日本人の自然観、生活様式に世界が注目!

 

敗戦後70年、日本は平和の中で、二千年の歴史的蓄積の上に、さらなる近代的・先端的蓄積を加味しつつ、世界の最先端を進んでいると思える。

 

その証左

1.   毎年のようにノーベル賞受賞者を輩出している日本。これは、戦後新興国家である中共とか韓国に受賞者のいないことの深い意味と決して無関係ではない。日本人には連綿たる歴史的素養が国民に蓄積されている、彼ら両国民にそれは存在しない。

2.   敗戦後70年、この間、日本人の生活様式、日本文化の海外輸出は年々増え続けている。

寿司、盆栽、お弁当、「旨み味」、水洗便器等々数え上げれば際限がない。果物、野菜なども遥かに水準の高いものが輸出されて注目されている。

日本人の関与するものは質が高い、それは日本人の質が高いことが背景に存在する。

 

何故であろうか。それは日本人の生活が、人間生活の理に適っているものがあるからであろう。

世界一レベルの高い人間が均等に教育水準を受けており、しかも生活のあらゆる分野にまで、工夫に工夫を重ねる性質があるからで、またそのレベルが益々向上し、それは世界万人に快適性を付与するものがあるからであろう。今後も益々日本人は人間生活の快適最先端を走って行くであろう。

古代・縄文時代の土器も世界最先端、最古のものであった。日本人の歩んできた蓄積ある二千年の歴史、21世紀の現代も人間生活向上の最先端を歩むのは必然である。

 

日本人は自信を持たねばならぬ。中共とか韓国は、戦後に出来た新興国に等しいものがある。彼らは広く高い知見がない野郎自大だから分からないのだ。

 

そこで、本年、岫雲斎84歳を迎え、乾坤一擲、この「凄い日本」を掘り下げて提供する念を強く抱いた。本年のホームページはこれに集中する。

 

1.   日本人の自然観

この「徳永日本学」の根底にあるのは、矢張り日本人の大自然観である。

東北大地震、あの時、日本人の見せた行動の秩序正しさ、忍代強さ、その背景にある日本人の考え方に世界は関心を寄せている。

それは日本人の自然信仰のことであり、日本人の神と深く関わっていると彼らは推察しているのだ。

更に言えば、神道がキリスト教に取って替るものかも知れないということではなかろうか

東北地震の時の日本人の行動様式こそ「人類に必要不可欠な思想」だと真っ当な人間なら、そう直感して不思議ではないのだ。

なぜ日本人にそれができたのか。

自然現象に対して、シナ人や韓国人のように、泣き喚いたり、泣き叫んだりしないで、日本人のように、自然を受け入れることの必要性を西洋人も感じているフシがある。

 

西洋人のように自然を征服するという思想ではなく、日本人の信仰は、

自然を受け入れる、

自然を信仰する、

自然を信じる、

自然を信頼する、

ということが欧米人にも分かってきたのであろう。

 

欧米人の思想の源泉は

自然を支配する、

自然を破壊する、

自然を統御する、

であったがその反省が見られ始めたのだと私は思う。その端緒が東北大地震の時の日本人の行動であったのだ。

日本人の思想は自然をそのまま受け入れることにある、これは地球が人間の自然破壊により地球が牙を剥いて向かってきた現実がさらに深まれば、その帰趨は明白に「自然を大事に、自然を恐れる」という日本人の思想に帰着するであろう。

 

2.   日本庭園

日本庭園こそ西洋式庭園と根底的に異なる。「日本人の自然観」が如実に溢れている。その相違を検分してみよう。

ベルサイユ宮殿

典型的な西洋式宮殿と庭園の人工性、

1.   徹底した、左右対称

2.   地平線まで続くように平らな空間、

3.   植え込みの幾何学的刈り込み、

4.   樹木も直線的、円状など規則性、

5.   草花配置も反自然的配置。

6.   噴水

 

これらから推察できる西洋式庭園の哲学は

1.     人間の自然超克

2.     自然支配、

3.     水を上に上げる噴水は自然には無い、

4.     自然と人間の対立する視点

 

これに対し日本庭園は

1.   自然をそのまま取り込んでいる、

2.   小川は自然そのまま、くねって流れる

3.   その水の流れる池も自然そのまま

4.   植生も自然、枝ぶりも自然のまま、

5.   剪定はするが自然に似せ、近づける、

6.   徹底して作為を隠す。

 

日本人の感覚は、自然との強い親和性、自然と対立しない日本人の感性がみられる。ここが西洋と決定的に異なる。自然に似ていると日本人は美しいと感じ、気持ちが安定する。ここに日本人の心がありこれにより日本人の心は安定するのだ。

この点の西洋人との違いは哲学的な相違を生み出す。

眼には眼を、歯には歯を、これは復讐の意味で使われている、旧約聖書・エジプト記に言葉。これで決して人類の平和は有り得ない。現在の中近東での絶え間ない争乱・紛争には絶望を覚える。いずれも一神教民族の争乱である。イスラム、キリスト、中世までは神の異なる民族は殺してもよかったのはキリスト教の歴史的事実である。世界平和は程遠いのである。ノーベル平和賞などで、せぬよりましだが根本的な思想の根拠である民族の神で行き詰まる。民族の神を否定するものではないか、日本の神様の平和な在り様には思わず感謝したくなる。有難い日本民族と思える。

 

日本の神様とは自然信仰そのものである。

それは万葉集にてそれが分かる。日本人がわかる、日本人の宗教観、哲学、思考が凝縮されていると思える。

天地、あめつち、という表現が実に多く使われている。