鳥取木鶏研究会 11月例会レジメ 

国民に告ぐ 藤原正彦氏 文芸春秋より学ぶ 

独立自尊のために戦争は不可避だった

日本はこの大きな世界史の流れに明治維新とともに放り込まれてしまつたのである。独自の、人類の宝石とも言うべき文明を生んで来た日本は、その気高い自負ゆえに、他のアジア諸国とは異なり独立自尊を決意した。日本のような後進の小国にとって実は大それた望みであった。明治の日本人が満腔にこの決意を固めたと同時に、その後の流れはほぼ決まってしまったのである。 

ロシアの恥も外聞もないあからさまな南下政策から自衛する為には、富国強兵を早急になしとげ、朝鮮に拠点を確保した上で、満州をめぐり大国ロシアと生死をかけた戦いに挑む以外になかった。 

昭和の世界恐慌では、列強のブロック経済化により日本の輸出が閉めだされ失業率は国中に溢れ、東北の農村などでは、一日一回の食事も出来ない欠食児童が大量に現れ若い娘たちは身売りされる中、朝鮮を越え、中国の主権を踏みにじって満州に新しい市場を求めざるを得なかった。 

これはコミンテルンの謀略により日中戦争までに発展しアメリカの謀略により袋小路に追い込まれ、遂にはアメリカとの悲劇的戦争に至ったのであった。 

その間、多くの致命的間違いを犯した。人種差別撤廃を否決された禍根や、日本を孤立化させようとするアメリカの陰謀もあって、大正10年に命綱の日英同盟を放棄したこと、昭和2年の南京事件で幣原外相が、蒋介石軍が明確に国際法を犯したにもかかわらず、「日支友好」を優先とした英米と共同行動を取らなかったため、英米に「抜け駆け」と見られ、以後敵視されてしまつたこと。 

昭和8年に、「満州国に関するリットン調査団が「満州国には中国主権下の自治政府を作る。そこでの日本権益は尊重する」、と言うごく妥当な結論を出したのに、これを不服として國際連盟を脱退したこと。昭和15年に海軍の猛反対にも拘らず日独伊三国軍事同盟を結び、米英と完全な敵対関係に入ってしまつたこと。 

などなど、日本外交の拙劣さが悔やまれる。然し、こういった大失策がなくとも結局は、明治の初めに独立自尊を覚悟した以上、帝国主義の潮流に乗らざるを得ず、この潮流の衰退とともに、小国日本は斜陽の列強として静かに沈むしかなかったのであろう。

日米戦争はくとも、いつかは満州、朝鮮などの人々による、大国からの支援を受けた、独立を目指す正当な戦いが始まり、日本は権益を守るため甚大な犠牲を彼我に出しながら恥ずべき戦争を進行せざるを得なかったろう。

 

そして歴史の流れにより敗北し、恐らく現在の四つの島に史上一度も外国勢に征服されたことがない、という名誉だけにすがり、ひっそりと生きていたことだろう。

 

アジアの小さな島国日本は、帝国主義の荒波の真っ只中で殆ど不可能とも言える独立自尊を決意した。2千年近い歴史の中で海外出兵は(はく)村江(すきのえ)の戦いと朝鮮出兵だけという、また江戸時代には260年の完全平和を築くという離れ業をやってのけた。世界でも際立った平和愛好国家は、帝国主義の荒波に乗るしか他なかつた。荒波に抗して呑みこまれ粉々に砕け散るよりは荒波に上手に乗るしか他になかったのである。 

過去の出来事を、当時の視点でなく、現代の視点で批判したり否定したりするのは無意味なことだ。19世紀までの人類社会を、人間平等すらなかった酷い時代と否定してみても何も生まれないのと同様だ。帝国主義は現在の視点から見れば、無論、卑劣な恥ずべきものである。従ってこの観点からは、日本も他の列強がそれぞれの征服地でした如く、朝鮮や中国の人民に言語道断の振舞いをし甚大な迷惑をかけたことになる。弱肉強食は帝国主義時代の唯一の国際ルールだったとは言え、自省と遺憾の念を持つべきは当然である。 

然し、人間はその時代のルールで精一杯頑張って生きるしかなく、未来のルールで生きる訳にはいかない。全ての列強と同じ誤ちを日本も犯してしまったのは仕方のないこととしか言いようがない。

一方、この帝国主義の荒波の中で、日本人はそれぞれの時代の最強国ロシアそしてアメリカに、独立自尊を賭け身を挺して挑むという民族の高貴な決意を示した。

無謀にもロシアとアメリカに挑んだことは、別の視座から見ると日本の救いでもある。日本の基本姿勢が他の列強とは全く違い、弱肉強食、即ち弱い者いじめによる国益追求、という恥ずべきものでなく飽くまでも独立自尊にあった。ということの証左にもなっているからである。

