中国、あれやこれや その23

平成18年11月

 1日 妙な現象 統計数字から見て明白だが、反日感情は成人より青少年に顕著である。戦争時代を知らないし、日本に行きたこともない、云わば日本無知の世代が何故反日かなのである。 それは江沢民時代に反日教育が強化された結果である。今の中年世代の中国人がよく「自分達が若い頃は決して反日ではなかった」と証言しているからである。
 2日 原因は日本人の無知 反日の二つ目の傾向は、日本に無知であれればある程。反日、排日、侮日、敵日の傾向が強いことである。それはなぜかと云えば、日本の歴史や文化、民族性、価値観、或いは世界に於ける日本の位置などを知らない為に「日本軍国主義の復活」「過去の日本の中国侵略」という反 日宣伝をそのまま鵜呑みしているからである。戦後の日中関係の経緯を全く知らず、ただひたすら日本が中国に迷惑をかけ続けている野蛮な国家だと思わされていいる。中国の愚民教育の結果、良知、良識、良心に欠けた中国人は、中国政府の反日マインドコントロールに落ちているのだ。
 3日 中国社会への不満 三つ目、社会、政治、経済への不満があればある程、反日感情が強いことだ。反体制姿勢を持つだけの勇気が無い者に限り反日感情が増幅して言動も過激になっている。反政府活動して逮捕、投獄されるより日本批判で 不満の捌け口にしているのである。しかも、共産国だから、反日姿勢を明確にしておけば社会から認められるのだから得である。これは戦前の中国と全く変わらない。中国人の国内ご都合主義である。
 4日 ご都合反日

中国史上最大の反日指導者、江沢民の指導の下、かって国辱とされた二十一カ条条約以降の時代のように、寧ろそれ以上に、反日の詩詞、音楽、教材が流布され情報統制の強化も行われている。

そして過去のように、日貨排斥の叫び声も上がったが、これは効果が無かった。なぜなら日本ブランドの偽物が社会に氾濫しているだけでなく、日本の資本導入を停止しては経済は大変なことになるからだ。そのような一銭の得にならない反日は中国政府も容認していないご都合主義なのである。
 5日 すべてお金の中国 SARS騒動以後、日本人の投資や観光誘致の為、日本人にノービザ政策を取っているように中国人は日本人の持つカネがノドから手がでる程に欲しい。だから反日政策は、経済に打撃を与えない範囲に抑制されている。

つまり教育やマスメディアによる定期的宣伝―終戦日前後とか満州事変勃発日前後―や歴史博物館や抗日記念館の増設と言った固定施設を通じての特定のものに限定せざるを得なくなつている。 

 6日

中国官製情報

縷々述べたが中国人の反日感情というものが、中国政府の情報操作の賜物であることが理解できる。「中国人民の感情を傷つける」のセリフは、あくまで官製の「感情」であることが分るだろう。

日本人にとり甚だ迷惑、これは礼儀の国でもないし、とても人間としてマトモナ付き合いのできる人種ではないのである。 

黄文雄氏の意見
 7日 忘恩負義の中国 1. 中国では、日本が明治以来ずっと、中国を侵略し続けたと教えられ、それを鵜呑みにしている者が殆どである。「歴史認識」がある程度ある人間に至っては、倭寇、倭ブタ、小日本、東洋鬼、つまり日本人は、生来の侵略性を持つ野蛮な種族であり、有史以来中国侵略の陰謀、野心を抱いてきたと思いこんでうる者が少なくない。

日本でも戦後は、戦前の日本人が中国を侵略し続け、中国人を多数殺したなど、多大な迷惑をかけてきたと懺悔するのが一般的だ。

果たして総てその通りか、違うのである。
 

 8日 忘恩負義中国 2. 黄文雄氏は言う、実際に迷惑をかけたのは日本ではなく、中国であり、中国こそ日本に謝罪しなければならないと考える日本人は絶無に近い。それも日本人の国民性であり、民族性なのだろうか、という。

常に相手に迷惑をかけているとの強迫観念から自責をやめず、例え自分が被害者であっても「ご迷惑をおかけしました」「すみません」「ご免なさい」を連発したり、相手からいつも恩恵を受けているかのように「お蔭さまで」「お世話になりました」としきりに頭を下げるような生活習慣があってこそのものだろう。  

 9日 忘恩負義の中国3 日本人のこの「お蔭さま」との感恩の気持ちは、法然、親鸞の他力本願の仏教思想から来るものと云われている。確かに日本社会では、いつでもどこでもペコペコ頭を下げることが礼儀を知る人間としての証となり、相手に好感を与え、実害は殆どないどころか社会の潤滑油となっている。

これは日本以外では通用しない、国際社会では潤滑油どころか、相手にいらぬ誤解をもたらすなど混乱を惹起するだけであある。まして「謝罪」を「降参」「服従」の意思表示と見なす中国人には、日本人の麗しき情緒など理解できないし、その気持もない。 

