東洋思想十講義 安岡正篤 道家(黄・老・荘・列)について

安岡正篤先生が、住友銀行の主管者(しゅかんじゃ)(住友銀行では経営者の謂いであり部・支店長の事)に対して十回に亘り講話された事がある。時は昭和51年から52年にかけてであった。安岡先生の高弟である岩沢正二副頭取の時であった。その全講話記録を開陳する。
                  平成248月吉日 徳永岫雲斎圀典

平成25年11月

1日 第五
公を考えない人間が存在する。

第五、功を(むさぼ)り、きん(きん)(ちぬる、あらそい)(ひら)き、(ちょう)(たの)み、()を張り、()(もと)り、情に任せ、国政を(とう)(らん)す。 

私心私欲のためには公を無視して憚らない人物。

2日 第六

第六、(かん)(けん)凶淫(きょういん)煽虐(せんぎゃく)肆毒(しどく)、善類を賊傷(ぞくしょう)し、君心を惑し、国家の命脈を断じ、四海(しかい)の人望を失ふ。

野望のためには天下に動乱をも起すという破壊的悪魔的な人間、これが最下等の大臣であります。こういう見識・観察・思索・学問が儒教に於て発達しておるのであります。 

東洋思想十講義安岡正篤
第十講
道家(黄・老・荘・列)について
3日 孔孟荀 初めに申しあげたいと思いますが、中国の思想文化を歴史的に考察して参りますと、孔子・孟子に荀子を加えた「孔孟荀(こうもうじゅん)」と「老荘列(ろうそうれつ)」の二つの大きな系統に分けられます。 従って孔孟荀に老荘列を配して初めて中国の学問・思想の源流を知ることができるのですから、儒教のお話をしたついでに、老荘-(こう)(ろう)を少しご紹介致します。
4日 老荘とは そもそも、老荘とは列子を含めて言うわけですが、本当は(こう)(ろう)と申します。黄は中国文化の象徴的な存在である黄帝、老は言うまでもなく老子のことであります。 それが漢末頃から老荘と言われるようになりました。そして儒に対して道、儒家に対して道家と申します。
5日 然し、老荘・(こう)(ろう)をよく道教と言いますが、これは厳格に言うて妥当ではありません。と言うのは漢代に入って参りましたインド仏教が、次第に民衆に普及 してゆくにつれて、仏教と儒教・老荘との交流が始まり、一方においてインド仏教の中国化、儒家・道家の仏教化という現象が現れてきました。
6日 儒道仏の三教

就中、道家との交流が著しく、やがて道家は通俗道学となり、また道教という独特の宗教を発展させたのであります。従って(こう)(ろう)・老荘と道教とは全くの別物ではありませんけれども、同一ではないのであります。そして叉一方、インド仏教も老荘の影響を強く受けまして、ここに禅-禅宗というものを生むに至りました。

つまり(こう)(ろう)・老荘が一方において禅を発達させ、他方において道教を生んだ、と言うことができるわけであります。こうして、儒道仏の三教が出来上がって、これが中国文化の三大潮流になるのであります。
7日 神道の本質を心得ておく必要

そして、この三教が日本に伝来して、日本の古神道(かん)神道(ながらのみち)と交流し、日本文化の本流ができ上がるのであります。従って、日本民族の思想・学問を究めようとすれば、どうしても古神道と儒仏道三教の本質を明らかにしなければなりません。それが分らなければ日本精神・日本文化はわからないと言うことになります。いづれにしてもこの三教は東洋民族、

特に中国民族の思想・学問・芸術等のあらゆる文化、またそれを通ずる人間生活に深く浸透して、色々の特徴を生んできているわけでありますから、東洋思想、広い意味での東洋哲学を理解しようと思えば、儒教と仏教だけではいけませんので、どうしても(こう)(ろう)・神道の本質を心得ておく必要があります。
8日 老子 そこで、先ず老子でありますが、実は老子とはどういう人か、どういう経歴の人か、ということはよく分らないのであります。懐疑的な学者の中には老子の存在そのものすら否定する人があるぐらいです。然し、それは少し行き過ぎで、一応司馬遷が史記に書いてありますように、老子姓は李、名は()、字を伯陽と言い、たん(たん)(おくりな)すというのが常識になっております。 そして周の守蔵室の史、今日で言えば国立博物館の館長のような立場にありました。
当時の中国は西域から中央アジア、チグリス、ユーフラテス辺まで交渉がありましたから、老子という人は大変な外国通であったと思われます。
9日