そして日本人は、これらの大敵との戦いの各所で、民族の精華とも言うべき自己犠牲、惻隠、堅忍不抜、勇猛果敢などの精神を十二分に発揮したのである。 

日本が追求した穏やかで平等な社会

歴史についての叙述が多くなったのは、明治、大正、昭和戦前を否定する東京裁判を形式ばかりか内容についても拒絶するためであった。日本は恐ろしい侵略国であった、などというフィクションを信じこまされているから、日本人自ら「自分達は一人一人はよいのに集団になると暴走しやすい危険な民族である」と自己否定してしまい、自国の防衛にすら及び腰になるのである。 

そして何より、明治以降が占領軍と日教組の都合に合わせて否定されたままにしておいては、いかに江戸期までに素晴らしい文明を創りあげた日本があっても祖国への誇りを持ちにくいからである。 

それでは、日本文明を特徴づける価値観とはどんなものであったか。一つは欧米人が自由とか個人をもっとも大事なものと考えるのに対し、日本人は秩序とか和の精神を上位におくことである。日本人は中世の頃から自由とは身勝手とみなしてきたし、個人を尊重すると全体の秩序や平和が失われることを知っていたのである。

自分のためより公の為に尽すことのほうが美しいと思っていた。従って、個人が競争し、自己主張し、少しでも多くの金を得ようとする欧米人や中国人のような生き方は美しくない生き方であり、そんな社会より、人々が徳を求めつつ穏やかな心で生きる平等な社会の方が美しいと考えてきた。 

このような独特の価値観はかろうじてながらまだ生きている。高校生に関する日本青少年研究所の統計データを見ても、「お金は尊敬される」と思う人はアメリカで73%なのに対し、日本では25%しかない。

「自分の主張を貫くべきだ」と思う人はアメリカで36%、日本では8%である。「他人のためより自分の為を考えて行動したい」に強く同意する人はアメリカで40%、日本では11%に過ぎない。 

思えば、帝国主義とは近代日本人の発想から生まれたるものではなく、欧米のものであった。右で、自分を自国国に置き換えてみれば一目瞭然だ。国家が国際秩序とか平和より、自国を尊重し、自国の富だけを求めて自由に競争する。まさに帝国主義である。 

リーマンショックに始まり現在のギリシャ危機、ユーロ危機へつながり、まだまだ続きそうな国際経済危機は新自由主義によるものである。これまた欧米のものである。 

万人が自由に、自分の利益が最大になるように死に物狂いに競争し、どんな規制も加えないで全てを市場にまかす。どんなに格差が生まれ社会が不平等になろうとそれは個人の能力に差があるのだから当然のことだ。というのは、日本のものではない。日本人が平等を好むのは自分一人だけがいかに裕福になろうと周囲の皆が貧しかったら決して幸せを感じることができないからだ。仏教の慈悲、武士道精神の惻隠などの影響なのだろう。日本は帝国主義、そして新自由主義と、民族の特性に全くなじまないイデオロギーに、明治の開国以来翻弄され続けてきたと言える。 

今こそ、日本人は祖国への誇りを取り戻し、祖国の育くんできた輝かしい価値観を再認識する必要がある。座標軸を取り戻すのだ。これなくしては根無し草のようにものであり、目前の現象にとらわれどんな浮き足立った改革をしてみても、どうなるものでもない。

どの選挙でどの政党が勝ち、誰が首相になりどんな政策を出そうが現代日本の混迷は解決するどころかひたすら深まるだけである。 

祖国への誇りと自信が生まれて来れば、日本を日本たらしめてきた価値観を尊重するだろう。アメリカが、アメリカンスタンダードである貪欲資本主義をグローバルスタンダードと言い含めて押しつけようとしても「日本人は金銭より徳とか人情を大切にする民族です」と言い抵抗することが出来た筈である。 

規制なしの自由な競争こそが経済発展に不可欠と主張し強要してきても、こう切り返せたはずである。「日本人は聖徳太子以来、和を旨とする国柄です。実際、戦後の奇跡的経済復興も、官と民の和、民と民の和、経営者と従業員の和で成し遂げました」。これを言わずアメリカ式を無批判に取り入れたから、日本特有の雇用が壊され、内閣府によるとフリーターは400万人を超え、完全失業者は300万人を上回ることとなった。 

占領軍の作った憲法や教育基本法で、個人の尊厳や個性の尊重ばかりを謳ったから、家とか公を大事にした国柄が傷ついてしまった。これはGHQが意図的にしたことだった。家とか公との強い紐帯から生まれるそれ等への献身と忠誠心こそが、戦争における日本人の恐るべき強さ、と見抜いていたからである。占領の一大目的である日本の弱体化には、軍隊を解散するばかりでなく、そこから手をつけなければならなかった。そこで個人ばかり強調したのである。 

