人物と教養B 平成24年11月  安岡正篤先生講話 

11月1日

11月1日

愛すると
「参った」

例えば男女関係に於て愛するという場合、英語ではI love you と言うのに対して日本語では俺は彼女に参ったと表現します。参ったというのは、単に好きだとか愛するだとか言うのとは意味が違います。これは相手を敬の対象と して、己れの理想像として礼讃するのです。言い換えればこの語は、人間的尊さ・精神的偉大さを認識した語であります。従って、俗に所謂I love you に較べるとはるから発達した語であると言えます。
2日 勝負の参ったとは もっとゆかしいのは勝負をして負けた時に日本人は参ったと言います。参ったというのは自分が負けながら勝った相手を敬しておるのです。こん畜生とか、野郎やりやがったなどと言うのは下司な人間の言う科白で、 昔の武士は決してそういう語は使わなかった。その意味に於てこの語は、日本の民族精神というものが如何に武家時代に於て発達したか、ということの立派な証拠の一つであると言えます。
3日

「まつる」・
「たてまつる」

人間の心理というものは、洵に不思議なものでありまして、自分が敬する相手に少しでも近づき、出来れば近くに仕えたいもという気持ちが起ってくると、今度は更に命までも捧げたくなる。 これを「まつる」・「たてまつる」と言います。この思想・精神が奈良朝から平安期へかけて発達し、まいる(、、、)とか、つかまつる(、、、、、)とか言うような語が普及したのです。
4日

つつしむ、おそれる

この「敬」の心が主体となって一連の精神が発達し、そこに作り上げられたのが宗教であります。人間は敬することを知ると、自に恥じづることを知るようになります。そこから、つつしむ(、、、、)いましめる(、、、、、)おそれる(、、、、)

修める(、、、、)、と言った心理が発達する。これが宗教に対する道徳の本義です。従って道徳の中に宗教があり、宗教の中に道徳がある。建前の相違で、宗教と道徳とを二つに分けて論じることは浅薄であり危ない考えです。
5日 物事の根本隋念、歴史概念

人間教育、家庭教育に於て物事の根本隋念、歴史概念というものを一応知っておかないと、折角の真理、思想、学問が通じないことになります。また東洋民族の歴史・伝統を学ぶにも少なくとも今まで

述べてきた根本理念を弁えないと語が皮相になります。その反対に正解しておくと、民衆文化などにも開眼することの妙なるものが少なくありません。
11月6日 徳利(とっくり)

例えば、日本人は酒を入れる器のことを徳利と言いますが、この語を徳川時代の有る俳人が礼賛して、「どんなけちんぼうでも酒だけは自分独りで飲んでもうまくない。やっぱり人と一緒に飲んでこそ楽しい。

これは酔うととう結果よりも、人と喜びをわかつものであり、共に楽しむ利である。利は利でも徳を表す利である。酒の入れ物を徳利というのは本当にうまくつけたものだ」と言うておりますが正にその通りですね。
11月7日 徳業と機業、利行

然し、徳利は何も酒に限りません。事業でも、力づくでやっておると、いづれ競争になって困難になる。事業が人間性から滲み出た徳の力の現われであれば、これを徳業と言います。事業家は進んで徳業家にならないといけないのです。又、その人の徳が、古に学び、歴史に通じ所謂、

道に則っておれば、これを道業と言います。東洋人は事業だけで満足しない、徳業にならないと満足しないのです。現代の悩みは、事業が徳業にならないで利業、機業になってゆくことです。全て機械的になって、凡そ人間的交わりというものがなくなってしまいました。
11月8日 人間性志向を 最近ブリジストンの成毛副社長が「人間性志向」という本を出版されましたが、その中にこういう事が出ております。なんでも、ブリジストンと同じような会社だそうですが、アメリカにグッドイヤーという会社があって、終戦後そこの社長をしておったリツチフィールドという人が社長を辞めて会長になった時に、 「オータム・リーブス」(秋の葉、つまり紅葉のこと)という本を書いた。彼はその中で「これからの事業は今までのような功利的・機械的な事業ではいけない」ということを自分自身の体験からしみじみと述べている、というのであります。三菱化成の桑田社長もこの書を紹介しておられました。
11月9日 造化の陰陽相待性原理と人間

この宇宙・人生の創造・変化・限りない営みを突き詰めてゆくと最後は根本原理に行き着きます。天地・自然の創造・変化というものは窓の外の樹木を見ても分かりますが

無限の可能性、創造力(クリエイティブ・パワー)を含蓄しておりまして、その創造・変化を可能ならしめているのが生の活動力(エネルギー)であります。
11月10日 「陽」

それは何らかの形で外に発現すると同時に四方に分派し発生して、進展してゆくのです。このように分化・発展してゆく力を「陽」と言います。

処が、創造というものは陽だけでは成り立たないのです。それは分化すると末梢化して、生命が薄れるからです。分化・発展は混乱になり破滅になる。 
11月11日 「陰」 そこで一方に於て分かれるものを統一し、それを根元に含蓄しようとする働きがある。 その働きを陰と言います。この陰と陽とが相待って初めて健全な創造が行われるのであります。
11月12日 「易学」 このように、一切を陰陽相待性の法則で解説してゆこうとする学問を「易学」と申します。易は変化と同時に発達・連続を説く永世の理論なのです。 古来、この易学の思想は東洋民族の歴史的・伝統的な思想の根本となって、我々の生活に滲透(しんとう)しております。
11月13日 陰が根本

