吾、終に得たり 6..  岫雲斎圀典
              
--釈迦の言葉=法句経に挑む
多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。
                         平成25年6月1日

平成25年11月

法句経 二十六品 423

1日

第十一品

老耄(おい)

 146句

この世はつねに 無常(うつりかわり)に支配される 何の笑い 何の歓喜(よろこび)ぞ おん身らはいま 暗黒(やみ)(おお)われたり 何故に (とも)(しび)を求めざる

この世に存在するものは総て焼かれつつある 一体、これを誰が笑い得ようか、どこに喜びなんてあるのか。みんな暗黒に取り囲まれておりながらどうして燈明を求めないのか。

2日  147句

この(よそ)われたる 形体(すがた)を見よ そは 組み合わされしもの 多くの()()におおわれたり 病むこと 思いわずらうこと多く ここにはいかなる 堅固(かたき)安住(やすけき)もなし

色美しく飾られたこの姿を見なさい。本当は腐敗物により形成されたものであり、色々の病を持ち、しかも数々の思い煩いに充ちており、そこには確かさと安定を欠いているのだ。

3日  148句

この容色(すがた)は やがておとろえはつ そは(やまい)棲家(すみか) ついにほろびに帰す けがれを積める この身はやがて亡ぶなり 生命(いのち)あるもの 誰か 死におわらざる

この肉体はやがて朽ち果てる。そこは病の巣であり、穢れ腐敗したこの身体はやがて滅びてしまうのだ。生あるものの帰着するのが死であり誰もこれを免れない。

4日   149句

秋の日にすてられし 色うしなえる かの(ひさご)のごとく 野に棄てられたる (はい)(じろ)の骨を目にして ひとよ 何のよろこびぞ

秋の野に棄てられた瓢箪のように、野に棄てられた灰色の骨を見て我らは何の喜びがあるうか。

5日   150句

骨をもて (とり)()をつくり 肉と血をもて塗られたる そが中に 老と死と また(たかぶり)(まとい)とは かくされたり

吾らの身体は骨で作られたとりで市のようなもので肉と血で満たされておる。その中には老衰と死滅とさらに高ぶりと偽りが隠されている。

6日   151句

うちかざられし 王車も古び この身また 老いに至らん されど心ある人の(のり)は 老いることなし 心ある人はまたたがいに 心ある人につたうればなり

王様の車は美しく飾られていてもやがては朽ちて破れる。吾らの身も同様に老いてくる。賢い人の真理の法は決して滅びない。他の賢人にその真理の法を伝えるからである。

7日   152句

聞くこと 少なきひとは かの(すき)をひく ()牛のごとく ただ老ゆるなり その肉は肥ゆれども その智慧は 増すことなからん

学ばない人は牡牛のようにただ老化するのみ、肉体は日々肥えるが智慧は向上することはない。

8日   153句

この存在()なる幻の屋舎(いえ)を 誰ぞ作りし さがし求めて ついに究めず かくて数多き生存(いのち)の 輪廻(りんね)をば経きたれり この(しょう)もかの(しょう)も ひとしく 苦しみなり

数々の命の連鎖を通じて、徒に「悩み多い己」という建物の創作者を探し求めて流離(さすら)ってきたことか。どの生も生は苦しみである。

9日   154句

この幻の家の作者(つくりて)よ いまこそ汝を見出せり この上にて よも 汝はふたたび家をつくらじ すべて汝の柱材(はしら) 折れ (はり)はこわされたり かくて 心すでに造作(はからい)をはなれ 愛欲の滅尽(はて)にいたりぬ

おお人間建物の作者よ 今こそ私はお前を見出した もはや決して私は悩ましい自分という家をお前には建てさせはしない。私はお前のありとある垂木を破った。お前の小屋組みは悉く壊した。精神的自由に到達した心は総ての愛欲を絶滅させ得るのだ。

10日   155句

(とし)(わか)くして (たから)()ることなく 身をつつしむこと (きよ)からざれば かれはほろびゆくなり まこと 魚なき池に 老い果つる(みずどり)のごとく

若い時に清潔な生活もせずその上に財産も作っていない人は、魚の住まない池にいる老いた鷺のように寂しく死に果てる。

11日   156句

(とし)(わか)くし (たから)()ることなく その身をつつしむこと (きよ)からざれば かの朽ちたる弓のごとく ただいたずらに 過ぎし日を かこちつつ臥す

若い時に身を慎まず清い生活もせず財産も無ければ朽ち果てた弓のようにただ過ぎ去った過去を嘆きつつただ横たわるしかない。

12日 第十二品

自己(おのれ)

 157句 

()し ひと おのれを愛すべき ものと知らば つつしみて おのれを護るべし 心あるものは 三時(みとき)の一において きびしく おのれを(かえりみ)るべし

自分を大切に思うなら、自分を注意深く保護せねばならない。だから賢い人は、夜の三時の一時は目覚めておらねばならぬ。

13日  158句

おのれをして先ず なすべきところに つかしむべし しかして後に 他人(ひと)(おし)うべし 心ある者は かくて (わずら)うことなからん

先ず自分自身を正しい位置に到達させてから他人を教え導く、このような賢しい人には何らの労苦もない。

14日  159句

他人を(おし)うるがごとく もしおのれに 行ぜしめなば おのれ先ずよくととのい やがて他人(ひと)をもととのえん おのれをととのうる げに (かた)ければなり

他人を教えるように若し自分がこれと同じ行為をすることが出来たら、自分は既に慎み深くなっているから初めて他人を感化できる。自己を調えることが一番難しいことだ。

15日   160句

おのれこそ おのれのよるべ おのれを()きて 誰によるべぞ よくととのえし おのれこそ まことえがたき よるべをぞ()