一説に老子は、楚の苦県の人ではなくて陳の人だとの説もあります。が、これは苦県は元陳の領地であったのが後に楚の領になったのですから、問題はありません。また(おくりな)たん(たん)ですが、老子という人は「終るところを知らず」というぐらいですから、(おくりな)があること自体おかしいわけで、

従ってたん(たん)は恐らく(あざな)であろうと思われます。いずれにしても耳・たん(たん)共に耳に関係があるわけで。殊にたんという字は耳が大きい。耳たぶがゆったりしておるという意味ですから、老子という人はよほどり立派な耳の持ち主であったと想像されます。
10日

人間の耳というのは遺伝を最もよく表すもので、その意味で本来的なものですから普通は動きません。稀に動く人がありますが、これは異例であります。そして持って生まれた性格をよく表すので、耳を見れば大体その人の個性がわかります。またその人の健康がすぐ耳に反映して、健康を害すると耳の色も悪くなります。

この様に耳と内臓とは密接な関係がありますから、朝起きるとき、夜寝る時に耳を揉んでやるのは非常に健康によいのであります。とにかく老子という人は大層よい耳をしておったことがわかります。勿論、よい耳をしておったと言うことには博聞、色々な知識が豊かであったという意味も含まれております。
11日 老子の思想・学問

その老子の思想・学問は、前に申しましたように儒教系統のリアリ以ティックなのに対して非常にアイディアリスティックな特色があります。
現実的よりは理想主義的・根元的であります。

従って現象的に対して本体的な思想・言論が多いのであります。その一端をしのばせるのが史記列伝の中の孔子との問答であります。若き日の孔子が老子の令名を聞き、これを訪ねて教えを聞いた。
12日

老子曰く、われ之を聞く、(りょう)()は深く(ぞう)して(むな)しきが(ごと)く、君子盛徳(せいとく)あって容貌()なるが(ごと)しと。()(きょう)()と多欲と(いん)()とを去れ。これみな()の身に益無し。

(きょう)()は俺が俺がという(おご)った心。
(たい)(しょく)てらい(○○○)、ゼスチュア。若くて秀才だが、どうも自分を売らんかなのゼスチュアが多すぎる。

13日

こういう人間は今日も随分おりますね。淫志というのは、別に性的な意味ではありません。何でもかんでも欲しいという強い欲望が淫志です。お前さんは俺が俺がというおごり、多欲、てらい、強欲を取ってしまいなさい。そういうものはお前さんにとって無益のものだというのであります。

これは人間としての本質的な問題でありますがなかなか人間というものは若い時は言うまでもなく、幾つになっても、こういう(きょう)()やてらいを捨て切れぬものです。そこを老子はずばりと()いているわけです。
14日

然し、この様な考え方は儒教にもありまして、例えば論語の中に孔子は、子曰く、ねい(ねい)の武子、(くに)に道有れば即ち知、邦に道無ければ即ち愚。其の知や及ぶべく、其の愚や及ぶべからず。と評しております。

つまりねい武子の頭の良いというのは真似ができるが、そのばかっぷりは、とても及ぶべくもないと云うのです。論語の中でも大変面白い一節でありますが、これでみると、孔子もなかなか愚を解する人であり、寧ろ愚を高く評価していた人と思われます。
15日

こう言う愚の思想は日本にもよく伝わっていて、少なくとも徳川時代から明治にかけてそま痕跡をとどめております。

民間の口碑・伝説、その他格言などにも残っております。それらの中で最も普及した格言・諺を二、三ご紹介しましょう。
16日 馬鹿殿

先ず、その一つは「馬鹿殿」という語。これは寛政時代に出来ておった語であります。後世の人は本当の馬鹿殿さまの意味に解しておりますが、そうではなくて本来は殿様礼讃なのです。殿さまというものは、よくできる者も出来ない者も、役に立つ者も立たない者も、とにかく様々な家来を抱えて、何とか使いこなしてゆかなければなりません。

