日本、あれやこれや その55

平成20年11月度

世界で一番素敵な山道

 1日 キャサリン・サンソム婦人 昭和の初期、イギリス人外交官の夫人、東京で生活をし日本人を観察した記録が残っている。

当時の日本人庶民の姿を、暖かいまなざしで軽妙なタッチで描いている。微笑ましいので一部登載する。私は登山が好きなので「日本アルプス紀行」のみとする。

 2日 日本アルプス行き 東京は面白いし住みやすい町ですが、時々都会を離れて田舎に行くと本当にほっとします。非常に美しいのは、日本アルプスと呼ばれる、本州 の湾曲した背骨にあたる山脈です。二、三の連峰から成り、本格的なロッククライミングが出来る所もありますと、足が達者なハイカーにとっては楽園そのものです。
 3日

勿論急な上りや下りがありますが、苦しむだけの価値は十分あります。夏の間は色々な花、それもヨーロッパ原産の花と日本の変種が美しく咲

き乱れていますし、2100米から3000米の高さの尾根や山頂からの眺めは実に見事ですし、谷間の急流の傍には素敵な旅館や温泉があります。
 4日 毛むくじゃらの山男 私も、この地域に詳しい二人の友人と一緒に旅をして、とても楽しい休日を過ごしました。予定の駅で汽車を降りると、三人の毛むくじゃらの山男たちが私たちを愛想よく出迎え、早速私たちの面倒を見てくれました。 163センチ位の痩せ型のリーダーにとって、25キロの荷物など何でもないようでした。ガイドをもう一人雇って合計五人としてから、私たちは峡谷の間の岩の上を緑色の川が勢いよく流れる美しい谷を登り始めました。
 5日 辺鄙な所にも茶屋がある 日本を旅していて嬉しいことの一つは、ひどく辺鄙な所に行くまでは、谷間はもちろん、山道の途中にも茶屋があることです。 あの崇高な富士山も、私はお茶を飲みながら登りました。お茶が無かったら、七月の厳しい暑さの中を3776米登ることは恐ろしく辛いことであったに違いありません。
 6日

砂漠の中でオアシスを探すアラブ人のように喉が乾ききった時に、茶屋や山小屋が見えてきます。

中に入ると、店の人が一人一人に座布団を持ってきてくれ、小さなお盆にのったお茶が運ばれてきます。私たちとポーターはお茶を飲んで一休みします。
 7日 川の中の温泉

日本アルプスを歩き始めた第一日目、私たちは早速茶屋に入り、一服してから旅を続けました。然し、余りの暑さにどうしても水浴びがしたくなりました。ここで渦を巻いて流れる緑色の急流の中

に比較的流れの遅い淵を見つけて服を脱ぎました。
山の水は身震いするほど冷たいだろうと思うと気が引き締まりました。水に入ると確かにとても冷たかったのですが、驚いたことに、川床の砂が熱かったのです。
 8日

熱い砂の上に坐り、その上を氷のように冷たい水が流れていくという不思議で気持ちの良い水浴びをしたのはたった一回その時だけでした。私達は、二、3分坐り続けて、思いがけない発見に大はしゃぎしました。

そして砂の中に指を突っ込んでは火傷しないように慌てて引っ込めました。不思議な水浴も、川岸を少し下った所に硫黄の温泉があることで納得がいきました。私たちは川床から温泉が湧きでている所に偶然足を入れたのでした。
 9日 布団と囲炉裏 キャンプで一夜を過ごして山頂まで登る予定だったので、五人のポーターたちはテントと寝袋を背負っていました。処が、急に天気が崩れたため、私たちはずぶ濡れになった夜具をその場ら残し て遠くの谷の麓にある山小屋に向かいました。そして、雨が降りしきる中、畳の上で静かな一夜を過ごしたのでした。客が殆ど無いなかったので布団と呼ばれる、寝る時に体の下に敷いたり、体の上に掛ける綿入りのマットレスを何枚も使うことができました。
10日 布団三枚の寝心地

布団三枚の寝心地は、ヨーロッパの山小屋とは比べものにならないほど良いものでした。日本ではベッドを使わずに床の上に直接布団を敷いて寝ますから、部屋の真ん中にある四角い囲炉裏を除くすべてのスペースを使うことができます。

囲炉裏を囲んで坐り、肉や野菜を焼いたり揚げたりしながら食べるのは実に楽しいものです。唯一の欠点は煙で、煙突が無い為部屋中が煙だらけになります。立つと何も見えないのですが、幸い下の方はそれほどでもないので、私たちはポーターと同じようにぐっすり眠りました。 

