佐藤一斎「言志晩録」その二 岫雲斎補注
24年11月1日--30日
1日 | 9. 聖人は人と同じからず、又異ならず |
「憤を発して食を忘る」とは、志気是くの如し。 「楽しんで以て憂を忘る」とは、心体是くの如し。 「老の将に至らんとするを知らず」とは、命を知り天を楽しむこと是くの如し。 聖人は人と同じからず。 又人と異ならす。 |
岫雲斎 |
2日 | 10. 本心あるを認めよ |
学者は当に自ら己れの心有るを認むべし。而る後に存養に力を得、又当に自ら己れの心無きを認むべし。而る後に存養に効を見る。 |
岫雲斎 学問する学者は先ず自分には本心・本性のあることを認識しなければならぬ。この本性を操守し修養しててこそ向上の力が得られる。また、この修養により我欲は本性ではないと分るのだ。かくの如くして後に初めて本性・本心の存養効果が現れるのである。(孟子の存養。「その心を存し、其の性を養うは天に事うる所以なり」) |
3日 | 11. 理気の説 |
認めて以て我と為す者は気なり。認めて以て物と |
岫雲斎 |
4日 | 12. 人心の霊 |
「人心の霊、知有らざる莫し」。只だ此の一知、即ち是れ霊光なり。嵐霧の指南と謂う可し。 |
岫雲斎 人の心の霊妙なる働きは、何事でも知らずにおかない事である。この知性こそ洵に人間を照らす不思議な光であり、この光こそ人間の情欲を適正に指導するものと言うことができる。(大学の章にあり、「蓋し人心の霊、知あらざるなく、天下の物、理あらざるなし」、嵐霧とは人間の情欲。) |
5日 |
13. |
一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。 |
岫雲斎 |
11月6日 | 14. 理は一つなり |
「天下の物、理有らざる莫し」。 この理即ち人心の霊なり。学者は当に先ず我に在るの万物を窮むべし。 |
岫雲斎 大学に「天下の事物は皆一つとして道理を備えていないものはない」とある。この道理とは人の心の不思議な作用に他ならない。道を学ぼうとする者は、先ず人間の本性の上にある万物の理を窮めなくてはならぬ。孟子は「万物の道理は、みな自分に備わっている。だから自分が反省して本性に備わっている道理の発動に誠実であればこれ程楽しいことはない」と言った。このことである。 |
11月7日 | 15
倫理と物理は同一 |
倫理と物理とは同一理なり。我が学は倫理の学なり。宜しく近く諸を身に取るべし。即ち是れ物理なり。
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岫雲斎 |
11月8日 | 16. 人は善悪の穴中にあり |
人は皆是非の穴中に在りて日を送れり。然るに多くは是れ日間の瑣事にて、利害得失の数件に過ぎず。真の是非の如きは、人の討ね出し来る無し。学者須らく能く自らもとむべし。 |
岫雲斎 |
11月9日 | 17 .克己と復礼 |
濁水も亦水なり。一たび澄めば清水と為る。客気も亦気なり。一たび転ずれば正気と為る。逐客の工夫は、只だ是れ克己のみ。只だ是れ復礼のみ。 |
岫雲斎 |
11月10日 | 18. 理は理 |
理を窮む。理固と理なり。之を窮むるも亦是れ理なり。
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岫雲斎 |
11月11日 | 19. 理と気は一つ |
理は本と形無し。形無ければ名無し。形ありて而る後に名有り。既に名有れば、理之を気と謂うも不可無し。故に専ら本体を指せば、則ち形後も亦之を理と謂い、専ら運用を指せば、則ち形前も亦之を気と謂う、並に不可なること無し。浩然の気の如きは、専ら運用を指せり。其の実は大極の呼吸にして、只だ是れ一誠のみ。之を気原と謂う。即ち是れ理なり。 |
