文明と文化の違い 徳永圀典 

文化は「地域性」を特長とし、「生活全般」を指す。

気候や地形、生活形態(農耕・遊牧・狩猟採集)などの地域的・民族的特性から派生し、その地域・民族に特化、形成された生活全般を「文化」と呼ぶ。
対象としては、言語、共有する神話・歴史、それにともなう生活習慣(法的なもの・宗教、婚姻形態、社会構成etc)道具類などが挙げられる。

文明は「汎用性=広域性」を特長とし文化的枠組みを超えた「技術」を指している。

一文化の部分的な要素でしかなかったものが、例えば「鉄」を利用する生産技術・加工技術・利用技術は文化の違いを超えて普及する。こうした文化という地域性にとらわれない技術やそれに付随するものを「文明」と言う。
「技術」には統治のための制度やその運用方法(例えば律令制や資本主義のシステムetc)も含む。
政治制度に注目した文明論、技術に重点をおいた文明論もある。大きく遊牧文明・農業文明と言う言い方をする場合もある。

かかる意味で、
(1)文明は文化の総合体ではない。
(2)文化は精神的所産に限定されたものでは無い  

し、文明は技術に様式が付随しパッケージとして伝播することが多いので、精神的・思想的な影響力も持ち合わせている。

(3)文化は地域・歴史から派生した不可分のもり。

文明は抽象的ではなく常に具体的です。

 

世界四大文明

人類の文明史の歴史観のひとつ。歴史上、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れをくむとする仮説。

ここで、四大文明とはメソポタミア文明エジプト文明インダス文明黄河文明をさす[1]

メソアメリカ文明アンデス文明などのアメリカ大陸の文明は含まれていない(これらを含めて六大文明ということもある)。

欧米では、「肥沃な三日月地帯」や前述の六大文明などといった人類の古代文明の発祥の地を「文明のゆりかご」(Cradle of civilization)などと呼ぶ。

肥沃な三日月地帯とは

その範囲はペルシア湾からチグリス川ユーフラテス川を遡り、シリアを経てパレスチナエジプトへと到る半円形の地域である。

メソポタミア古代エジプトといった多くの古代文明が栄え、後々まで中東の中心

主要な国は、イラクシリアレバノンイスラエルパレスチナであり、それにエジプトを含むこともある。また、東南トルコ、西北ヨルダン、西南イランも含まれる。

 

世界四大文明の嘘  古代文明・神話


世界四大文明は、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河であると、我々日本人は教科書
で学んでしまった為、今だに信じている人が多いですが、世界では文明の祖はメソポタミア、エジプトであることは一致していても、インダス、黄河を加えた四大文明とする歴史観は欧米をはじめ、世界にはありません。


アマゾン古代文明
四大文明を言い出したのは、中国人の梁啓超(1873-1929)で、第二次世界大戦の敗戦国である日本では1952年に教科書に掲載されてから、日本でのみ常識になっているだけの話で、当時欧米列強に植民地化された清の政治家、梁啓超が日本に亡命してきており、日本で、支那には「黄河文明」という欧米に匹敵する古い文明があったのだという話を教わり、
植民地化により、欧米人に家畜化された支那人たちに、誇りを取り戻してもらう為に、本を書き紹介したものです。


また、欧米の植民地にならなかった日本の歴史の研究は、欧米では遅れました。



現在、世界最古とされている土器は1988年、青森県の大平山元遺跡で見つかった16500年前(縄文時代前)のもので、メソポタミア最古の土器は、紀元前6000年頃の物です。

また、長崎県佐世保の泉福寺洞穴では、12000年前の豆粒文土器が発見されています。  

昨年、中国江西省で18000年前の土器の破片が発見されましたが、器の一部であったと思われる破片ですが、土で出来た器の破片には違いありませんが、一般に言われている焼き物の土器に比べ、かなり低い温度で焼き固められた物のようです。

土器の話とは別になりますが、やはり黄河より長江文明のほうが古く、金属武器を持った野蛮な黄河文明の人たちの侵略から逃げるように、穏やかな長江の人々は、日本に渡ってきたのは間違いないでしょう。
何故、世界最古の土器が日本なのかといえば、14500年頃前に、氷河時代(ウルム氷期、最終氷期)が終わり、後氷期といわれる温暖な時代へとなり、縄文文化が始まりますが、

