「為政者の在り方考」

 

民主党内閣のお粗末振りを日本人は肝に銘じておかなくてはなるまい。それは政治家ばかりでなく教員等に対しても言える。これ程、上に立つ者が劣化した時代は有史以来無いのではないか。それは、もとより戦後教育の産物である。

この人材育成、人物鍛錬に関してわが国の素晴らしい伝統が急速に失われてしまった感がある。徳川家康は幕府創設の頃、行政権力を持つ側近の譜代大名には録高即ち年俸は外様大名に比べ驚くべく少ないものにした。これは、権力は必ず腐敗するを未然に防止する優れた措置であらう。一方、町人は権力は無くともお金、お金で欝憤を晴らしていた。

いつ頃からか知らぬが、欧米風なのか、権力者ほど、年俸が高くなってしまった。権力もお金も共にあれば余程の自戒と精神哲学がなくては腐敗するのは必然である。

昨今は経済万能時代となり上に立つものの在り方が消滅した。その教育も欠如し乱れてしまい恥ずかしい事が多すぎる。だから謝罪は、申し訳ありませんでしたですませている。本当は、「このような不祥事を起して恥ずかしくお詫びします」でなくてはならぬる。恥とは己れの心に対するもので心が恥を知れば必ず改善する。申し訳ありませんでしたは他人事なのである。

 

上に立つものの在り方が今日ほど見直しが必要で哲学を持たなくてはならないと思われる時は無い。上に立つものほど、権力者ほど、一般庶民に比して自己に厳しい在り様が物心両面に必要なのにその教養、哲学が欠如している。政治家は格別に酷い、彼らは税金で賄われていることを失念している。

だから究極的に物事が行き詰まり混乱が生じることとなる。

初期資本主義はイギリスで始まったが質実敬虔なプロテスタントを背景に成功した。中国のような社会では個人の善意に委託して成立する自由・資本主義もいずれ瓦解するであろう。日本でも明治の指導者、上に立つ者の在り方が立派であったから今日の日本がある。

特に、恥を知るのが日本文化の精粋であった。上に立つ人の在り方から先ず良くする事が社会を良くすることとなるが国会などは悪のモデル院の如き様相である。これでは社会が良くならない。

日本は、先ず精神面から出直おさなくては復活は難しい。それには国家自立の精神作興が必要である。特に、政治家は、大局観を持ち、一定の人物鍛錬のできた人を選ぶ事、志が本物かどおか、自己の利害を超越できるかどおか、言行に信がおけるか、出処進退が潔いかどおか等々、我々庶民も物の本質を見抜く力を身につけなくてはならない。日本再生には、自立・独立精神の作興が必須である。 完