岫雲斎 |
11月12日 | 20 万物は一体 |
程子は「万物は一体なり」と言えり。試に思え、天地間の飛潜、動植、有知、無知、皆陰陽の陶治中より出で来たるを。我も其の一なり。易を読み理を窮め、深く造りて之を自得せば、真に万物の一体たるを知らむ。程子の前には、絶えて此の発明無かりき。 |
岫雲斎 |
11月13日 | 21. 九族一体 |
我が身は一なり。而も老少有り。老少の一身たるを知れば、九族の我が身たるを知る。 九族の我が身たるを知れば、古往今来の一体なるを知る。 万物一体とは是れ横説にして、古今一体とは是れ竪説なり。 須らく善く形骸を忘れて之を自得すべし。
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岫雲斎 |
11月14日 | 22. 公事に処する心得 |
物我一体なるは、即ち是れ仁なり。我れ、公情を執りて以て公事を行えば、天下服せざる無し。治乱の機は公と不公とに在り。周子曰く「己れに公なる者は、人に公なり」と。 伊川又公理を以て仁字を釈き、余姚も亦博愛を更めて公愛と為せり。 併せ攷う可し。 |
岫雲斎 |
11月15日 | 23 伝の伝と不伝の伝 |
此の学は、伝の伝有り。不伝の伝有り。堯は是れを以て之れを舜に伝え、舜は是れを以て之れを禹に伝うるが如きは、則ちち伝の伝なり。禹は是れを以て之れを湯に伝え、湯は是れを以て之れを文、武、周公に伝え、文、武、周公は之れを孔子に伝えしは、則ち不伝の伝なり。不伝の伝は心に在りて、言に在らず。周濂溪、明道は、蓋し伝を百世の下に接せり。漢儒云う所の伝の如きは、則ち訓詁のみ。豈に之れを伝と謂うに足らんや。 |
岫雲斎 |
11月16日 | 24 中国思想の変遷と太極図説 |
周子の主静とは、心の本体を守るを謂う。図説の自注に「無欲なるが故に静なり」と。 程伯子此れに因りて、天理、人欲の説有り。 叔子の持敬の工夫も亦此に在り。朱、陸以下、各々力を得る処有りと雖も、而れども畢竟此の範囲を出でず。意わざりき、明儒に至り、朱陸党を分ちて敵讐の如くならんとは。 何を以て然るか。今の学者、宜しく平心を以て之を待ち、其の力を得る処を取るべくして可なり。
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岫雲斎 |
11月17日 |
25 |
学に次第有り。猶お弓を執り箭を挟み、引満して発するが如し。直に本体を指すは猶お懸くるに正こうを以てして、必中を期するが如し。 |
岫雲斎 |
11月18日 | 26. 儒学の流れ その一 |
孔・孟は是れ百世不遷の祖なり。周・程は是れ中興の祖、朱・陸は是れ継述の祖、薛・王は是れ兄長の相友愛する者なり。
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岫雲斎 |
11月19日 |
27. |
朱・陸は同じく伊・洛を宗とす。而れども見解梢々異なり、二子並に賢儒と称せらる。蜀・朔の洛と各党せるが如きに非ず。朱子嘗って曰く、「南都以来、著実の工夫を理会する者は、惟だ某と子静と二人のみ」と。陸子も亦謂う、「建安に朱元悔無く、青田に陸子静無し」と。蓋し其の互に相許すこと此くの如し。当時門人も亦両家相通ずる者有りて、各々師説を持して相争うことを為さず。明儒に至り、白沙、篁?、余姚、増城の如き、並に両家を兼ね取る。我が邦の惺窩藤公も、蓋し亦此くの如し。 |
岫雲斎 朱子と陸象山は同様に程子兄弟の学説を元する学者だか、見解はやや異なる。然し両人とも優れた学者と言われ、あの蜀党と朔党が洛党と争ったようなものではない。朱子は言った「宋が南に移ってから、着実の工夫を理解するのは、自分と陸象山のみである」と。陸子も「朱子の生地・建安にはもう朱子のような人物はいないし、陸子の生地・青田にも陸象山はいない」と。当時の門人たちも両家に出入りし合い互いに師説を固持して争うようなことは無かった。明代の学者、 |