日本列島は、14500年前の急激な温暖化のときに、世界に先駆けて温帯の落葉広葉樹の森が拡大。   

日本海には対馬暖流が流れ込み、この蒸発する大量の水が、冬には日本海側に大雪をもたらし、落葉広葉樹の生育に適した海洋的風土が世界に先駆けて、いち早く形成されました。

土器をつくるには柔らかい土、水、焼くための燃料となる樹木が必要で、森林土壌が必要となりますが、日本の東北地方で、そのような気候が形成され、また定住を始めたため、世界に先駆けて土器がつくられるようになった。

また、土器がつくられるキッカケとなったのは、北海道・東北地方の火山活動であったであろうとされています。
 さらに、世界最古の漆製品は北海道南茅部町で発見された約9000年前(縄文時代)のものと、どちらも日本以外の世界古代文明のよりも圧倒的に古いものです。
さらに、インカ帝国をつくった人々は、アメリカ大陸に渡った縄文人であることもDNA分析により、今日では世界の学会でも正式に認められています。



も正式に認められています。文明を言い出したのは、中国人の梁啓超(1873-1929)で、第2.『文明の衝突』の予測

 

●ハンチントンは『文明の衝突』で世界の将来を予測

 

 ハンチントンは、『文明の衝突』の中心的テーマは、文化と文化的アイデンティティ、もっと広い意味では文明のアイデンティティが、冷戦後の世界における人々の結束や分裂、対立のパターンを形成しつつあるということだという。その仮説の結果として起こりうることを本書に詳述している。

 ハンチントンによると、冷戦後、歴史上初めて世界政治は、多極化し、かつ多文明化している。近代化は西洋化とイコールではなく、また何か意味のある単一的な普遍的文明を生み出すことでもなく、非西洋社会を西洋化することでもなくなってきている。ある社会が発展し近代化が進行すると、自らの成功に自分の価値観や文化を結びつけ、もともと持っている文化にアイデンティティをより強く感じるようになる。そして自分の文化的属性は捨てずに近代化したいと考える。

 冷戦後の世界では、文明間の勢力バランスが変化している。西洋は、相対的に影響力を失ってきている。アジアの諸文明は経済、軍事、政治的な力を拡張しつつある。イスラム文明では人口が爆発的に増えたため、イスラム諸国と近隣諸国を不安的にしている。非西洋文明では、全体的にそれぞれの文化の価値観が再認識されつつある。

 そして、文明に根ざした世界秩序というものが生まれようとしている。そこでは、共通の文化を持つ社会が互いに協力し合う。ある文明から別の文明へ移行させようとする努力は成功しない。国々は、その文明の中核となる国あるいは指導的存在を中心にグループ化するようになる。

 ところが現在、西洋は、われこそは普遍なりという自負のためにほかの文明との対立を深めていき、とくにイスラム圏と中国に対して、対立は深刻である。地域レベルでは、異なる文明と文明がぶつかる断層線(フォルトライン)上で生起する「断層線戦争」が、おもにイスラム圏と非イスラム圏の間でそれぞれの「同胞諸国の結集」をもたらす。それがエスカレートする脅威も生み、こうした戦争を止めようと文明の中核国家を奔走させることになる。

 このような世界で、西洋文明が生き残るかどうかは、アメリカが自らの西欧的アイデンティティを再確認し、西欧の人々も西洋文明は独自のものであり、普遍的なものではないことを認め、両者が結束して、自分たちの文明を再興し、非西洋社会の挑戦から守ることができるかどうかにかかっている、とハンチントンは論じている。

 ハンチントンは、『文明の衝突』で、イスラム文明と非イスラム文明の断層線で紛争が起こることを予想した。これによって、彼は9・11を予想したと言われている。9・11とは、平成13年(2001)9月11日、アメリカを襲った同時多発テロ事件の略称である。

ハンチントンは具体的に9・11アメリカ同時多発テロ事件を予想したわけではないが、西洋文明とイスラム文明の間で紛争が起こったとき、彼の予想が的中したと一般に理解されたのである。

 

ハンチントンは世界秩序再生のために日本文明に期待

 

