とよあしはらの中つ国     
           副題--中国と言う言葉について
 

とよあしはらの中つ国

これは古代日本を矜持ある国家・日本であるとの自称であった。日本人自体が自らを「中国、中つ国」と誇りと自信を持っていた。

基本的には、他国が自国を「中国」と呼ぶのは自由だが、その国に対して、日本が他国を例えば道徳律の欠片もないチャイナを「中国」などと呼ぶ必要性は全くないのである。ナンセンスである。ここが肝心要なのである。中国とは国名ではないのだ。

チャイナことシナは、夜郎自大な中華思想により他国に自国を中国と呼ばせたいのである。

 

本来の中国の意味とは

自分の国が世界の中心の立派な国―中つ国―であるとの矜持ある自意識語である。特定の固有の中国と申す国は無い。世界各国でも、china(英語)、チナ(イタリア語)、シーヌ(フランス語)、シーノ(スペイン語)、支那或いはシナ(日本語)と呼ぶのが正しい。

 

現在の中華人民共和国の略称の中国ではなく、彼らが中国と呼んで欲しいと日本の敗戦後に米国占領軍を通じて戦後日本人に言わせたものである。

従って、我々は、中華人民共和国とかシナ人と呼ぶのが正当であり、あんなデタラメな民族を中国と呼ぶ必然性も正当性も皆無なのである。これが良識ある知性人の正しい理解であろう。

 

さらに、詳細に中つ国なる中国の由来を解説すれば、

古代より文明が啓け、歴史と伝統ある国の人々が、自らの国を誇って使う言葉である。これはチャイナだけではない、古代インドでも世界は中つ国・インドを中心に動くと考えていた。

要するに「文化の優れた民族が自国を世界の中心とみなして中国と称したいのである」、大地が汚染し、大気も汚濁し、河川も腐った、野蛮な、コピー大国、インチキ大国、道徳欠如国のチャイナを日本人は中国なんて呼んではいけないのである。

朝日新聞とかNHKとかメディアの言いなりになる必要性は絶対にない。

 

現在の中華人民共和国を呼ぶ正式な略称は、「中共」であろう。そう呼ぶべきである。

 

「シナ或いは支那」と呼ぶのは日本人の独立精神と大いに関係がある。独立自尊の気概と関係があることを自覚すべきである。

メディアも政治家も以て銘すべきである。

「初めにロゴスあり」だ。

     徳永日本学研究所 代表 徳永圀典

 

注 日本の中国地方とは

 

鳥取県は中国地方にある、なぜ中国地方と申すのか、10世紀、「律・令・格・式」という法体系があり「延喜式」の中に、全国を都からの距離に応じて畿内、近国、中国、遠国に分けて公文書の提出期限などを仕分けした。
畿内…山城、摂津、和泉、河内、大和
近国…若狭、美濃、尾張、三河、伊賀、伊勢、志摩、 

近江、丹後、丹波、但馬、播磨、淡路、紀伊、備前、美作

中国…越中、加賀、能登、越前、甲斐、信濃、飛騨、 

遠江、駿河、伊豆、因幡、伯耆、出雲、備中、備後、阿波、讃岐

遠国…陸奥、出羽、常陸、下野、上野、武蔵、上総、  

下総、安房、相模、越後、佐渡、隠岐、石見、安芸、長門、周防、伊予、土佐、筑前、筑後、肥前、肥後、壱岐、対馬、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩

我が国での中国とは、「都から中程度離れている国」っていう意味に過ぎない。

 

    徳永日本学研究所 代表 徳永圀典