()(かん)() 

禅の修行僧が食事を受ける際に心の中に想念する反省と感謝の意を含む()(ぶん) 

(ひとつ)には(こう)多少(たしょう)(はか)り、()(らい)(しょ)(はか)る。 

  私達が頂く食事は、いかに多くの人の手数と

  労力が費やされているか、その苦労を思い

  天地自然の恩恵を忘れてはならない。 

(ふたつ)には(おの)れが徳行(とくぎょう)全欠(ぜんけつ)(はか)って()(おう)ず。 

  自分の人格を完成せんが為、又、自分の業務を完全に勤める為に食事をするのである。

  自分を省みて欠点はないか反省して頂戴する。 

(みっ)には(しん)(ふせ)(とが)(はな)るることは(とん)(とう)(しゅう)とす。 

  (むさぼ)りの心、(いか)り心、因果の道理のわからぬ愚痴の心で食事をしてはならない。 

(よつ)には(まさ)良薬(りょうやく)(こと)とするは形枯(ぎょうこ)(りょう)ぜんが為なり。 

  日々食事を摂るのは飢えや渇きをいやし肉体の枯死を免れる良薬と思い、平和な心持で食事をする。

 

(いつつ)には成道(じょうどう)(ため)(ゆえ)(いま)()(じき)()く。 

  私たちが食事を頂くのは、人間として大道を成就せんがためである。人生の真の意義を見失って、一生をムダに過ごさないよう成道の為に食事をする。