日本人指導層の顔つき 

最近、新聞沙汰になる日本の指導者層を見て、痛感することがある。

そして、共通しているのが、あの「抜けたような面―顔つき」なのである。引き締まった顔つきがいないのである。 

防衛省次官をしていた守屋君、あの「気の抜けた(つら)」、これが国民の安全を守る、昔で言えば武士で国家大老なのである。これでは日本は危い。 

守屋君の顔には「精神性が皆無」に見える。頭は悪くないのであろうが、精神性が微塵も感じられない。肉体的にも鍛錬の跡が見られない。 

彼には、心身ともに、鍛え上げたような、風貌が見られない。せいぜい係長程度の、停年前の、利に敏い感じだけの男である。彼の過去の心身の履歴が伺える思いがする。 

前の防衛大臣の久間君、あれも防衛大臣としては顔付のみで不適任であった。防衛責任者があの寝惚け顔の言動では兵の意気が上がらない。風貌からして不適格、案の定、惚けた発言をした。 

民主党の菅直人君の顔付も然りである。彼は単なる「口舌の徒」、自己反省の練磨の欠けた、心に深みの見られない軽い人物である。品性が悪いから厚生省の地下倉庫破りを試みた。下司の如き振舞い、唾棄すべき男ではある。 

前の農林大臣の赤城君、あれなどは守屋君より劣る風貌であった。その上にセンスの欠片もない絆創膏の貼り方を観察するとオツムもどうかな、当に三代目の顔つきである。惚けたような精神生活をしてきたのであろう。 

田中真紀子、あの顔つきは、親が一代の叩き上げ男、その生活を直に見て育った女だから、口八丁手八丁を遺伝して、形振り構わぬ、凄まじい叩き上げババアの印象である。カネはあっても、まだ家としての洗練度が浅く、野育ちそのままで、品性も教養も微塵も見られず、女の感情丸出しで動くだけの人間。日本国の師表に立ち国家に役立つ人物とは毛頭思えぬ。 

いい仕事をする人は、人相にもそれなりの気品があるように見える。

自民党新人女性議員の稲田朋美氏、論説も主張も鋭いが人物に気品がある。

平沼赳夫氏もいい顔だ。立派な議員は顔付を見ればよく分かる。このような議員はいい仕事をする事は間違いあるまい。
 

民主党の長妻議員、目つき・人相がやけに悪くなった。やはり人の悪いことばかりほじくって悪態をついていると、あのような人相になるらしい。 

民主党の参議院会長の興石という日教組の親分、あのひねたような、イヤラシイ顔つきは歪んだ本性を具現しているのではないか?

未熟の青カボチャのようであった鳩山由紀夫君、少しは熟れてきつつあるが、まだまだ小沢一郎の書生に過ぎない。日本を任せるには早い、早い。
 

現在の若林農林大臣、あの顔つきは、確かに悪事と無縁だと思われる。仕事の力量は保証できぬが。 

精悍な面と眼差しは鷹を思わせ、気性も攻撃性があり、知能も溢れ、庶民感覚もあり、現在の厚生行政に最適任は、舛添大臣であろう。

余談だが、片山さつき議員も攻撃的であり両者の過去の激突を彷彿とさせるに余りある。鳩山邦夫君、やっぱりボンボンだね、なんだね連続する失言は、君も太ったトンちゃんになった。人権法案なんて作ったら承知しないぞ。 

国民新党の亀井静香君、人相・風貌が、平凡な・おっさん顔になった、あれでは一国の宰相には到底無理だよ。往時にはまだ勢いが充満して、それなりの迫力・気魄があり昇竜を感じたが衰えたよ、悪いカネに毒されたか?全身にこのような印象が漂っている。 

綿貫君、顔付が神主という純の純なるものから泥まみれのものとなり、綿貫家の本筋から外れつつある。邪道、迷路に入り自信の欠けた顔になってきている。引き返せば元のいい顔になられるであろうに。惜しいことだ。

社民党の福島君も党首となり、自分のことは棚上げして、政府攻撃の悪口ばかり言うようになってから、昔の清新な印象も廃れて実に悪い顔つきとなっている。菅直人君と頗るよく似ている。反日・左翼の典型的人物。

共産党の志位君、勤労者の顔でなくなった、今や太った共産主義者だね、戦後60年、自民党政権下、敵対する自由・資本主義の恩恵下、政府に反対ばかり唱え、言うなれば、税金で、無銭飲食してきたに等しいからだね。
  

平和ボケの抜けたような顔つきの指導層が増えていると痛感している。これでは21世紀に向けた清新な新日本は期待できそうにない。

小沢一郎君、このような平成のボケ面の政治屋ばかりだから、凄みがあるように見え、梟雄と称するメデイアもあるが、梟雄は必ず「高転びに転げ落ちる」。顔の肥満を見るがいい、彼は心臓病という時限爆弾を抱えている。本会議欠席常習犯に、断じて日本国を託す訳には参らぬ。

正に「平成のボケ顔」ばかりの指導層となっている現今日本。日本の未来を憂うばかりである。
 

自在に発言をすればこんなところであるが、素直に見れば、意外と顔付に人間の心性、本性が看取、洞察できるのである。 

平成19年10月27日 

           徳永日本学研究所 代表 徳永圀典