東京裁判のおまじないが解けない日本人は、公への献身は軍国主義につながる危険な思想、などと自らに言い聞かせ、個人主義ばかりをもてはやした。個人主義の欧米が、日本など比較にもならないほどの争いに彩られた歴史を有することなど顧みなかったのである。

この結果、家やコミュニィティとの紐帯を失った人々は浮草のようになってしまったのである。困った時には家や近隣や仲間が助けの手をのべる、という美風を失ったのである。

実は、この紐帯こそが幕末から明治維新にかけて、我が国を訪れ日本人を観察した欧米人が「貧しいけど幸せそう」と一様に驚いた、稀有の現象の正体だったのだ。 

日本人にとって、金とか地位とか名声より、家や近隣や仲間などとのつながりこそが精神の安定化をもたらすものであり幸福感の源だったのだ。これを失った人々が今、不況の中でネツトカフェ難民やホームレスとなったり、精神の不安定に追いこまれ自殺に走ったり、「誰でもいいから人を殺したかった」などという犯罪に走ったりしている。

少子化の根本原因もここにある。家や近隣や仲間の有難さが失われ人々との繋がりが希薄になったこの社会で苦労して育てた子供は本当に幸せになれるのだろうか。

なれそうにもないのなら、子育てにエネルギーを使うより、自らの幸福を追い求めよう。

自分を支えてくれた社会へ恩返しするより自己実現となるのである。「個の尊重」「個を大切に」を子供の頃から吹き込まれているから直ぐにそうなる。だから少子化は出産費用の援助や「子供手当て」で解決する問題ではない。馬車馬の尻を鞭で叩くような勝者と敗者を鮮明にする成果主義にもとづく競争社会でなく、祖国への誇りと自信の上に日本の国柄としての家とか公をはじめ、人々の濃厚なつながりを大事にしたうるおいのある社会を取り戻さない限り、社会に漂うとげとげしさややるせない不安、少子化などの諸問題は解決しない。 

学級崩壊や学力低下なども、個人を尊重し過ぎた結果、先生と生徒、親と子供が平等となったことが大きい。基本的人権を除けば、先生は生徒より偉く、親は子供より偉い、という古くからの明確かつ当然な序列が薄くなったため、子供達が野放図になった。厳しい鍛錬すら出来なくなったから学力は低下した。今でき教師は教授する者でなく子供の学習の援助者、などということになっている。 

日本に昔からある「長幼の序」や「孝」を幼いうちから叩きこまないとどうにもなるまい。自殺にまでつながる陰湿ないじめなども「朋友の信」や「卑怯」を年端のいかぬうちから叩き込まない限り、いくら先生が「みんな仲良く」と訴え、生徒や親との連絡を緊密にしようとなくならない。 

要するに、現代日本の直面する諸困難は、各党のマニフェストに羅列してあるような対処療法をいくら講じてもどうにもならないということだ。

戦前から始まり、戦後には急坂を転がるように進んだ体質の劣化が原因だからだ。体質劣化の余り、体質を改善する能力さえ既に失ってしまっている。人々は薄々それに気づき始めている。何をしてもうまく行かないからである。 

その為か、国民の視線が内向きとなり下向きになっている。思考が萎縮し始めている。大人達は将来を悲観し、若者は夢や志さえ持たなくなっている。筑波大学のグループが日中韓の中学生を調査したところ、「将来に大きな希望を持っている」は日本29%、韓国46%、中国91%である。祖国への誇りが世界最低のことは先に述べた。GHQと日教組による日本弱体化計画が偉大なる成功を収めたのである。   

         11 安岡正篤先生の言葉

低俗雑駁な大衆

やはり、いかに人材(エリート)が奮起するか、或は人材を思い切ってどう政局に立たせるかより外ないことです。処が、困ったことに、現代は益々大衆の時代になって来ております。

大衆はその中に大きな意味も力もあります、然し、スペインの有名なオルテガがその名著「大衆の叛逆」に説いておりますが、大衆は畢竟(ひっきょう)低俗(ていぞく)雑駁(ざっぱく)で、そこから何ら勝れた見識も政策も生まれていません。 

国家の興隆

世の中が大衆的になればなる程、かえってエリート、人材を指導者に出さねばなりません。このエリートが大衆の尊敬と信頼とに値して、その指導の下に大衆が良く結集し、

行動する時、始めてその民族・国家は興隆するのです。このことはA・トインビー教授もその「歴史の研究」に解明しております。