安岡正篤先生「一日一言」 そのA
私の蔵書の中から、ランダムに、記憶を呼び戻しつつ、安岡先生の言葉を、一日一言としてまとめてみたい。安岡先生は、「佳いものは何でも佳いが、結局、佳い人と、佳い書物と、佳い山水との三つである」と云われた。至言である。
平成24年11月
1日 | 円満無碍の自分 |
自分というのは善い言葉である。ある者が独自に存在すると同時にまた全体の部分として存在する。その円満無碍なる一致を表現して「自分」という。我々は自分を知り、自分を尽くせば善いのである。而るにそれを知らずして自分、自分と言いながら実は自己・自私を恣にしている。 (古典を読む) |
2日 | 生の衰退 |
人間の生活も案外速く純真な生動性・変化性を失って平板で単調なものになり易い。単調になり、型に嵌まった機械的活動の繰り返しになる事は生の衰退で、やがて停止する。生を一つの線とすれば、それは無数の点から成っている。その点は決して大きさの無い、内容の無い点ではなく、内に無限の内容・組織を持っている。 |
3日 |
百にして百と化す |
「淮南子」の中には、衛の遽伯玉のことを褒めて「行年五十にして四十九の非を知る」と言うておる。さらに続けて「六十にして六十化す」と書いてある。要するに六十にして六十化すと言うことは、エビの如く常に生命的であり、新鮮であり、進化してやまぬと言うことであります。だから「七十にして七十化す」となれば、なお目出度い。「百にして百化する」ことが出来れば、こんな目出度いことはないのであります。 (干支の活学) |
4日 | 我に反る |
「自ら反して縮くんば、千万人と雖も吾往かん」は何人も周知の語であろう。なかんずくその「自反」なる語に最も注意を払わねばない。大勇-真の道徳的勇気は決して功利的手段で養い得るものではない。いわゆる付け焼き刃の出来ないものである。それは常に「自反」によってのみ、即ち我が我に反ること、純正なる自覚によってのみ涵養することが出来る。 (儒教と老荘) |
5日 | 日本人の心 |
戦後、日本人は素直を失って、流行に弱く、目に余るような阿諛迎合を恥とせず、触らぬ神に祟りなしで、なるべく面倒なことはそっとしておいて、滅多な口はきかぬがよいという風になって来たことは事実である。然し、これは断じて日本人の本来の性質ではない。日本人は古来、清く明るき心、さやけき心、直き心を旨として、何毎によらず素直を愛して来たものである。是を是とし、非を非とする。良心の発露が直である。 (醒睡記) |
11月6日 |
一燈照隅あるのみ |
日本の民衆生活とか、民衆文化というものが、みな異常性になっている現実であります。と言って、それでは一体どうすればいいのだ、誰か何とかしてくれぬか、などと言ってもこれは無理な話であります。従って、ぎりぎり決着のところ、その効果があろうが無かろうが、斃れて後已むという覚悟で |
11月7日 |
見識と信念は歴史から |
ますます変化の度を強めてきておりますこう言う時に、一番大切なことは、何と言っても見識・信念がないと眼前の現象に捕らえられて、どうしても困惑し勝ちであります。それでは、どうして見識や信念を養うかと言うと、やはり学ぶ外はない。何を学ぶかと言えば、結局歴史-歴史は人間が実践してきた経験的事実ですから-と歴史を痛ずる先覚者達の教訓に学ぶことが最も確かであります。 |
11月8日 | 義気 |
義気という言葉はどう言う事かと言えば、我々が理想に照らして我が良心に照らして、我ら如何に為すべきかと言う事を確かに判断して生きる事を言うのであります。而も、我々の義と言うものは、始終ぐらぐら移り変わりのあるものではいけない。一貫毅然たるものでなければならない。 (人物・学問) |
11月9日 | 精神の滅び |
忙しいと、どうしても心が亡くなると言うわけです。粗忽になる。ついうかうかと過ごしてしまうものですから失敗も多くなる。このように、この文字からも現代は恐ろしく多忙な時代でありますから、確かに人間いろいろ大切なものが抜けておる。特に精神の滅んでおる時代と言うことが出来るのであります。 (運命を創る) |
11月10日 | 忙中の苦心 |
一番いかんのは、多忙ということだ。だから、忙の字を見ると、立心偏(?)に亡ぶと書いてある。心が亡ぶ、むなしというんだね。心が空しくなる。そこで我々は力めて身心の清く健やかなることと余裕、その忙しい中に「忙中・閑有り」で、余裕を養うということが非常に必要である。私も忙中にいかにして自分の身心の清健を保ち、余裕を作るかということに苦労してきた。余裕がないとそれこそ健康も得られない、よい知恵も浮ばない。 (心に響く言葉) |
11月11日 | 健康は無為 |