 ハンチントンも、彼流の見方で日本文明に期待を寄せている。世界秩序の再生において、日本文明には、貢献できるものがあるというのである。その点を見るためにまず彼の主著『文明の衝突』の要旨を述べ、その後、日本文明に関する所論を確認したい。

 ハンチントンの見解は、彼の主著『文明の衝突』の表題のように、文明の衝突を予想したものと一般に理解されている。しかし、ハンチントンは、文明は衝突の元にもなりうるが、共通の文明や文化を持つ国々で構築される世界秩序体系の元にもなりうる、ということを主張している。

ハンチントンは、『文明の衝突』という本を出す時、自分では「世界秩序の再生」という表題を考えていた。再生がテーマだった。ところが、出版社の意向で、「文明の衝突と世界秩序の再生」という題となった。それがわが国では、表題の後半が削除され、「文明の衝突」という闘争がテーマであるかのような表題に訳された。そのためいっそう見逃されやすいが、ハンチントンは、ある文明内での秩序維持は、その文明に突出した勢力があれば、その勢力が担うことになると説く。また、文明を異にするグループ間の対立は、各文明を代表する主要国の間で交渉することで解決ができるとし、大きな衝突を回避する可能性を指摘している。

 そして、ハンチントンは、日本文明に対して、世界秩序の再生に貢献することを期待している。この点は、主著より後の著作において明確に述べられている。

 

日本には一国一文明という特徴

 

 ハンチントンの日本に関する基本的な見解は、『文明の衝突』日本語版に述べられている。

 「文明の衝突というテーゼは、日本にとって重要な二つの意味がある。

 第一に、それが日本は独自の文明をもつかどうかという疑問をかきたてたことである。オズワルド・シュペングラーを含む少数の文明史家が主張するところによれば、日本が独自の文明をもつようになったのは紀元5世紀ごろだったという。私がその立場をとるのは、日本の文明が基本的な側面で中国の文明と異なるからである。それに加えて、日本が明らかに前世紀に近代化をとげた一方で、日本の文明と文化は西欧のそれと異なったままである。日本は近代化されたが、西欧にならなかったのだ。

 第二に、世界のすべての主要な文明には、2ヶ国ないしそれ以上の国々が含まれている。日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない」と。

 ハンチントンが言うように、日本は独自の文明である。しかも世界の主要文明のひとつである。私の知るところ、この点を最初に明確に主張したのは、比較文明学者の伊東俊太郎氏である。人類の文明史を見るには、主要文明と周辺文明という区別が必要と私は考える。私は、日本文明は、古代においてはシナ文明の周辺文明であったが、7世紀から自立性を発揮し、早ければ9世紀〜10世紀、遅くとも13世紀には一個の独立した主要文明になったと考える。そして、江戸時代には熟成期を迎え、独創的な文化を開花させた。それだけ豊かな固有の文化があったからこそ、19世紀末、西洋近代文明の挑戦を受けた際、日本は見事な応戦をして近代化を成し遂げ、世界で指導的な国家の一つとなった。

 15世紀から20世紀中半までの世界は、西洋文明が他の諸文明を侵略支配し、他の文明のほとんどーーイスラム文明、インド文明、シナ文明、ラテン・アメリカ文明等――を西洋文明の周辺文明のようにしていた。この世界で、民族の独立、国家の形成、文明の自立を進め、文明間の構造を転換させる先頭を切ったのが、日本文明である。

 日本文明は、西洋近代文明の技術・制度・思想を取り入れながらも、土着の固有文化を失うことなく、近代化を成功させた。日本の後発的近代化は、西洋化による周辺文明化ではなく、日本文明の自立的発展をもたらした。この成功が、他の文明に復興の目標と方法を示した。

 15世紀以来、世界の主導国は、欧州のポルトガル、スペインに始まり、覇権国家はオランダ、イギリスからアメリカと交代した。この西漸の波は、西洋文明から非西洋文明へと進み、1970年代から21世紀にかけて、波頭は日本、中国、インドと進みつつあるように見える。

 ハンチントンの説に話を戻すと、日本文明は彼が論じるとおり「日本国=日本文明」であり、一国一文明という独自の特徴を持っている。ハンチントンは、日本文明は他の文明から孤立しているとし、そのことによる長所と短所を指摘する。