11日 旅館の様子 次に登っていった谷は、頂上にきれいに温泉旅館がありました。疲れて(ほこり)まみれで到着して、玄関で靴を脱ぐと、寝室兼食堂兼居間という広い部屋に案内されました。 女中がやってきて襖の所で(ひざまず)き、丁重に挨拶して、旅館の浴衣と、ボタンがついていないこの浴衣を縛るための帯を人数分置いていきます。旅館に泊まっている間は、この浴衣を着て寛いだり近くを散歩したり風呂に行ったりします。
12日 お茶 一分も経たないうちに、先ほどの女中が今度は、木か漆の円筒形の容器を二つ持って現れます。一方にはお茶菓子、他方には小さい急須、茶碗、茶筒が入っています。
ヤカンは火鉢の上の五徳(ごとく)にかかっています。私たちは座布団の上に出来るだけ行儀よく坐って、美味しいお茶を小さい茶碗で何杯も飲みます。
13日 お風呂 次ぎはとても気持ちの良いお風呂です。部屋の中では素足か、寒い冬でもストッキングをはいているだけですが、部屋を出ると時には敷居のところに並んでいる旅館のスリッパを履き、迷路のような廊下を歩いて浴場に行きます。 大きな旅館には、プールのように広い男女共同風呂が一つと、少人数のグループのための小さい風呂が二つほどあります。もう少し規模が小さい休養地では、男風呂と女風呂が、一応一つづつあると言っておきましょう。
14日 共同風呂 というのは二つの風呂がつながっていて仕切りが無い為、他の客の迷惑にならない時には、男たちが妻や子供たちの方へ行って一緒に湯につかるからです。浴場でも日本人特有の細やかな心遣いが観察されます。 私たちが入っていくと、外国人の女性ということで、家族と一緒に女風呂にいた二、三人の男性がそっと男風呂の側へ戻っていきました。慌てふためくこともなくもごく自然です。温泉旅館の共同風呂には気取った人などいませんから。
15日 日本人に仲間入り 有名な保養地の大浴場で嬉しい思いをしたことがあります。主人と私が石鹸を持ってくるのを忘れて困っていると、ほっそりした美しい日本人の女性が浴槽の向こう側に行って石 鹸を取ってきてくれたのです。日本人の女性というのは実に素晴らしい人たちです。正しいやり方で風呂に入れば私たちも日本人の仲間入りが出来ます。
16日 風呂の作法 それには、先ず浴衣を脱ぎ、片手に石鹸を持ち、男性用ハンカチ二、三枚分の大きさの手拭で腰の部分を隠して浴室に入ります。浴室はすべて木で出来ています。
壁に取り付けられた管の中を流れるお湯が、何本かの細い
管に入り、これらの傾いた管の先の部分から流れ出てくるので、湯舟に入る前に石鹸で体を洗い、しゃがんだり小さな木の椅子に腰掛けたりして石鹸を一滴残さず洗い流すことが出来ます。湯舟のお湯はとても熱いので、こうやって体を暖めておくといいのです。
17日 お風呂 いよいよお湯の中に入ります。ゆっくり体を沈めていくとなんと気持ちが良いのでしょう。私たちが外国人なので、湯舟の中にいる女性たちが微笑んで会釈します。 恐る恐る湯の中に入り顎がお湯につかえるまでゆっくりと体を沈めていく私たちの姿は、日本人には滑稽かもしれません。
18日

鉱泉の性質や体がどの程度熱さに耐えられるかに応じて、お湯から出たり入ったりします。絶えずお湯が湧き出ている温泉に、美しい体で動作も優雅な日本人女性と一緒に入ることは、最も素晴らしい体験の一つで本当に贅沢と言えます。日本人女性の動作はとても控え目でかつ優雅なので、

入浴自体が一つの完成された技のようです。荒っぽい動きや無駄な動きは一つもありません・すべてが見事で、ゆったりしていて、優雅です。そのうちに私たちはのぼせてしまい、風呂から出て、ゆっくりと部屋に戻ります。そして坐ったり横になって夕食が運ばれるのを待ちます。
19日

温泉では焦っても無駄です。日本に着いたら出来るだけ早く、静かに坐って待つ習慣を身につけることが大事です。そうでないと、いらいらしたり、腹を立てたりの連続です。

そうは言っても汽車に乗り遅れそうな時や、一刻も早く出発したい時に、従業員が総出で別れの挨拶をし、彼らの旅館に泊ったことら対して非常に丁重に礼を述べるのには閉口しますが。
20日

やがて夕食が運ばれてきます。美しい椀、皿、箸が並んだ漆の盆または小さな膳が一人一人に配られます。日本人は和風の料理の他にも、果物、トマト、ベーコンエッグ、オムレツ、ポテト、肉や野菜のシチューといった西洋の食べ物が大好きで彼らの食事に取り入れ

たので、今日の献立は、七―八年前と比べると遥かにバラエティーに富んでいます。
だから、ご飯が少ししか食べられなくてもーご飯というものは沢山食べるものですー、刺し身や海藻が嫌いでも、旅館の食事が全く口に合わなくても困るということはありません。
 