さて、それでは陰と陽のどちらが本質かと言うことになりますと、陰が根本で陽は枝葉花実的であります。陰だけでは発展ということがありません。陽が活動し代表になって

それを陰が裏打ちし内に含んで、初めて両方が存在するのです。従って陰陽の割合は陰が51パーセント、陽が49パーセントぐらいであるのが一番適当であります。
11月14日 人間の肉体も然り

我々の肉体・生態は、陰とアルカリの相待性活動でバランスを保っておるのでありますが、やはりその割合はアルカリが51パーセントで酸が49パーセント、つまり弱アルカリ性を保つということが生理の一番の原則であります。それが逆になって酸性化すると病気になる。例えば胃酸過多になると胃が痛みます。

だから昔から、酸の字をいたむ(、、、)と読む。辛酸の酸がそれです。また酸敗という熟語もあります。これは物が悪くなって腐る場合のいたむです。文字学というものは実に道理の深いものです。それが今日一向に活用されておりません。学校の先生の怠惰不勉強です。
11月15日 陰陽の男女関係

陰陽の誰にもわかる好い例は人間の男女です。勿論、女が陰原理的存在であり、男が陽原理的存在であることは言うまでもありません。従って、家庭というものを考えた場合

これは何と言っても女が中心でありますから弱アルカリ、つまり女房が51パーセントの権利を握っておるというのが家庭平和の一番の原則であるということになります。
11月16日 徳と才

こういう風に陰陽学的に考えて参りますと、人生百般のことは全て解決します。例えば「徳」というものは、これは人間の本質的要素ですから、陰性のものであり、それに対して才能や技能は属性的要素ですから、これは陽性であります。

東洋の人物学は、この徳と才との陰陽相待性理法から発達して、組み立てられておるのです。即ち、徳と才とが相待って共に偉大な発達をしている人を「聖人」と言い、反対に才徳共に空しい人を「愚人」と言います。
11月17日 けち(、、)な君子、偉大な小人

また常人の場合、徳が才よりも幾らか勝れている人と、才が徳よりもいくらか勝れている人があります。
この区別を東洋の人物学では「君子・小人の弁」と言い、前者を君子、後者を小人と呼んでいます。

だから君子・小人と言うても、君子が偉くて小人はつまらぬ、と言うのではないのです。けち(、、)な君子もあれば、偉大な小人もあります。明治維新で申しますと、西郷隆盛は君子、大久保利通や勝海舟は偉大なる小人と言えます。
11月18日 知能と情操

また人間は知能と情操という二つの相対的要素を持ってい

ますが、この場合、情操が陰で、知能が陽です。
11月19日

そこで、これを君子と小人に当てはめると、やや情の勝った人の方が君子、

知や技の勝った人の方が小人ということになります。
11月20日

この二者を較べますと、知の人は、どうかすると人の関係に於てうまくゆかなかったり嫌われたりしますが、情の人は反対に人から好まれます。

もっとも情の人も余り情に溺れると社会生活に破れますが、人間としては知の人よりもこの方が好いと申せます。
11月21日 男と女 男女の場合はどうか。女性は内面的で、頭脳とか才覚とか、或は名誉欲、功名心、世間的活動、そういうものは控え目の方が女らしい。 これに対して男性は、体躯も立派で、頭脳明晰、才能に富んで、理論に長じ、功名心もある、というのが男らしい。
11月22日

それただけに男性は、陰原理的なものを取り入れないと、才知に倒れ、理論に破れ、闘

争に敗れます。常に内面的・道義的修養につとめ、優雅な趣味を持たないと長続きしません。
11月23日 政治上の陰陽

政治的に見ますと、大衆・民衆というものは陽原理的なものですから、放っておくと必

ず利己的・闘争的になって、やがて混乱し、破滅に陥ります。
11月24日

その破滅から民衆を救って、よくこれを幸福に導くのが政治の責任です、そこで民衆に代わって反省し統一してゆく

主体である国家の官庁には、文部省も大蔵省という風に「省」の字が昔からつけられてあるのです。
11月25日 (せい)

省は「吾れ日に三省す」と論語にあるように、かえりみる(、、、、、)、と同時にはぶく(、、、)という意味の字であります。

即ち民衆生活を顧みて悪い所をはぶい(、、、)て整理・統一する、これが官庁や役所の仕事だということです。
11月26日 (せい)

「省」は、国家にとっての政治の要諦であり、個人にとつては最も大事な生活原理でありますが、同様に文明にとってもこれは非常に大事なことです。

文明もある程度発展すると枝葉末節が繁雑になり、やがて頽廃。堕落して、衰退・衰滅に向います。
11月27日

そこで反省して、悪い所を思い切って省くことが必要であります。

それをやらぬと、文明が繁栄によって亡びることは歴史が証明しております。
11月28日 日本経済はいずれ崩壊する

日本の今日の経済も、これ以上発展すると、いずれ崩壊に向うことは目に見えています。私は経済人ではありませんが、人間

の歴史文化の長い間に生じた原理・原則から見て日本の経済だけがそれから外れるということは考えられないのであります。
11月29日

現在、日本の生産業者はかき集められるだけの原料資材を世界中から集めて、これを製造工程にかけ、出来た製品をまた世界中に売り捌いている。

そうして貿易が伸びた、外貨が蓄積された、などと言うて喜んでおります。
11月30日

然し、ある程度伸びると必ず相手から叩かれるというのが商売の原則で、もう既に買い手に回ってはいじめられ、売り手に回っては叩かれて、過当競争をやらざるを得なくなってきております。

このままゆけば、日本経済の前途は段々暗い見通ししかたちません。それをどういう風に省するか、それこそ銀行などで研究するのが最も早道であり当を得たものと思われます。