安岡正篤先生「一日一言」 その14

平成25年11月

1日 幼児の脳細胞 例えば我々の脳でありますが、肉体の他の部分と違って生涯必要な数量の脳細胞を完全に備えて生まれて来る。その機能は三歳になると大人の八十パーセント活動すると言うことであります。
2日 性格の基本 また性格の基本というものは既に56歳に於いて形成され、知識や技能の基本的なものも、殆ど56歳から1213歳までの間に著しく発展活動する。また親の言語、態度、感情が微妙に幼児に感染するのであります。年をとって出てくる病気も、片言を言ってよちよち歩きをする頃から、56歳頃までに大体原因が作られると言う。こういうことも医学的に解明されるようになって参りました。
3日 第一条件 そこで人造りの先ず第一条件として大事なことは、胎児までは仕方ないとしても、せめて幼児の時から心掛けなければならぬと言うことであります。小学校から中学校へかけての年齢は、人間の本質であるところの徳性や、属性であるところの知性、知能、技能、習慣というようなものの、本当に基礎的なものが培養される大事な時期であります。
4日 人間の原型完成 大体、中学校が終わる頃、即ち義務教育が終わる頃にその人間の個性的品格・躾・技能的能力、そういうものの基本がちゃんと出来上がる。それが専門学校、大学教育でいろいろ修正・修飾されて、ほぼ人間としての一応の完成をすることになるわけであります。
5日 人造りの重大な問題 従って、人造りの重大な問題は、国民教育、特に小・中学校の義務教育を如何にして欠陥のないものに、憾みのないものにするかということになって参ります。この時期に於いては言うまでもなく徳性を涵養することを本体として、その上に基礎的な知識・技術の教育を授ける。これを忘れて無暗に高利的な知識教育・職業教育を手っとり早くやることは誠に危ない、片輪の人間を造るということになります。専門の学校でどんどん知識・技術を勉強させようと思えば思うほど、小・中学校の義務教育機関に於ける人間教育・道徳教育を厳しくする必要がある。良い習慣を身につけさせる、所謂しつけるということに重点を置いてやらなければならないのであります。             (活学第二編)
6日 師とは  学問と言うものは確かに大変な進歩を遂げてきた。しかし、大事なことは何が本質でなにが枝葉末節かの価値の弁別、目のつけどころで、これがしっかり出来るようになると、今日の文明の混乱は救われる。それを本当に悟って、教えてやるのが師であります。
7日 師の前に父がある 師の前には父というものがある。人間の教育は先ず父から始まって、師と友に至る。処が近現代、特に現代に及んで、父らしい父と言うものがなくなってきた。それと共に、師と友というのもなくなっている。そこに現代人間の最も恐るべき欠陥というか、危険があると思わなければいけない。
8日 人間の本質・徳性に帰る 

人間があくまでも人間であるためには、結局、人間が人間の本質に帰る、つまり徳性に帰ると言うことで、それを突き詰めると、あらゆる国家・社会の前に家庭を回復する。それは父母が父母に帰るということで、特に父が父に帰る。そうして再び、人のり子に父を与え、それから師を与え友を与えるということである。父と子、師と弟子、友と友という人間関係、これこそ本当のヒューマニティを回復しなければ、人間は救われないということだが、これはもやは動かすべからざる結論になっている。          (この師この友)

