安岡正篤先生「易の根本思想」9
 
平成20年10月度

 1日

三、(ちゅん)

水上(すいじょう)雷下(らいか) 水雷屯(すいらいちゅん)

草創のなやみ。

屯は物の始生(しせい)である。乾坤定って万物始生(しせい)するが、まだ生長の始であるから、育つ悩みを免かれない。

 2日 互卦 二・三・四・五爻とを約した互卦を見ると山地剥の卦で、生の危険を包含している。卦の面では雲雨(うんう)濛々(もうもう)として雷電閃々(らいでんこうこう)たる天地草昧(てんちそうまい)の姿を表している。 (げん)(とお)る。貞に(よろ)しいが、まだ自覚して、軽々に動いてはならない。注意して補強を計らねばならぬ。(卦辞、候を建つるに利し。国家の成立に当り、諸侯を封建して中央政権の補強を計る意である。)
 3日 初九(しょく)

六二(ろくに)

初九、
進みたいが、正を行う志を以て自重し、低姿勢で、大いに民心を得るようでなければならぬ。

六二、
色々の問題が持ち上がるが、すべて思うようにゆかぬ。常に貞正を守って誘惑されぬようにしておれば、時至ってしっかりした本道に就くことができる。
 4日 六三(ろくさん)六四(ろくよん) 六三、―案内者無しに鹿を遂うて林中に入るようなことがあってはならない。必ず行き詰まる。機を見て止めるがよい。

六四、―初爻と正応する。智慧を働かせ、初心をたずねてゆけばよろしい。 

 5日 九五(きゅうご)上六(うえろく)

九五、−外卦の中位であり、五の陽位に陽爻であるから正中(せいちゅう)するものである。吉であるが、何分(なにぶん)にも、まだ(かい)(そう)の初期である。

徳澤(とくさわ)を及ぼすまでに至ってをらない。
分を守れば吉。大きく構へると凶である。
上六、−幾多の困難を冒して創業してゆく至極(しごく)であるから、迷い多く、涙が絶えない。然し、勝負は速い。
 6日 四、
(もう)
(さん)上水下(じょうすいか) 山水(さんすい)(もう)未開発の状態。 蒙は「根無しかづら」のような蔓草(つるくさ)である。蔓延(はびこ)って物を(おお)蒙昧(もうまい)である。
 7日 (しょう)

卦面から見れば、(たに)(わた)り、山に入る象であり、山下に(しゅっ)(せん)

ある象であり、(ちゅん)草昧(そうまい)を受けて、開発に当ろうという所である。
 8日

人間で言えば、赤子を経て、児童少年の時代((どう)(もう))である。宋の鄭汝諧(ていじょかい)は、赤子の心は(ばん)(ぜん)皆備わる。()(もう)にし

て未だ覚らざるのみと言っている。
近代の科学的研究によっても、生後三年にして脳髄は成人の80l程度に達し、その頃から6、7歳頃までに性格の型が定まり、知能の基本的なものもその頃著しく発達し、少年の非行犯罪も、この時期に十分予知される。
 9日 啓蒙(けいもう)を待つ この時代は適当な開発即ち啓蒙を待っている。特に「正」を養うことが聖なる仕事である。きびきびと実行力をつけ、徳を(やしはな)はねばならぬ。 (彖伝)蒙以養正。(大象)君子以果功育徳。易経はこの卦に於て、児童の教育原則を明示している。故に教育に志ある人々にしてこの蒙字を雅号に用いている者が多い。蒙斎、蒙庵、蒙谷、蒙山等その例である。
10日 占筮(せんぜい)

占の場合、初筮(しょぜい)には告げるが、再三すればけがれる。

けがれては告げることをしない。それだけ真剣な厳しいものである。不真面目を許さない。
11日 初六、九二 初六、理想像・模範・型を示して、良くしつけるがよい。
自由を誤って放縦にすることはよくない。
九二、少年の本質を全うせねばならぬ。好い配合・良友・切磋琢磨の相手を得させるがよい。何でもよくできるものである。
12日 六三、六四 六三、誘惑にかからぬようにせねばならぬ。誘惑されるような相手を見ると、身が持てない。 六四、真実の自己を発見しようとして悩むものである。
13日 六五、上九

六五、−(よう)()陰在(いんざい)し、九二に正応する。少年の純真性を保全して、従順に教を受け、正を養い、徳を(やしな)へばよい。

上九、−少年教育の究極は鍛錬(たんれん)陶冶(とうや)にある。但し、憎んだり(いた)めつけてはいけない。邪悪から(ふせ)いでやるがよい。 

14日 五、
(じゅ)
水上(すいじょう)天下(てんか) 水天需(すいてんじゅ)

待望・需要。

需は須である、待つ意味である。 

15日 (しょう)

卦面より見ても、剛健な心身を以て、険難(けんなん)を前に待機している(しょう)である。()()を見れば、火澤?(かたくけい)の卦で、内に矛盾や争いを含むが、それは発達の前