まこと、自分こそ自己の救済者、一体誰がこの自己のほかに救う者がいるのか。よく自制された自己こそ、得難い救済者である。

16日   161句

悪しき(こと)は げに おのれより生じ おのれに培われて ついに 心なき者を そこなうこと 金剛石の かたき()宝石()()を きるがごとし

己のなした事は、全て己より生じて熟し、愚人を損なう事は金剛石が宝石を削るようなものである。

17日   162句

ひと おのれに いささかの(つつしみ)なければ あだかも 敵者(かたき)の おのれに不幸を望むがごとく おのれを亡ぼすなり まこと 蔓草(つるくさ)の おのがやどる沙羅樹(さらじゅ)を 覆いからすがごとし

不道徳の行為の多い人は、蔓草が寄生している樹木を覆って遂に自らも枯れて滅びるように、まるで敵が望むような行為を自分が行うようなものだ。

18日   163句

善からぬことと おのれに義よし()なきことは いと()しやすし おのれに(よし)ありて しかも善きことは いときわめて ()しがたし

不善で自分に有害なことは容易に行う。反対に己れの為になり、善行の方が却って行うのが難しい。

19日   164句

おろかなる人の あやまれる見解(おもい)に立ちて (せい)にして 道に生くる 聖者(ひじり)の教えを そしるは かのカッタカ樹の 果実(このみ)のごとく おのれをほろぼすために 果実をもつに似たり

精神生活を完成し神聖な真理を体得して生活している人の教えを謗る不正な思想を持つ愚者、それはカッタカ葺草の果実が自滅する為に実るようなものだ。

20日   165句

おのれあしきを()さば おのれけがる おのれあしきを()さざれば おのれ清し けがれと清浄(しょうじょう)とは すなわち おのれにあり いかなるひとも 他人をば清むる能わず

自分が悪事をすれば自分が穢れて苦しむ。悪事をしなければ自分は清い。このような穢れとか清らかさは共に自分から生まれている、他人を清らかにすることなど出来ない。

21日   166句

他人(ひと)を利すること 多かるとも このことのゆえに おのれの利益(つとめ)に 怠るなかれ おのれの本分(つとめ)()り そのつとめにこそ 専心(ひたすら)なれ

他人を利することがいかに多くとも 自己のつとめを忘れてはならぬ。自己の本分を自覚し熱心にやれ。

22日   167句

卑漏(よこしま)なる法を 奉ずるなかれ 放逸(おこたり)のひとと共に 住むことなかれ あやまれる(おもい)に したがうなかれ 世俗(ひとのよ)のわずらいを 多からしむるなかれ

卑しい教えに従ってはならぬ。心ない放蕩の人々と共に過してはならぬ。誤った考えに従ってはならぬ。世俗的な生活に心を惹かれぬことが必要。

23日    168句

ふるい立てよ 放逸に流るるなく 善くなさるべき 法を行ずべし 法に従いて行ずる人は この世においても また ほかの世においても こころよき休らいをえん

奮い発てよ、怠けてはならぬ。善い教えに従いなさい。真理に基づいた生活をする人はこの世でね来世でも幸せである。

24日    169句

善くなさるべき 法を修めよ あしくなさるべき 法をやめよ 法にし従いて行ずる人は この世においても またほかの世においても こころよく(やす)らわん

森羅万象の摂理である大自然の法に従い反しないことだ 真理の教えに従い生活すれば地上においても来世においても安らぎを得る。

25日    170句

この世をば 泡沫(うたかた)のごとく見 この世をば 陽炎(かげろう)の如く見るべし かくの如く 世間(このよ)を観る人は 死王もこれを とらうる能わず

この世を観察して泡沫のように見るのが適している。また、陽炎のように見るがいい。こう観察する人は死に束縛されない。

26日    171句

見よ かざられし 王車にもたぐうべき この世間()を見よ おろかびとは この世間()溺るれど 心あるものには いかなる執着(まよい)もあるなし

見なさい王車に例えたいようなこの世の世界を。愚かな人はこれに迷うが智者はこれに捉われない。

27日    172句

(さき)には 放逸なりしひとも やがて後に はげみ深き人は まこと雲を離れたる 月のごとく この世間()を照さん

過去に怠っていた人が勤しみ励むようになれば、その人は丁度雲を離れた月のようにこの世を照らす。

28日    173句

さきに あしき業を行える人も 後に、善きことによりて 清められなば まこと 雲を離れたる 月のごとく 彼は この世間を照らすべし 

悪業は後でした善行のために隠される、それは雲から抜け出た月のようにこの世間を照らす。

29日    174句

この世間()には (めしい)多く この世間()には 能く観るもの少なし 網を免れたる 鳥の少なきがごとく (さい)(わい)にいたる者は少なし

この世界の人々は智識に乏しいために暗黒で、智見を持つ人々は少ない。網から逃れる鳥のように真の覚りの天に至るものは極めて少ない。

30日    175句

水鳥は 太陽の軌道(みち)をゆき 神力(ちから)あるものは 虚空(そら)をゆく されど心ある人は 誘惑者(まよわし)と その眷属(はらから)を あわせやぶりて 世間より離れ去る

雁は太陽の運行する道を行く、超人的な力のある人は大空を行く。賢い人々は同じように悪魔とその係累を破ってこの世界から離脱できる。