日本古代史の謎 その六 水野 祐氏より   

    第二講 古代史の概説 
平成23年11月度  

 1日

日本建国の歴史経緯

推古天皇9年を基準 では、その基準になる辛酉と年はいつかと言いますと、暦術が入ってきた推古天皇の年にちょうど辛酉の年があります。この推古天皇の即位の9年に当たる辛酉の年を基準としてそれから1260年遡らせた辛酉の年がちょうど西暦紀元前660年に当たるのです。
 2日

こう見れば、讖緯(しんい)暦運説によって、推古天皇辛酉の年を基準にして神武天皇の即位年が計算されたのです。推古天皇の時代と言うのは、日本歴史の上で、聖徳太子の執政による政治改革が行われ、日本の国が大きく中国的な律令国家への転進を始めた重要な転換期です。そこでその時が一大革命の時期に当たると考えられました。

 3日 紀元前660年の辛酉の年とした訳

このことから、それよりももっと基本になる大革命が起こったのは、1260年遡った辛酉の年に違いない。その当時の学者が知恵を絞り出して検討して得たのが神武天皇の即位元年に指定される紀元前660年の辛酉の年だということになったわけです。

 4日

こうして、推古天皇の9年の辛酉の年から1260年遡った大革命が起こった年、それこそ日本の建国に相応しいという合意の上でつくられたのが、辛酉革命説を基にした神武天皇が即位した建国の紀元の年なのです。

 5日

そのように考えますと、この神武天皇即位の年は全く後から中国の讖緯(しんい)暦運説によって定められたものであって、決してそれが古くから確定されていた、或は記録されていた事実ではないと云うことが明確になります。

日本建国の歴史は後から考えだされた
 6日 中国の「史記」に見る歴史の伝わり方 以上のように見てきますと、文献が記す日本建国の歴史は、神武天皇の名前もその即位年も、或は神武天皇の存在さえ、いずれも後から考え出されたことなのだと言うことが分ります。
 7日

中国の歴史を見ると「史記」に古い殷王朝の時代の皇帝の系譜が出できます。そして、古代の殷の都城の跡と伝えられる殷墟の遺跡から出てくる遺物の中には甲骨文字による「史記」の帝王系譜に合致する帝王の名前が刻まれたものが発見されています。

 8日

ということは殷代においてその当時すでに人びとにし似れていた帝王の名前が正確に遺物に刻まれていたということになります。中国ではこうしたものから皇帝の存在を確認することが出来るわけです。

 9日 三十三代までの天皇は後から名前が付けられた?

しかし、日本には全くそういうものが無いのです。従って、「古事記」「日本書紀」ともに神武天皇から推古天皇まで33代の天皇の名前をきちんち列記していますが、それは第2講でも述べましたように、伝承文芸においては人名などは忘れられてしまい、一番伝わりにくい事柄です。処が伝わりにくい人名がきちんと記されているのです。

10日

けれども、日本の歴史を見ると、伝承の叙事詩が無いにも拘わらず、ただ人物の名前や数詞だけけがはっきりと記されている。これは伝承の性格から言っておかしなことです。言い換えれば、日本の歴代の天皇の名前や数詞は後から作られて列記されているのだということになります。

11日 「記紀」の創作的性質

私たちは、こうした「記紀」の創作的性質をよく理解しておかなければ、そこから古代史を見ることはできません。

12日 建国伝説の虚構部分

今回の講義では、即位年を検証することで、神武天皇の建国伝説の虚構部分を剥がしたわけですが、こうした作業の積み重ねによって、初めて古代史の姿が明確になっていくわけです。

13日 参考
十干



十二支
十干 (こう)(おつ)(へい)(てい)()()(こう)(しん)(じん)()

十二支 ()(うし)(とら)()(たつ)()(うま)(ひつじ)(さる)(とり)(いぬ)()
参考 十干・十二支組み合わせ表
14日

五行

十干

      十二支

木               

 (きのえ)

1

 甲子(きのえね)

11

(きのえ)(いぬ)

 

21

(きのえ)(さる)

31

(きのえ)(ううま)

41

(きのえ)(たつ)

51

(きのえ)(とら)

 

 

 (きのと)

2

(きのと)(うし)

12

(きのと)()

22

(きのと)(とり)

32

乙未(きのとひつじ)

42

乙巳(きのとみ)

52

(きのとう)()

 

 火

 (ひのえ)

3

 (ひのえ)(とら)

13

丙子(ひのえね)

23

(ひのえ)(いぬ)

33

(ひのえ)(さる)

43

丙午(ひのえうま)

53

(ひのえ)(たつ)

 

 

 (ひのと)

4

 (ひのと)()

14

(ひのとうし)(うし)

24

(ひのと)()

34

(ひのと)(とり)

44

丁未(ひのとひつじ)

54

丁巳(ひのとみ)

 

 土 

(つちのえ)

5

 戊辰(つちのえたつ)

15

(つちのえ)(とら)

25

戌子(つちのえね)

35

(つちのえ)(いぬ)

 

45

(つちのえ)(さる)

55

(つちのえ)(うま)

 

 

(つちのと)

6

 己巳(つちのとみ)

16

(つちのと)()

26

(つちのと)(うし)

36

(つちのと)()

46

(つちのと)(とり)

56

己未(つちのとひつじ)

 金

(かのえ)

7

 (かのえ)(うま)

17

(かのえ)(たつ)

27

(かのえ)(とら)

37

庚子(かのえね)

47

(かのえ)(いぬ)

57

庚申(かのえさる)

 

 

 (かのと)