 「文化が提携をうながす世界にあって、日本は、現在アメリカとイギリス、フランスとドイツ、ロシアとギリシア、中国とシンガポールの間に存在するような、緊密な文化的パートナーシップを結べないのである。日本の他国との関係は文化的な紐帯ではなく、安全保障および経済的な利害によって形成されることになる。しかし、それと同時に、日本は自国の利益のみを顧慮して行動することもでき、他国と同じ文化を共有することから生ずる義務に縛られることがない。その意味で、日本は他の国々が持ちえない行動の自由をほしいままにできる」と。

 9・11以前から、ハンチントンは、アメリカがアジア政策で明確な姿勢を示さないと、日本は中国と連携するようになると警告していた。9・11以後、ハンチントンは、日本の重要性をより強く感じるようになったようで、事件の翌年刊行した『引き裂かれる世界』(ダイヤモンド社)では、日米関係の強化を主張し、日本が文明の衝突を緩和する役割を担うことに期待を表明している。(ページの頭へ)

日本精神を復興して世界に貢献を

 

 わが国及び日本文明が上記のような役割を果すには、まず独立主権国家としての自主性・主体性を取り戻すことが不可欠である。憲法を改正し、自主国防を整備し、その力の裏づけを持ってはじめて国際社会で発言力・影響力を発揮することができる。

 盲目的な従米は、一蓮托生の道である。アメリカが没落すれば、日本も一緒に没落する。それを抜け出るには、憲法を改正して、自主国防を整備すること。そして、親米だが自主性・主体性のある政策を行なうこと。長期的には、アメリカとの関係を従属から対等の関係に転じていけるよう、徐々に進めていく。

 これには時間がかかる。その期間は、アメリカの追従から自主へと徐々に転換していくしかない。急激な転換は無理を生じる。日米関係を対等な関係に成熟させ、着実に進んでいかなければならない。同時に媚中の姿勢をやめる。自主性・主体性を軽んじ、反米親中の政策を取れば、中国に呑み込まれかねない。アメリカと共に、中国の民主化を促し、脱ファッショ化・脱共産主義化に助力する。そして、中国にシナ文明の良き伝統が復活するように、日本文明から文化を発進していく。

 わが国は、国家間関係(international relationship)においてだけではなく、文明間関係(inter-civilizational relationship)においても、地球全体のキーポイントとなる立場にある。そこで求められるのは、日本文明の特長を良く発揮することである。現代世界人類の二大課題は、世界平和の実現と地球環境の保全である。そのためには、核戦争を防ぎ、また環境と調和した文明を創造しなければならない。これらの課題を実現するうえで、日本には重要な役割があると私は、確信している。人と人、人と自然が調和する日本精神には、人類の文明を転換し、この地球で人類が生存・発展していくための鍵があると思う。

 私たち日本人は、この21世紀において、日本精神を取り戻し、世界的にユニークな日本文明の特長を活性化し、新しい世界秩序の構築と、新しい人類文明の創造に寄与したいものである。私は、そこに日本の活路があると思う。(ページの頭へ)

 

 

世界大戦の敗戦
植民地化により、欧米人に家畜化された支那人たちに、誇りを取り戻してもらう為に、本を書き紹介したものです。

日本文明は世界八大文明の一つ 

日本文明は固有の文明 

「一部の学者は日本の文化と中国文化を極東文明という見出しでひとくくりにしている。だが、ほとんどの学者はそうせずに、日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して、西暦100年ないし400年の時期に現れたと見ている」 

サミュエル・ハンチントン・アメリカの政治学者の言葉である。全く同感である。「日本は大文明と一つである」というのである。 

世界八大文明の一つという次第であり日本人として慶賀の至りである。 

「日本文明は世界八大文明の一つ」は世界の常識

西洋文明や中華文明、イスラム文明だけが世界の大文明ではなく、日本は古代から大文明だったのである。この事を日本人は知らないが、世界では、一般的な通説であり常識なのである。 

ついでに言えば、他の文明は、一つの文明の中に複数の国が入っているが、日本は一つの国で独立した文明という世界に類を見ない唯一の国なのである。

平成20年元旦

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典