21日 海藻が好きになるというのは大変なことですが、海藻にはミネラルが沢山豊富に含まれているそうです。殆どの外国人が海藻以外の日本料理は美味しいし、たまに食べるのはよいと言います。それに、歓談するには和食が最適です。笑ったり、鳥のようにぺちゃくちゃ喋りながら、色々な料理を少しづつ口にします。
こちらの魚を一口、あちらの魚を一口、次にぜんまい或は筍あるいは蓮根を食べ次は漬
物、ここで食事の最初に口をつけた吸い物を一口啜り、海老あるいは鶏を食べます。最後には必ずご飯がでます。ご飯は女中が大きな蓋付きまお櫃からよそってくれます。女中は、食事の最中は客にビールや酒を注ぎ、食事の最後にはご飯を何杯でも客が食べたいだけよそい、ご飯が終わるとお茶を入れてくれます。お茶によって茶碗のついているご飯粒を一つ残らず飲み流すのです。
22日

食事が終わると女中は一度に一膳ずつ下げていき、全部を下げ終わると、また(ふすま)の所で(ひざまず)いてお辞儀をします。
女中は部屋に入る時と部屋

を出るときには必ずお辞儀をします。客に敬意を表すためで、卑屈というわけではありません。客も女中も同じ高さの畳の上にいるのですから、お辞儀がすむと女中は立ち上がって敷居の外で脱いだ草履を履き襖を閉めて引き下がります。
23日

食後は、浴衣姿で周辺の野原を散歩したり、村まで歩いて行ったり、ネットが破れた旅館のでこぼこの土のコートで、若者が柔らかいボールを使ってテニスするのを見物したりします。

彼らは走る時の邪魔にならないように浴衣の裾をたくし上げ、藁草履で素早く走り回ります。日本人はテニスがうまい筈です。あの若者たちならどこでも、いつでも、何を使ってでもテニスをするでしょうから。
24日

旅館に戻ると、昼間は押入れにしまつてあった寝具が部屋の真ん中に一列に敷いてあるので、早々と床につきます。ピークで旅館が一杯の時には、一グループに一部屋しかもらえません。

日本人が枕代わりに使う小さい堅い台は、海藻と同じように、使っているうちに慣れてくるものと言われますが、それでも日本に長く住んでいる外国人が平気で海藻を食べ、日本式の枕で眠るのを見るとびつくりしてしまいます。
25日

夜中は泥棒に入られないためには、内側の障子だけでなく、雨戸も閉めるべきですし、警察もそう呼びかけています。然し、これも海藻や枕同様、外国人が嫌うことです。だから女中が仕事を終えて引き下がると、少しでもいいから、障子や雨戸を開けます。

ただし、これは夏の話です。冬は戸を開けるわけにはいきません。日本の家は隙間風がありますと、火鉢の暖房効果は無いに等しいので、冬の間は、外の新鮮な空気の愛好者であることを忘れて暖かい布団にくるまって寝るに限ります。
26日 槍ヶ岳へ

私たちは名残を惜しみつつ旅館ら別れを告げ、灼熱の太陽が照りつける中、旅館の裏手の急な山道を汗だくになって登っていきました。それで森に入った時は本当にほっとしました。

この日出会った、というよりは私たちを追い越していった人達は、私たちよりも遥かに体力がありました。その道が槍ヶ岳の有名な頂に通じる道の一つだったからです。
27日

大勢の日本人が山登りに挑戦するのは素晴らしいことですが、その分、不慮の事故も多いようです。プロの登山家が素人の無謀な登山に反対す

るのも当然です。
素人の登山家たちはプロのいう事を聞いてもっと分別をもって行動することが望まれます。
28日

今日、日本人の若者の間で、まるで南極探検にでも行くように沢山の荷物を背負って登山することが流行しています。男の子や、女の子、若い妻たちが不必要に重い荷物を背負ってフウフウ言ってるのを見ると気の毒になります。

遠い僻地でテントを張るわけでもないですから、ドンキホーテのように気負っても無駄で少しの荷物で十分なのです。彼らはロビンソンクルーソーのような冒険家にならないと気がすまないのです。
29日 その日、登山で知り合った人たちはみんな親切ないい人たちでしたが、いつも私たちの傍にいてくれたのはとかげでした。頭は茶褐色でエメラルドや鮮やかな青色に輝いていました。異国の不思議な生き物です。 それから沢山の花々、千八百メートルも登ると実はきれいな青、ピンク、金色の花が咲き乱れていました。私たちは快適な山小屋に泊り翌朝は他の客の同じように御来光を拝むために早く起きこの世の絶景を見ようと寝惚け眼で山を登りました。
30日

雨でひどく削られた山腹は、昼間の太陽の下では一様に荒涼としていますが、早朝の光の中では、恰も海に沈んだ陸地の岬や先端のように見えました。
ふわふわした雲海のかなた、人間が測る距離や鳥が飛ぶ距離よりも遥かに遠い所、詩で歌われるような遠い所に、

青い山並がくっきりと浮び、浅間山の噴煙が静かな大気の中をゆっくり上っていました。浅間山の一方には、今は死火山となったもう一つの火山が超然と聳えていました。完璧な姿の富士山です。朝食の後は、世界各地を旅したイギリス人の登山家が「世界で一番素敵な山道」と呼んだ道を何キロも歩きました。