の修行である。
蒙の卦を受けて考察すれば、需は「もとむ」であり、「(うるほ)ふ」にも通ずる、児童期を過ぎて、あらゆる性能が一斉に発育し、道徳・学問・芸術等色々の要求に応じて豊富な教養に侵って心身を(うるほ)すべき時期である。
16日 需は文字学的には、雨・而の合と解せられる。而は古文天と同字。 大象に「雲・天に上るは需」とあるのとよく合致する。互卦を火にかけて料理する象と見るのも妙味がある。
17日 有孚(まことああり)

卦辞に始めて「有孚(ゆうふ)」という語が出てくる。(まこと)有りと()み習はしている。この孚は本来卵の孵化することである。時満ちて内に在る性命が外に発生する意味の「まこと」である。

学子を例にとれば、四、五歳頃から知能の発育著しく、記憶力は七歳頃、注意力は十歳頃に十分である。道徳感情も五歳頃から発達する。涵養宜しきを得れば大発達して、いかなる大事難事に当っても宜しい。
18日 精神的飲食 君子以て飲食宴楽(をんじきくえんらく)すと大象(だいしょう)に説いている。発育盛りは食欲旺盛なるべきである。 肉体的飲食ばかりではない。大いに精神的飲食を盛んにせねばならぬ。近来の学子のような不勉強や、浅薄なダイジェスト物では駄目である。
19日 六、
(しょう)
(てん)上水下(じょうすいか) 天水訟(てんすいしょう)
矛盾・訴訟。
発達過程に内面的・対他的矛盾苦悩(訟)は付き物である。その為に行き詰まる。
20日 卦辞

卦辞「()有りて(ふさ)がる」と指摘している。大いに反省警戒(?)して、あくまでその矛盾訴訟を正しく克服してゆけばよい。

(いたずら)にけりをつけようとすることは(わる)い。それは正邪得失(せいじゃとくしつ)を見極めずに、物事を一時的に解決しようとするから、却って禍根を残すことになる。
21日 原文卦辞 原文卦辞。タ中(てきはちゅう)(きち)終凶(おわりきょう)。この中を、合わせて二で割るよ うな中の意に解し、ほどほどに解決すべきで、つきつめて解決しようとするのは凶と説くのが通例であるが、これは俗解で、誤である。
22日 上下離の卦 この場合、経験を積んだ勝れた先輩大人の教を聞くがよろしい。大事に当ることはよくない。卦面より見るも、天は上り、水は下る。上下背き離れる 象で、しっくりしない。
後世の易説である雑卦に「訟は親しまざるなり」と説いている通りである。そもそも、事を()すには、始を謀ることが大切である。
23日 初六、

九二
初六、

あらそひごと()を長引かしてはいけない。少々問題はあっても、始の中ならば、是非善悪の弁別は明らかである。

九二、
私欲から権威ある上と(あらそ)ふことはできない。己に帰って訟から(のが)れることである。ささやかな領域を守っておれば災はない。九二は九五と応ぜず、しかも彼は正中(せいちゅう)である。
 

24日 六三、

九四
六三、
(ふる)くからの徳義に生きるようにせねばならぬ。貞なれば、(あやう)くても終には吉である。国家社会の事に従っても、自己を主張してはいけない。
九四、
初爻(しょこう)正応(せいおう)する。(あらそ)ひつづけることはうまくいかない。初心に(かえ)って、態度を改め、自己の正道を失わぬように安んじてをれば吉。
 
25日 九五、

上九

九五、
かく何等(なんら)非難される態度や固執なく、正道を踏んで立てば、訟も(おおい)に吉である。

上九、
訟に克って大いに得る所があり、喜びに堪えぬようであっても、元来訟であるから、重んずるに足りない。
26日

七、
()

()上水下(じょうすいか) ()水師(すいし)

集団と闘争。人は社会的動物と言われる。群居性・集団性を持っている。師は多数である、「もろもろ」である。また安全の為に防衛を必要とし、軍隊を設置する。

師は軍隊である。従って、軍事・戦争を意味する。卦面より見れば、地中に水が集る象である。これによって、大象は「君子以て民を容れ衆を(やしな)ふ」と説いている。

27日 戦争も正義の一

衆を(ひき)いるには一貫して正しくなければならぬ。さすれば(きみ)たることができる。

険を行うて、(したが)ふ象で、戦争も正義の故ならば、天下を(くるし)めても民之(みんこれ)に従ふ。吉である。何の(とが)があろうか。
28日 初六、

九二
初六、
軍隊を動員するには軍律がなければならぬ。これがなければ、いかに正義の戦でも凶である。
九二、
外国を悦服(えっぷく)させ、王の信寵(しんちょう)を受けるようになれば吉である。
29日 六三、
六四
六三、
戦ひ利あらず、犠牲者を出す。凶。
六四、
陣を堅くして不動の態勢を要する。
30日 六五、

上六
六五、
野禽(やきん)が農作物に害ある時は田猟(でんりょう)してもよいように、侵略者が良民を害する時、軍隊を動員してよい。但、名実共に大将にその人を得ねばならぬ。それでなければ名分の立った戦でも凶である。
上六、
究極する所、国家の為に正しい意義功用がなければならぬ。小人を用ひてはならない。必ず邦を乱るからである。