本当の健康であれば無意識である。無為である、と同じように、愛民治国の政治が健全に行われている時、政治という感覚はない、無為である。民衆も治められていると思わない、支配されていると思わない。政治家も指導者気取りで宣伝や競争に憂き身をやつすことがない。民衆も無為にして化する。現代世界の諸国政治などは逆に有為の極である。 (東洋学発掘) |
11月12日 | 独の深意 |
独という文字は絶対を意味する。自らに足りてなんら他に俟たざることを独という。自分が徹底して自分によって生きる、これを独という。人間と言うものは案外自己によらずして他物によって生きている。大抵の人間は金を頼りにして生きている。妻子を頼りにして生きている。地位を頼りにして生きている。世間の聞こえを考えて生きている。そこで地位をなくした馘になったと言うと、もうぺちゃんこになる、神経衰弱になる。 (人物・学問) |
11月13日 | 静和 |
人物・人間も、呼吸も同じことであって、人間もいろいろの人格内容・精神内容が深い統一・調和を保つようになるに従って、どこかしっとりと落ち着いてくる。柔らかい中に確りとしたものがあって静和になる。そう言う統一・調和が失われてくると鼻息が荒くなるように、人間そのものが荒くなる。ガサガサしてくる。 |
11月14日 | 人間、省に尽きる |
三省の三は数を表す三ではなくて「たびたび」と言う意味です。省ということは本当に大事なことでありまして、人間、万事省の一事に尽きると言うて宜しい。省は「かえりみる」と同時に「はぶく」と読む。かえりみる事によって、余計なもの、道理に合わぬものがはっきりわかって、よくこれを省くことが出来るからである。人間はこれ(省)あることによって生理的にも、精神的にも、初めて生き、かつ進むことが出来る。政治もまた然り。 (論語の活学) |
11月15日 | 静謐 |
神のむすびが人となったのであるから、「人は神物」である。それが俗物になるからいけない。いかなる俗物も本来に帰すれば神物である。これを単なる物質と考えたり、論理の化物のようにしてしまったり、いろいろ汚染された俗物になるからいけない。造化・自然に帰れば、その特徴はどうか。「須く静謐を掌るべし」とあるが、人間の肉体でも、生命が純真であれば、即ち健全であれば安静で、心臓の鼓動も静かである。 (幸田露伴と安岡正篤) |
11月16日 | 自然は即神道 |
私は久しい以前から、心中深く、日本人の思想信仰は結局この神道に極まると信じている。日本の神道は「生」に徹したものであり、神と人とを一体とし、自然と人間とを渾融し永遠の脈搏を保つところのものである。自然は即ち神道である。我々の存在・生活・精神を、非連続性の雑駁なものにしてしまわないで、これを永遠の本体に結ぶ時、始めて我々の全存在は真の自然となり、神道となる。 |
11月17日 | 道なれば久し |
「道乃久」ということも、実に味のある言葉です。人間は凡ゆる意味に於て久しくない。案外弱い。人間の頭の働きも案外短い。刹那的な事は分るが、少し永遠的なことは分らない。感情も落ち着いて、いつまでも変わらぬというような感情はなかなか得られない。人情の反芻ほど常ならぬものはない。人間の交際も、生涯変わらぬと言うようなものは無私でなければ得られない。利害の交は実に、朝に夕を図ることが出来ない。恋愛も世俗はいかにもはかないものではありませんか。道なれば久しいのは人間に一番嬉しいことです。 |
11月18日 | 人間の頭脳 |
人間の頭ほど有難いものはない。これは神の恵みの優なるものの一つであります。人間の頭はどれほど使っても悪くならない。使えば使うほど良くなる。頭を使って頭を悪くしたなどというのは間違いです。それは頭が悪くなったのではなくて、身体のどこかが悪い為にその影響を受けただけのことです。頭そのものは幾ら使っても決して悪くはならない。寧ろ、使えば使うほどよくなるものである。 |
11月19日 |
人生無限 |
大体、人間の内容も人生も無限なものです。これが仮に暫くの間こういう夫々の形をとっているに過ぎないのです。真の我々の生命、存在というものは、無限そのものであります。随って、人間の思想とか学問とか言うものの本質も無限です。それを知識というものが必要に応じて、ある限定をするに過ぎないのです。 (講演集) |
11月20日 | 愛=かなしむ |
日本語で愛をかなしむと言うのも嬉しいことです。かなしむと言う事は、人間の情緒の最も尊い働きの一つであります。人間、他人のことをかなしめるようになるのは、よほど精神が発達しなければならない。人が自分の親・兄弟・子供ばかりでなく、友人のことを、世の中のことを、国の事をかなしむようになってこそ、初めて文明人であり、文明国であります。(干支新話) |
11月21日 | 不老長生 |
