鳥取木鶏会 11月例会

佐藤一斎「言志耋録(てつろく)より

66.人心の霊

人心の霊なるは太陽の如く然り。但だ克伐怨(こくばつえん)(よく)(うん)()のごとく四塞(しそく)すれば、此の(れい)(いず)くにか在る。故に誠意の工夫は、雲霧を(はら)いて白日(はくじつ)を仰ぐより(せん)なるは()し。凡そ学を為すの要は、此れよりして(もとい)を起す。故に曰わく「誠は物の終始なり」と。 

岫雲斎

人間の心の霊妙な姿は太陽が照り輝いているようなものだ。ただ、人に勝つことをこのむ「克」、自分の功績を誇る「伐」、怨恨、貪欲の四つの悪徳が心の中に塞いでいると雲や霧が発生すると、太陽が見えなくなるように心霊が何処にあるか分らなくなる。だから誠意を以て向上に努めてこの雲霧を一掃し照り輝く太陽、即ち心の霊光を仰ぎみることが先決なのである。学問をする者は、これを基礎にして積み上げるべきである。だから中庸に、「一切は誠に始まり誠に終わる。誠は一切の根源であり、誠が無ければ、そこには何も無い」とある通りだ。 

67.霊光の体に充ちる時 

霊光の体に充ちる時、細大の事物、遺落(らく)無く、遅疑(ちぎ)

無し。 

岫雲斎

終始誠意を以て修養に務めていると心に霊光を識得して、やがてその霊光が体に満ち満ちて天地間の小さい事も大なる事も遺し落とすことなく、また遅れたり疑う事もなく処理されるようになる。 

68.窮められない道理は無い

窮む可からざるの理は無く、応ず可からざるの変無し。  

岫雲斎

天地間の様々な現象は、それらがどのような道理に起因しているのかを究め尽くせないということは無い。世の中の事は千変万化するが、それがどのように変化するとも応じられないと言う事は無い。 

69.天地間の活道理

能く変ず、故に変ずる無し。常に定まる、故に定る無し。天地間、()べて是れ活道理なり。 

岫雲斎

自然は常に変化してやまない。だから変化しておるとも見えない。常に不変のものは殊更に一定ということもない。天地の間のことは、このようなもの、これが大自然の活きた道理というものである。 

70.工夫と本体は一項に帰す

時として本体ならざる無く、処として工夫ならざる無し。工夫と本体とは、一(こう)に帰す。 

岫雲斎

大自然の本体の現れないものは無く、またその働きでないものもない。つまり工夫と本体とは一つである。 

71.事物の見聞は心でせよ

視るに目を以てすれば則ち暗く、視るに心を以てすれば則ち明なり。聴くに耳を以てすれば則ち惑い、聴くに心を以てすれば則ち聡なり。言動も亦同一理なり。 

岫雲斎

目や耳だけで事物の見聞をすれば事物の真相の正確な認識を欠く。事物、現象の本質を知るためには心を用いなくてはならぬ。言動の洞察に於いても同様な原理が必要。(「大学」伝之七章、「心ここにあらざれば視れども見えず。聴けども聞こえず。食えどもその味を知らず」)