9日 男の仕事の変化 男・夫・父の仕事が近来は昔のように簡単ではない。だんだん複雑煩瑣になった。と言うのは、産業というものが発展し機械化し、市場というものも世界的になってきた。その産業の組織構成と、事業の競争が国内的・国際的に激しくなるにつれて、どうしても男の仕事も複雑になり困難になってくる。
10日 ロストファーザー それに加えて近代の急速な大都市化、これに伴ってサラリーマン、ビジネスマンが都心から離れて接続都市へどんどん移る。いわゆるメトロポリタンからメガロポリタンになるにつれて通勤に時間を要する。一時間、二時間とかかるようになる。往復二時間、三時間となる。そうすると朝早くから出てしまい、夜遅くでなければ帰れぬ、帰っても書類を抱えて夜も仕事にかかるというわけで、次第に子供からはインビジブル、見えない父、会えない父になり、やがてロストファーザーになってしまうと言うことが悩みの一つ。
11日 父親の権威 それから近代の社会生活の激変に伴って、家庭生活もだんだん変化し、子供と父というものが何かにつけて疎隔してゆく。父そのものも仕事に追われ、世の中の変化に賢明に順応してゆくことが出来ない。次第に自負心・自尊心を失って、よく目に映る言葉で申しますと「the authority relinquisging fatherw」、authority=:権威というものをrelinquish=放棄する「父たる権威というものを放棄する父親」が多くできる。
12日 存在そのものを 家庭に於いても子供は本能的にその「愛」を母に、その「敬」を父に自ら求めておる。父は子にとって本能的に「敬」の対象でなければならぬのです。言葉とか鞭で子供に対して要求したり説教したたりかる前に、父自身が子供から「敬」の対象たるに相応しい存在たることが肝腎です。父の存在そのものが、子供に本能的に敬意を抱かしめる。彼の「敬」の本能を満足させる存在であること、それが父たるもののオーソリティである、だから父の存在、父の言動そのものが子供を、知らず知らずのうちに教化する、やさしく言えば、父の存在・父の姿・行動が、子供をして本能的に真似させられるものでなければならぬ。.
13日 女性は根源的 よく考えてみると、女性の方が男性より根源的ですね。その証拠に、いくら英雄・哲人でも子は生めない。子を生むということくらい自然なことはないですから、やっぱり女性、そこで根源的なものは女性が本能的にみな持っております。だから純な女性はクリエーティヴ、創造的、つまり造化ですね。あらゆる意味において造化であります。だから人間の欲望という根源的な衝動から言うと、女性は男に比べて無欲です。
14日 女性が優位な情 それから知と情、知能と感情という我々の精神的要素から言うと、どうしても感情の方が理知よりは本質的・根源的・クリエーティヴなものですから、情は本能的に婦人の方が豊かに具えておる。
15日 情でも末梢的な末梢的な情は男が非常に鋭敏ですけれども、優情というような、床しい情というようなものになると、これは女が本具しておる。本能的に具しております。
16日 知でもそうでありまして、男は理知に長け、論理的な知識に長けますが、女は直感に富んでおる。だから女の女らしさというものは直感、優情、無欲、そういうところにあるわけです。
17日 胎教 幼児よりさらに可能的状態である胎児が最も神秘的なものであります。胎児を最も良く育てると言うこと、これが最も根本的に大切なことであります。胎児の研究は西洋近代の学問では軽視されていました。むしろ東洋のほうが「胎教」と言って早くから重要視していました。
18日 胎児 1 胎教などと言うと、西洋式医者とか心理学者たちは、全く非合理的、迷信的なもののように思っておりました。これもごく最近になって胎児の研究が、いろいろの方面から発達して参りまして生物進化の系統から言うと、胎児というものが最も根本的な重要問題だと分かってきました。
19日 胎児 2 胎児の研究のことをネオテニー、neoteny、と言う。しかし、まだこれは未開で、恐らく今後科学的にすこぶる未来性に富んだ面白い問題の一つとして注目されています。胎児がいかに大事だということは、母の、従って妻の思想・精神・人格・生活態度・習慣というものが如何に大切であるかと言うことになります。
20日 もとのいろはから 胎児というものが非常に大事である。よい胎児を宿すということが、人類民族家族の運命を決するものである。人間はある個人がいくら偉くなってもそれで止りです。例えば皆さんがいくら出世しようが、いろいろの意味で、幾ら偉くなろうが、それはその人一代で終わりで、それが倅や娘に遺伝することはないのです。親父が偉かったから子供はその頂点かせ伸びるかというとそうはいかんのです。もとのいろはからやりなおしですね。
21日 男の一代は 特に男に於いてそうでありまして個人の場合においては発達ということは尊いことであるが長い目で見ると個人的生命を超えた永遠の生命、即ち家族民族人類というふうに考えていくと、これは男が一代でいくら偉くなっても大した意義はないのです。
22日 女次第

