々自ら愛するを知れば皆能く決去して為さず。後の三事は初め害無きも若きも、其の業を廃し、徳を敗り、禍を生ずる、究竟異ならず。然も其の毒甚だ深し。人多く覚らず。其の既に覚るに及んでは、己に追悔し難し。此れを閲する頗る多し。(張爾岐) いかにも酒や女や賭博は下品な者のすることで、その悪い事は誰にでもわかるが、役に立たぬ世間話や、つまらぬ小説雑誌の類に時間を費したり、どうでもいいことら身を入れたりする所謂上流、紳士・教養人がいかに多いことであろう。張氏は明末の高士。
27日 山中の月 我は愛す山中の月。炯然(けいぜん)疎林に掛る。
幽獨の人を憐むが為に、流光衣襟に散ず。
我が心
(もと)月の如し。
月も亦我が心の如し。
心月
(ふたつ)ながら相照し、清夜長く相尋ぬ。

(真山民―宋)
弘法大師の後夜仏法僧鳥を聞くの作と脈々相通ずるものがある。曰く「閑林獨坐草堂暁 三宝之声聞一鳥 一鳥有声人有心 性心雲水倶了々」。心月両ながら相照し、清夜長く相尋ぬなど一誦神往の感がある。真山民は大儒真西山の後問いはれる隠者的詩人。山中の雲や松や梅を詠じている風骨はゆかしいものがある。日本の山野にもかういう教養の高い隠君子が欲しいものである。
28日 化性の世

今天下、()邪淫遁の言(ことごとく)く経生学士に見る。魑魅(ちみ)昼現はれ、変化百端なるが如し。又妖物人に()き、笑啼怒罵、総て自主ならざるが如し。吾れ(ほと)んどその心無きに病む。心無し、故に文もなく、理もなし。是の無文無理の人を以て、此の無政無声の世を造る。影響の如く然り。
(劉念台)

()邪淫遁(行き過ぎの多い議論。)、魑魅(人を惑わす怪物)、昔のことと思えぬ感慨である。今日のわが国も亦全くこれと趣を同じくしている。革命とか戦争とか派手な活動するばかりが志士ではない。人心風俗を興す中江藤樹や細井平州や石田梅岩や行誠上人のやうな有徳有道の士が奮起せねねばならぬ時である。
29日 信義 信以て義を行ひ、義以て命を成す。小国の望んで(なつ)く所なり。信知るべからず、義立つ所なし。四方の諸侯、誰か解体せざらん。(左伝) 大東亜共栄圏なるものもかくして解体同然になつてしまっていたことを反省せねばならぬ。世界の運命も懸かってこの一句に存するのではないか。
30日 悲痛な祈り

エホバよ、なんぢは とこしなへにいます。なんぢのみくらいは 世々かぎりなし。何とて我らを永く忘れ、我らを かく久しく すておきたまふや。 エホバよ、ねがはくば我らをして なんぢに帰らしめたまへ。我ら帰るべし。我らの日を新にして、むかしの日のごとくならしめたまへ。さりともなんぢ まったく我らを すてたまひしや。痛く我らを怒りいたまふや。
(旧約聖書、エレミヤ哀歌)
西暦前
7世紀、ユダヤが東のバビロンと西の埃及との間に介在して、堕落頽廃の危機に在った時、それはマナセ王の頃であるが、好い気な支配階級や、愛国者と称する連中が、畏れげもなく神の恩寵を口にして、イェルサレムの永劫不滅を妄信していた。危いことである。その時、不遜危険な自己妄信を責めて、

迫害を冒し、売国奴の誹りを顧みず、敢然として正論を呼号したのがこのエレミヤである。彼は、「宗教は外形でなく、内心のことである。」「神は雑多ではなく、唯一者でなければならぬ」「ユダヤ民族の諸護神たるエホバの神は、独りユダヤ民族ばかりを守りたまふもので゛はなく、万国を守る神でなければならぬ」といふやうに卓識信念を主張した。尤も彼の前にもアモスやホゼアやイザヤのやうな預言者ず出て、国民に警告してをるが、不幸にしてユダヤはかういふ預言者の血を絞るやうな警告にも拘はらず、終に西暦前586年バビロンに亡ぼされ、主だった人々はバビロンに囚はれの身となり、後に残った憐れな民衆は奴隷的労働を余儀なくされながら、泣いてエホバの神を祭らねばならぬ運命となった。