更にその後には幕府という厄介なものが控えておって隙があれば取り潰してやろうと絶えず目を光らせておるのですから、小利口な殿さまではとてもやってゆけない。それこそ、馬鹿にならなければつとまりません。それをアイロニカルに表現したのが馬鹿殿という語であります。
17日 糠味噌女房

次は、糠味噌女房。これ叉、女房礼讃の語であります。昔の宴会は今と違って、酒の肴は酢の物とか刺身ぐらいで、後は折詰めで家に持って帰ったものです。そうして家に帰ったら女房のうまい香の物で茶漬けを食う。これが食生活の至れるものでした。処がその糠味噌たるや実に厄介で、冷くて臭い上に始終ひっかき回していなければ、うまい香の物はできません。

その労苦を厭うような女房は従って絶対に亭主にうまい漬物を食わすことができないわけです。反対に糠味噌女房というと、貧乏生活にくたびれてしまった女房の代名詞のように誤解するに至ったのは後世の亭主共の悪い意味でのバカになった一つの証拠とも言えなくはありません。
18日 女房と畳

もう一つも「女房と畳は新しいほど好い」とよく申します。これも女房と畳はなるべく取替えて新しい方が好い、という風にみんな誤解しておりますが、とんでもないことです。ちょっと考えてもわかりますが、一体しょっちゅう畳を取替え馬鹿がおりましょうか。畳というものは古ぼけて傷んでくると先ず裏返しをし、それが駄目になると今度は表を取り替える。火事や津波に遇わない限り実体は少しも変わりません。粧いを新たにするだけのことです。実際家庭生活に於て畳の古ぼけて薄汚れたぐらい貧乏臭いものはありません。貧乏臭いばかりでく不潔であり、それこそ怠惰を表す。どんなやりくりをしても畳を新鮮にしておくことは女房の良い心掛けの一つであります。これは畳ばかりではありません。新婚当時は何もかも新しくて小奇麗ですが、しばらくすると亭主は職業生活にくたびれ、女房は家庭生活にくたびれて、どち

らも段々汚れてくる、怠けてくる。そこで何年たっても新婚当時のように新鮮さを保って欲しいというので「女房と畳は新しいほど好い」と言うのでありますが、これは男の方のエゴでありまして、くたびれるのは亭主の方も同じことであります。お互いに心掛けねばならぬことです。鐘紡の武藤山治氏の夫人は大変寝間着に凝られた方で、期もの帯を買うよりも寝間着を買う。それでご自分は勿論、ご主人にも一生古ぼけた寝間着を身につけさせなかったと言う。これは武藤さんの自慢の一つだつたということです。これが本当の「生活の芸術」とというものでありますが、こういう考え方はどちらかと言うと老子的であります。
19日 大道廃れて仁義あり

そこで老子の学風と言うか、特徴を原文によってうかがって見たいと思います。

大道(だいどう)(すた)れて仁義あり、智慧出でて大偽(だいぎ)あり、六親(ろくしん)和せずして孝慈(こうじ)あり、国家昏乱(こんらん)して忠臣あり。

大道というのは何人もこれに拠らなければならない、進めない、これが大道であります。その大道が行われている間は人間も無心である。文句がない。大道が廃れるから仁だの義だのとやかましく言われるようになる。つまり仁義を論じなければならぬと言うのは既に人間が頽廃していることの何よりの証拠である、こういう考え方であります。
20日 大偽

同様に、智慧が出ると大きな偽
-うそが生じる。偽という字は、イ偏に為、なすと書いてありますように、第一の意味は人間のわざ、つまり技術の技と同義であります。然し、人間のすることは、とかく天地・自然の真理に背く、大道から外れる。そこから転じてうそという意味になるわけです。現代文明はこの大偽に苦しんでいると申せます。大いなる人為即ち知識・技術によって現代文明はこの大偽によって苦しんでいると申せます