4結局、子を生む者にまたなければならない。こうなったら嫁です。嫁を貰って嫁の腹を借りて胎児が出来る。その胎児から伸びていくのです。生物進化、動物進化の過程を辿っても同じことであって、猿の最も発達したそのものよりも、その猿の発達した胎児の方が人間と非常によく似ているのです。だから猿の発達したある段階から人間が分かれたということが判明しております。いかなる立派な胎児を持つかということが家族民族人類の運命を決するのです。(講演集)

23日 自己補完 恋愛が一種の自己補完、換言すれば補填であることは既に明らか、それであるから如何なる異性に恋するかは自己人格と密接に関係する。即ち自己の人物相応に恋する。
24日 恋愛と禽獣 故に人は恋愛によって自己を露呈するのである。恋するは好い。唯その責任は免れぬことわ是の如く知らねばならぬ。恋愛は他人の忖度を許さずして他人の批判に耳を蔽うのは恋愛を道徳的行為から除外するものであって自らその恋愛を禽獣にするに他ならない。
25日 喫茶恋愛 だから真の恋愛は滅多にできるものではない。人物が出来て来れば来るほど、恋うべき異性は稀になって来る。破鍋なればこそ綴蓋でよい。軽々しい恋愛はその人物の浅薄低劣さを表す雄弁な証拠なのである。しわゆるドンファン型の恋愛コーヒー店恋愛は、即ち近代人の精神的堕落の暴露たるを免れない。              (東洋倫理概論)
26日 朝こそ全て 我々は熟睡と同時に安眠を考えなければいけない。精神的によく眠ることを考えなきゃならん。そうして、とにかくあらゆる意味において、早起きということが非常に大切です。イギリスの古来からの名高い格言にThere is only morning  in all things   とある。あらゆることの中において、ただ一つ朝があると言うのです。もっと的確に訳せば「朝こそすべて」と訳すればいいと思う。本当にその時刻において、我々の総てが解決されると言っていいのでありまして、私の好きな言葉に、有名な清末の偉人の曾国藩の信条、生活立法の原則があります。
27日 朝こそ全て 常に内省、自ら持することらに厳しく、その日記、子らに与えた書物は「曾文正公家訓」として知られておる。その彼が32歳の時に書いた在京日記の中に「過程12条」というものがあり、その中でも次の四ヶ状は、彼の日常不断の練磨をよく表しており、私なんかも一歩でも近づこうとしておる。それは、
28日 日常過程12条 常に内省、自ら持することらに厳しく、その日記、子らに与えた書物は「曾文正公家訓」として知られておる。その彼が32歳の時に書いた在京日記の中に「過程12条」というものがあり、その中でも次の四ヶ状は、彼の日常不断の練磨をよく表しており、私なんかも一歩でも近づこうとしておる。それは、
一、静座、毎日何時に拘わらず静座すること四刻、来復するのに仁心を体験す。正位()(めい)(かなえ)の鎮するが如し。
一、早起、黎明即起(そっき)し、醒後(せいご)霑恋(てんれん)する勿れ。
一、読書不二、一書未だ完お(ひろし)えざれば他書を()ず。東繙(とうはん)西閲(せいえつ)するは徒らに外為を務むる人なり。
一、作字、飯後(はんご)字を写すこと半時。凡そ筆墨応酬まさに自己の過程となすべし。凡そ事、明日を待つべからず。いよいよ積めば、いよいよ清め難し。と言うことであります。
29日 日常過程12条 
解説
その中で、誰でも心すべきことは、黎明即起(そっき)し、醒後(せいご)霑恋(てんれん)する勿れ」であります。夜が明けたらならすぐ起きる。しかもフラーッと起きるのじゃない。即起である。そして、目を覚ましてから後は、霑恋(てんれん)するなかれ、「(てん)」と言うのは「うるおう」と言う字、ぐずぐずする、ひたるという意味。霑恋(てんれん)するなかれ。ああ眠いなとか、いい気持ちだな、もう少し寝床の中でうとうとしていたいなんて言って、ぐずらぐずらするのを霑恋(てんれん)という。目を醒ましてからはぐずぐずかるなと、これは誠にいい格言です。
30日

それにしましても、もの世の中に本と言うものがなかったら人間はどうなるのでしょう。よくよく偉い人のほかは実にくだらぬことばかりして、無駄な苦労をして途中でへこたれたり、精神病者になって心を悩むかもしれません。少なくとも何より寂しいでしょう。