11月20日 | 28 日本の宋学 その一 |
惺窩藤公、林羅山に答えし書に曰く、「陸文安は天資高明にして、措辞渾浩なり。自然の妙も、亦掩う可からず」と。又曰く「紫陽は篤実にして邃密なり。金 |
岫雲斎 |
11月21日 | 29 日本の宋学 その二 |
博士の家、古来漢唐の註疎を遵用す。惺窩先生に至りて、始めて宋賢復古の学を講ず。神祖嘗って深く之を悦び、其の門人林羅山を挙ぐ。 羅山は、師伝を承継して、宋賢書家を折中し、其の説は漢唐と殊に異なり。 故に称して宋学と曰うのみ。闇斉の徒に至りては、拘泥すること甚しきに過ぎ、羅山と梢々同じからず。
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岫雲斎 |
11月22日 | 30. 日本の宋学 その三 |
惺窩・羅山は、其の子弟に課するに、経業は大略朱氏に依りて、而して其の取舎する所は、特に宋儒のみならず。而も元明諸家に及べり。鵞峰も亦諸経に於て私考有り。別考有り。乃ち知る其の一家に拘らざる者顕然たるを。 |
岫雲斎 |
11月23日 | 31.
徳性と問学 |
徳性を尊ぶ。是を以て問学に道る。 問学に道るは、即ち是れ徳性を尊ぶなり。 先ず其の大なる者を立つれば、則ち其の知や真なり。能く其の知を迪めば、則ち其の功や実なり。 畢竟一条路の往来のみ。 |
岫雲斎 |
11月24日 | 32. 程明道と程伊川 |
明道の定性書は、精微にして平実なり。伊川の好学論は平実にして精微なり。伊・洛の源は此に在りて、二に非ざるなり。学者真に能く之を知らば、異同紛紜の論息む可し。
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岫雲斎 |
11月25日 | 33. 周子、程伯子は道学の祖 |
周子、程伯子は道学の祖なり。然るに門人或は誤りて広視豁歩の風を成ししかば、南軒嘗って之を病む。朱子因て矯むるに逐次漸進の説を以てす。然り而して後人又誤りて支離破砕を成すは、恐らく朱子の本意と乖牾せん。 省す可し。 |
岫雲斎 |
11月26日 | 34.
朱・陸の異同 その一 |
朱・陸の異同は、無極、太極の一条に在り。余謂 えらく、「朱子の論ずる所、精到にして易う可からずと為す。然るに象山尚お往復数回して已まざるは、亦交遊中の錚々たる者なり」と。但だ疑う、両公の持論、平昔言う所と各々異なるを、朱子は無を説き、陸子は有を説き、地を易うるが如く然り。何ぞや。
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岫雲斎 |
11月27日 | 35 朱・陸の異同 その二 |
学人徒らに訓註の朱子に是非して、而も道義の朱子を知らず。 言語の陸子を是非して、而も心術の陸子を知らず。 道義と心術とは、途に両岐無し。 |
岫雲斎 |
11月28日 | 36 陸象山、一派を立てることを嫌う |
象山はれん溪・明道を以て依拠と為せりと雖も、而も太だ門戸を立つるを厭えり。嘗て曰く「此の理の在る所、安くに門戸の立つ可き有らんや。学者各々門戸を護るを要む。此れ尤も鄙陋なり」と。信に此の言や、心の公平を見るに足る。 |
岫雲斎 |
11月29日 | 37 学者、党を分つは朱子の意に非ず |
南軒、東莱は朱子の親友なり。 象山、龍川は朱子の畏友なり。後の学者は、党を分ちて相訟う。 恐らくは朱子の本意に非らじ。 |
岫雲斎 |
11月30日 |
38. |
象山の「宇宙内の事は、皆己れ分内の事」とは、此れは男子担当の志是くの如きを謂う。陳こう此れを引きて射義を註す。極めて是なり。 |
岫雲斎 |