素人政治はもう見飽きた 政治部長・五嶋清

2012.11.17 産経新聞 

 約束を守ったからといって、それほど高い評価を与える気持ちにはなれない。野田佳彦首相が8月8日の党首会談で「近いうち」に国民の信を問うと明言して3カ月以上が過ぎた16日、衆院は解散された。野田首相は記者会見で、衆院解散は「(国民との)約束を果たすため」だと高らかに宣言したが、約束は守るのが当たり前だ。民主党政権では過去2代の首相が約束を果たすという当然のことをなかなか実行しない人たちだったので、3代目の決断がことさらまぶしく見えるだけである。

 むしろ、この解散こそは、3年間以上にわたって日本全体を巻き込んだ民主党政権という壮大な実験が失敗に終わったことを、野田首相自身が公式に認めたことを意味する。

 外交・安全保障、社会保障、経済対策など、民主党政権の個々の失態を挙げればきりがない。ただ、その大本は日本の舵(かじ)取りを任された一人一人の議員に、その準備と覚悟がなかった点にある。

 3年前の衆院選で政権奪取を目指した民主党は子ども手当など有権者うけのいい政策を「マニフェスト」(政権公約)に並べ立てた。その多くは、冷静に考えれば実現不可能と思えるものが多かった。政策実現には財源が必要だが、民主党には確たるあてがなかった。当時の鳩山由紀夫民主党代表は「財源はいくらでも出てくるものと私は信じている」と言い放ち、ムダの削減などで捻出できると楽観し衆院選に突っ込んだ。だが、実際に政権を担当してみると、そう簡単ではなかった。まったくの素人政治である。

 また、民主党は官僚主導の政治を打破するためにマニフェストに、100人の国会議員を政府に送り込んで「政治主導で政策を立案、調整、決定する」と盛り込んだ。しかし、ある者は官僚組織に絡め取られ、ある者は官僚と対立するばかりで行政の停滞を招いた。日本最大のシンクタンクともいわれる官僚組織の能力を十分に生かして、真の政治主導を発揮できた議員はほとんど見当たらなかった。

 そもそも100人の国会議員を投入すれば政治主導が確立されると思っていた点が甘い。問題は議員の数ではなく、議員の質なのである。能力の欠如した議員が100人いようが200人いようが、政治主導が達成されないのは当然である。無能な議員100人なら、有能な議員10人の方がずっとましだ。そういうことを十分理解し、実行できるプロの政治家が求められていたのだ。

 できもしないことを宣言し簡単に翻す首相もいた。当然守るべき規則や常識を軽んじて辞任に追い込まれた大臣もいた。いつまでたっても何も決まらない政策論議、不毛な政争、見苦しい足の引っ張り合い−。いずれも政治に対する国民の信頼を著しく損なった。

 もちろん、失敗の責任を民主党だけに押しつけるわけにはいかない。3年前の夏を思い起こしてほしい。民主党政権という冒険を選択したのは国民自身だった。そして、国民をその冒険に駆り立てたのは、それまで政権中枢の立場にあった自民党政治の失敗である。

 既成政党はこの教訓を生かせるのか、二の舞いになるのか。第三極の政党にも期待したいが、経験不足であるがゆえに今までの失敗を繰り返す危険性もある。いずれにしろ今度こそプロの政治を望みたい。素人政治はもう見飽きた。(ごじま きよし)