。大いなる人為即ち知識・技術によって文明はできたのでありますが、気がついて見たら、何時の間にかその誇ってきた文明が、自然の破壊、ひいては人間生活の破壊を招いて公害問題となり、今や文明の錯誤・失敗がやかましく論じられるようになってきました。正に智慧出でて大偽になってしまったのであります。
21日

同様に、親子・兄弟・夫婦等の親しい間柄が円満でよく和合しておれば、無、無心で何も言うことはない。それが和していないと、親に孝行しなければならぬ、親は子を慈愛しなければならぬと言うような問題が発生してきます。

孝とか慈とか言うことが既に六親が和を欠いているからである。また国がちゃんと治っておれば忠臣など要らない。国家が混乱するから、これを何とかしなければならぬという忠臣が現れてくると言うのです。
22日

人々は孝子(こうし)だの忠臣だのと礼讃するけれども、これは人間の堕落を証明するものでしかない。人間は従って一番偉い至極の人間は「之あるを知らず」、世間はその存在するわからない。俗人・凡人の目につかないのです。次は「之に親しみ之を誉む」、好い人だ、立派な人だ、と民衆が親しみ礼讃する。、仁義も道徳も、孝子け忠臣も要らない。要らないのではなくて、出てこなくてすむのである。まことに老子らしい考え方であります。

従って一番偉い至極の人間は「之あるを知らず」、世間はその存在するわからない。俗人・凡人の目につかないのです。次は「之に親しみ之を誉む」、好い人だ、立派な人だ、と民衆が親しみ礼讃する。
23日

三番目のクラスの人間になると「之を畏れる」、あの人は出来る人だ、怖い人だ、と言うて畏れる。

最後は「之を侮る」、あんな奴は駄目だと侮る。これも老子らしてい考え方です。 

24日 上士・中士・下士 それでは大道とはどういうものかと言うと、上士(じょうし)は道を開いて勤めて而して之を行ひ、中士(ちゅうし)は道を聞いて存するが(ごと)(ぼう)するが(ごと)し。 下士(かし)は道を聞いて大いに之を(わら)ふ。(わら)はざれば以て道と為すに足らざる。 
25日 本当の道

本当にできた人は道というものをよく理解する。そして道を聞いて自分で努力してこれを実行しようとする。処が中ぐらいの人間になると、道を聞いても分ったような分らんような有様である。最も下の人間に至っては、道を聞いてそんなことが出来るものかと大いに笑う。笑うようでなければ道と為すに足らない。

近頃の人間は、ヒッピーやフーテンとまではゆかずともむやみに新しがって好い気になっている連中は、仁義だ道徳だと言うと笑う。古いとか時代遅れだと進歩がないなどと言うて冷笑する。そのようにつまらぬ人間が笑うようでないと本当の道ではないというわけです。
26日 三宝(さんぼう)

その老子に所謂「老子三宝の章」という有名な一章があります。

我に三宝あり。(()して之を保つ)

27日

一に曰く()
二に曰く(けん)
三に曰く敢て天下の(せん)とならず。
()なり、故に()(ゆう)
(けん)なり、故に能く広し。
敢て天下の(せん)とならず、

故に能く()(ちょう)と成る。
今慈を()てて(かつ)(ゆう)に、倹を()てて且広く、(おく)るるを()てて先んぜば、死せん。
28日

我に三宝あり。第一に慈。第二に倹。第三に人を先にやる。

世間の人間は、先頭になろうとして争うが、そういうことをしない。慈愛があるから勇気が出る。
29日 病的になった理由

倹、つまり、くだらぬ私心私欲に関心がないから心が広い。愚人俗人などと競争などしないから自然に大ものになる。今これに反して、慈愛を捨てて勇に、

倹におかまいなく、あれもこれもとなり、人を先にやることを捨てて己が先に立てば、生を失ってしまう。
30日

その通りですね。今日のような到るところの矛盾・衝突・混乱の社会になったというのも、要するに人間が慈を捨て、倹を捨て、省を捨てて功利に走ったか

らでありまして、こういう社会に生きておると本当に肉体的にも生命的にもだんだん病的になって参ります。