8

 辛未(かのとひつじ)

18

辛巳(かのとみ)

28

(かのと)()

38

(かのと)(うし)

48

辛亥(かのとい)

58

辛酉(かのえとり)

 

 水

(みずのえ)

9

 壬申(みずのえさる)

19

(みずのえ)(うま)

29

(みずのえ)(たつ)

39

(みずのえ)(とら)

49

壬子(みずのえね)

59

(みずのえ)(いぬ)

 

 

(みずのと)

10

 (みずのと)(とり)

20

癸未(みずのとひつじ)

30

癸巳(みずのとみ)

40

(みずのと)()

50

(みずのと)(うし)

60

(みずのと)()

 

15日 紀年 紀元から起算した年数。 
紀元 歴史上で年を数える際の基準、または基準となる最初の年。
    
現在、世界的にはキリスト誕生の年を元年とする西暦紀元が使われている。日本では1872(明治5)に神武天皇即位の年を西暦紀元前660年と定めてこれを皇紀元年と読んだ。
16日 十干 (こう)(おつ)(へい)(てい)()()(こう)(しん)(じん)()の総称。これを五行に配し、おのおのの陽即ち()と、陰即ち()をあてて、(きのえ)(きのと)(ひのえ)(ひのと)などと訓ずる。普通、十干と十二支とは組み合わせて用いられ、干支を「えと」と称するに至った。 
17日 十二支 暦法で、()(うし)(とら)()(たつ)()(うま)(ひつじ)(さる)(とり)(いぬ)()の称。子は鼠、丑は牛、寅は虎、卯は兎、辰は竜、巳は蛇、午は馬、未は羊、申は猿、酉は鶏、戌は犬、亥は猪。その各々を時刻および方角の名とする。 
18日 五行 中国古来の哲理に言う、天地の間に循環流行して停息せぬ木・火・土・金・水の五つの元素。万物組成の元祖となる。
19日 わが国の暦の変遷 日本で使用された暦には、太陰暦・太陽暦がある。602(推古10)百済の僧・観勒が歴法をもたらしたと伝え、604年以来、元嘉(げんか)()(ほう)大衍(だいえん)()()(せん)(みょう)、符天歴が中国から輸入・採用され、歴博士が毎年翌年の歴を作って上奏したものを頒布した。1684(貞享1)渋川春海が貞享暦を作り、以後これが宝暦歴、寛政歴、天保歴と改善されて幕末に至った。これまでは、いずれも大陰暦。1872(明治5)123日を明治611日と定めて大陰暦を廃止、太陽暦を採用した。
20日 讖緯(しんい) 中国古代の予言説。陰陽五行説に基づき、日食・月食・地震などの天変地異または緯書によって運命を予測する。
21日 律令 律と令。律は刑法、令は行政法などに相当する中央集権国家統治の為の基本法典。
律も令も古代中国で発達、隋・唐時代に相並んで完成し、日本を初め東アジア諸国に広まった。律令国家とは、律令を統治の基本法典とした国家のこと。
22日 紀元節 1872(明治5年)、神武天皇の即位の日を設定して祝日としたもので、211日・第二次大戦後廃止されたが、1966年「建国記念日の日」という名で復活し翌年より実施。
23日 史記 130巻。古代中国の史書。前漢の司馬遷撰。黄帝から前漢武帝までを記述。本紀・表・書・世家・列伝からなる。
24日 中国史上、存在の確実な最初の王朝。「商」と自称した。「史記」「殷本紀」によれば、成湯王が夏を滅ぼして殷をはじめ、紂王に至って周の武王に滅ぼされた。
25日 甲骨文字 亀甲・獣骨などに刻まれた中国殷代の象形文字。

4講義 架空の天皇はなぜ創られたか 
神武天皇は実在しなかった

26日 架空天皇の代表的人物・

神武天皇

私は既に第2講と第3講に於いて、神武天皇が実在の天皇ではなく、つくられた天皇であると見るに十分な根拠を示してきたと思います。しかし、私は架空の天皇は神武天皇だけではなく「記紀」が記す天皇の多くが架空の天皇であると考える立場をとります。

27日

こうした立場からすれば、まず最初に「記紀」の天皇の中には架空の天皇が確実にいるということを示しておくことも必要です。そうした観点から見ると、初代天皇とされる神武天皇はいはば架空天皇の代表者であり、また神武天皇の架空性がきっちり根拠づけられたことで、他の天皇の架空性が自然、明らかになっていくという位置にあります。

28日

そこで、今一つの視点から神武天皇の架空性を根拠づけ、その非実在を確実に立証してから他の天皇の架空性を指摘し、また何ゆえ架空の天皇がつくられたのかという話へ進みたいと思います。

29日

「記紀」における神武天皇宝算の違い

「古事記」「日本書紀」ではともに、神武天皇が初代の天皇であると決めておきながら、その宝算になりますと両書でその年数が違います。ちなみに宝算とは天皇の寿齢のことです。

30日

どこがどう違うかと言いますと「古事記」が神武天皇の年を137歳としているのに対し「日本書紀」は127歳です。10歳だけ違っているのです。そこで古くからこの10年の差ほめぐって「日本書紀」の127歳と、「古事記」の137歳とどちらが正しいのかということで学者の間に色々な論争が起こっています。どちらかが誤写したのだということで盛んに論議がなされ、それによって「古事記」「日本書紀」の優劣論までが展開されています。然し、よく考えてみますと、このような論議は馬鹿げたことなのです。私がなぜそういうのかと言いますと、ちゃんとした理由があります。