人間が腹を立てると血液に一種の毒素を生ずるそうである。喜ぶと言うことは、その意味に於いて反対に毒素を消滅してしまう。だから喜ぶと言う事は人間をして一番不老長生ならしむる所以である。そう言う意味に於いて、農家は一番恵まれておると思う。こせこせした人間を相手にしないから、どうしても歓喜を生ずる事が多い。処が大勢の人ごみの中に入っておると、どうしてもそこに怒り呪い、不快が生ずるから早く老いる筈である。 (この国を思う) |
11月22日 | 感激 |
我々が生活・行動に意味・意義を感ずる事があればある程、我々の心に感激を生ずる。従って、感激を持つことが、その意味・意義を得ることの一番真剣で、情熱的な問題であると云うことが出来ます。その大事な感激を現代の日本人はすっかり失ってしまいました。国家でも、民族でも、勃興する時代は何らかの意味で感激に富むと言うことは、古今の歴史が証明しています。(幸田露伴と安岡正篤) |
11月23日 | 結婚 |
先ず、胎児を大切にしなければならぬ。そこで、どうしても結婚は慎重でなければならぬ。良い胎児を育ててくれる嫁を択ばなければならぬ。そうする事によって初めて、家族・民族・人類の永遠の生活・進歩・文明と言うものがあるわけであります。「胎児は慎重に保育されなければならぬ」のです。 (人間の生き方) |
11月24日 |
元服十五才の意味 |
子供は朝起きの習慣、物事はきちんとする清潔と勤勉の習慣、そう言ったような事は、もう三、四才から心がけ続ければ、これはもう十三、四才位で立派な人間になります。昔は十五才で元服といって大人になり、十二、三才で長男には父親がいろいろの社交にしばしば代理を命じたものです。幼い代理を盛んにさせたものです。これは大変にいい人間としての躾です。そういう事をきちんとやりますならば、これはもう本当に十七、八才になりますと、徳性の面、知能の面に於ても立派な一人前の人格になる。 (講演集) |
11月25日 |
子供の能力 |
子供は大人が考えているようなものじゃなく、もっと大切な、能力を持ったものである。大体満三才で大人の脳髄の80パーセントが出来ている。六才ごろから推理力が発達して十三才位が最も頭脳が敏活に働き、十七、八才で完成する。だから、四才から始めて十七、八才位の間にみっちりやっておかなければならないし、特性を伸ばすにも同じことだ。この間にしっかりやっていたら吉田松陰や橋本左内ぐらいの人は出ているだろう。 (講演集) |
11月26日 | 根本徳 |
子供の徳性のもっとも本質的・根源的なものは、第一に暗い・明るいということ。人間が光を愛する。これは宇宙開闢・天地創造と共に生じたものです。我々は先ず光明を愛します。明るいと同時に清いと言うこと、さやかと言うこと。朗らかであること、清く明るき心、さやけき心。これは古神道の根本原理で、人間の子供も、これを根本徳とします。(青年の大成) |
11月27日 | 階前の梧葉已に秋声 |
昔から有名な朱子の詩に「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んず可からず。未だ醒めず池塘春草の夢,階前の梧葉已に秋声」と言うのがありますが、本当に人間は油断のならぬもので、我々は大いに健康と同時に、この仕事というものに感激を持って自己の人生を出来るだけ有意義にしていかなければならないのであります。(心に響く言葉) |
11月28日 |
物事の成功 |
薩摩に煙草がありますが、その道の古老に聞きますと煙草はどんなに良く栽培しても、新葉だけでは駄目だそうであります。古葉と新葉とを常に合わせて初めて本当のうまい煙草ができる。これと同じように、青年が先輩を、老年を尊敬しなくなり、老年が青年から離れてしまって、両々相嫌い、軽蔑し合う、ということで物事の成功した歴史はない。 ((活学第二編) |
11月29日 |
純な精神の人ほど |
子供と同じように青年は純真な心を持っている。何か高きもの、尊きもの、偉大なものに憧れる。宗教を欲し、哲学を欲し、道徳を欲するのであります。これ理想であります。ただ飯を食って、月給をもらって、何やら蠢いているというだけでは、どうしても承知が出来ない。純な人ほど、立派な精神の人ほど、何かしら尊いものを求めるのであります。現状に慊らぬのは子供が空腹なのと同じことである。 (人物・学問) |
11月30日 | 進歩と理想 |
我々は心に就いて特にその造化して止まぬ行きを意思と謂うが、意思は常に?りないものである。その慊りなさが将に実現せんとする自己を投影する処に理想がある。理想は実現せられるに従って現実となる。勿論、慊りなさは無限であるから理想も無限でなければならぬ。故に人は純真なほど理想家である。理想の無いところに進歩は無い。 (東洋倫理概論) |