想像以上に歴史に無知な大臣や国会議員 

岡田外務大臣の天皇発言には驚いた、民主党の幹部からの批判を初め集中非難を浴びた。 

市町村議員に至っては、商売の片手間の議員だから勉強していない、無知極まりないのが日本の政治を司り、為に近隣諸国、特に韓国、中国からそれに付け込まれている。それは危機的状況である。 

原因は、戦後教育に「国史」が欠如していたからである。

自分の国の「歴史」を知らない連中が政治を差配しているから外国人に太刀打ちできないのである。由々しき事態を迎えている。 

それともう一つは、歴史を「短期間」で見てしまう、要するに歴史は「全体像」、即ち「長期的スパン」で見なくては、真実は把握できないのであります。 

その端的な例が、大東亜戦争であります。

裏返して申せば、「ここ500年の白人世界史」という俯瞰的、鳥瞰的視野で世界史を見ることから始めなくてはなりません。 

例えば、日本は、中国の言い立てる「歴史観」の罠に完全に嵌まっている人々が多い。 

それは、歴史を1931年、昭和6年の満州事変から1945年、敗戦までの短期間で見るからに他ならない。

満州事変調査の為に、国際連盟が派遣したリットン調査団は、7ヶ月をかけて245ページの報告書を作成した。

それは「日本・支那紛争に関する国際連盟調査委員会の報告」である。

それによると、調査団は確かに満州国の独立は認めなかったが、日清戦争にまで遡って日本と中国の立場と、両国の歴史を極めて公正に分析している。 

報告書の何処にも、現在の日本や中国で言われている「邪悪な日本の軍国主義、対する、気の毒な中国」という単純構図で満州事変を分析している部分は無い」のであります。 

それ処か、「世界規模でパワーバランス」が変化した十九世紀に、中国は孤立状態を脱すべきだったにも拘らず「この新たなる接触に応ぜんとするの用意無かりき」と批判されている。

日本は「自己の古き伝統の価値を減ずることなく西洋の科学と技術を同化し、西洋の標準を採用したる速度と完全性は遍く賞賛せられたり」と報告している。 

リットン調査団は、その日本を攻撃した中国・国民党の激しい反日政策、教科書、人民外交協会など、中国社会の各層で鼓舞された「抗日・反日運動」が中国人民の感情の自然な盛り上がりというより、国民党政府の政策だった面の指摘までしているのである。 

反日教育は当時も現在も、中国不変の国策なのである。 

米国外交官マクマリーは、1935年、即ち満州事変勃発4年後、満州事変を「中国は満州で蒔いた種を自分で刈り取っている」と書いている。 

マクマリーは、「中国との条約を含め国際条約を守ったのは日本であり、守らなかったのは中国であること」、

「両国を公平に扱わなかった米国の偏りが、日本にとって耐え難い状況を作り出した」とまで指摘しているのである。 

これらを指摘する評論家も識者も消えつつある上、政治家が不勉強だし、まして国民は無知であり、日本は不当な国際的地位を完全なものにしつつある。 

それは国民が国史を勉強しないからである。 

中国の掟破りは昔も今も日常茶飯事である。領海侵犯、国際法違反、油田問題、靖国問題など溢れている。 

1926年の関税実施がある。その4年前1922年、ワシントン会議で、各国の単独行動が禁止されたにも関わらず、広東の国民党政府は、突如これを実施した。 

日本はワシントン会議の参加諸国が集り協議すべきだとしたが、アメリカは中国のその非を咎めず逆に日本の要求を拒否した。このようなアメリカの傾向は歴史的にあった。 

翌年の1927年春、中国の国民党軍が、日米英各国の公館などを襲撃し、暴動と殺戮をほしいままにしたのである。南京事件と言われるこの事態でもアメリカは国民党への制裁行為に加わらなかった。 

道理を欠いた、この中国とアメリカとのやり方に直面しながらも、日本は満州事変までは「ワシントン会議の協定文書並びにその精神を守ることに極めて忠実であった。この事は、当時の各国外交団全員が等しく認めていた」、

「当時、中国問題に最も深くかかわっていた人たちは、日本政府は申し分なく誠実に約束を守っていると考えた。」とまでマクマリーは書いているのである。 

満州事変と、その後の歴史の責任はを日本にのみ求めるのは、もういい加減にして欲しいのであるがその歴史すら知らない日本人のお粗末さである。これでは外国の言いなりである。 

日本の責任を見つめながら、米国と中国、そしてソ連の行動を分析して、歴史全体像を見つめる新しい視点を日本人は持たなくてはならぬ。 

それなしには、未来永劫、中国に恫喝され、日本の領海を侵され、資源を奪われても、尚、中国の顔色を奪われて尚、中国の顔色を覗う国のままなのであろうか、愚かしい。 

マクマリーの言葉

人権意識がよみがえった中国人は、故意に自国の法的義務を軽蔑し、 目的実現のためには向こう見ずに暴力にうったえ、挑発的なやり方をした。 そして、力にうったえようとして、 力で反撃されそうな見こみがあるとおどおどするが、 敵対者が何か弱みのきざしをみせると、たちまち威張り散らす。

・・・・・中国に好意をもつ外交官たちは、中国外国に対する敵対と裏切りを続けるなら、遅かれ早かれ、一、二の国が我慢しきれなくなって手痛いしっぺ返しをしてくるだろうと説き聞かせていた。 (1935年の覚書より一部要約)