10日 忘恩負義の中国4. 然し、多くの日本人はそのようなことを知らない。自虐的人間に限らず、多くの日本人は「中国に土足で踏み入った以上は譲るべきただ」「中国人を殺害したのは事実なのだから謝罪しなくてはならない」とだけ考えている。そして極端にも「日本の過去の犯罪には時効はない。

日本人は永遠にこのことを反省しなくてはならない」とまで云う人も決して少数ではない。つまり多くの日本人は黒か白か、戦争の加害者か被害者かという思考しか持てず、いつまでも自らを加害者と考えている。 

11日 忘恩負義の中国5. 然し、近代国民国家の行動原理は、中国の春秋戦国時代のように義でなければ利、利でなければ義、と言ったものではなく、あくまでも国益追求(或いは国民の利益追求)にある。 近代日本の戦争もまた、いかに大義名分を振りかざしていたとはいえ、矢張り基本的には自国の利益を最重視していた。この一点に、心の「清らか」な日本人は引っかかるようだ。
12日 忘恩負義の中国6. 然し、だからと言って、日本を「侵略国」と決めつける中国人の歴史認識を無批判に受け入れていいだろうか。「過去について正しい歴史認識を持つことができなければ未来は語れない」と云ったのは江沢民だが、それでは一体、何人の中国人が「正しい歴史認識」について再考してきたとというのか。

つまり中国人はあくまで独善的な歴史観でものを云っているだけなのである。更に云えば、中国政府は特定の政治目的を達成する為に、自分の都合のいいように捏造した歴史を日本人に受け入れるように強制しているだけなのである。日本人は歴史を科学的に解明したいなら、先ず何よりもこの点から理解しておければならない。 

13日

忘恩負義の中国7.

中国人の歴史観のどこが独善的かというのは、なぜこのような一大事実を中国人は歴史に書き留めないのかということだ。もし中国に理性があるなら、中国近現代史に対する日本の貢献に再評価を与え、自国民を反日マインドコントロールから解放して豊な思考能力を育成し、日中間の健全な交流を推し進めていることだろう。そして従来の悪意に満ちた日本の「過去」への 非難、中傷といった忘恩行為について心から反省し謝罪することだろう。中国人はよく「中国人は井戸を掘った人を忘れない」と言って、自分達がいかに人からの恩義を忘れない民族であるかを強調し自慢しているが、それは全くウソである。日本人は何も遠慮する必要はない。もしアジアの近現代史に「悪玉」がいるとすれば、それは日本ではなくて中国だ。日本は堂々と歴史問題に関し、中国に謝罪を要求していいのだ。 
14日 忘恩負義の中国8. 明治維新以来、中国はずつと直接的にも間接的にも,日本官民から激励、声援、指導、支援といった恩恵を受けてきた。もし日本という存在がなかったら、中国の近代化は遥かに遅れていたか、或いは西欧列強により分割される運命にあったものと思われる。 少なくとも今日の中国が存在しなかつたことだけは間違いない。勿論、日本が中国近代化のモデルであった。或いはその為の資本と技術の提供者であったというだけではない。日本は中国の為、衰亡の一途を辿りつつあった東洋文明の保存を行い、東西文明の融合の道を示し、そして中華民族意識の育成という歴史的貢献まで行っているのである。
15日 二枚舌中国 それは「子々孫々までの日中友好」と「反日教育」の二枚舌のことである。中国は本音と建前をはっきりと使い分ける国である。といったのはアメリカの中国通フェアーバンク教授だが、実際中国史上に於いては、范蠡、諸葛孔明、曾国藩等々、本音 と建前を上手に弁え、出処進退を上手に決めた偉人の故事が、人々の人生訓として多く語り継がれている。こうした人物を一言で言うなら「二枚舌」の達人であり、そうした人物たちがこの国では尊敬されているのだ。
16日 日中正常化交渉 1970年代の日中正常化で「日中友好」関係が開始されると、中国が盛んに強調したのが「子々孫々までの友好」である。永久の平和と友好を誓う、あまりに大袈裟なこの言葉に、日本国民はかえって心酔してしまい、

その後これは両国民の友好の合言葉にまでなつている。然し、その言葉の裏で中国が行っているのが「反日教育」である。これこそ将に象徴的な中国人の「二枚舌」である。

 

17日 嘘の日中友好 日本人が感激のうちに中国との間で取り決めた「平和互恵」「主権尊重」という外交の原則がありながらも、中国は80年代以来、露骨な対日内政干渉を続けてきている。 このような中国人の「二枚舌」の習性について日本人は、既に国家レベル、企業レベル、個人レベルでの交流、交渉で嫌というほど思い知らされている。
18日 中国に無知な日本人 このような中国人の習性、文化を日本人が広く認識したたたのは「日中友好」時代に入ってからである。それまでそれを認識できないでいたのは、戦後の竹のカーテンのためというより、日本人が中国人について余りにも無知だつたからだ。 そもそも「子々孫々までの友好」ということを、中国人が本気になって考えたことがあったのだろうか。
現在すっかり日本で定着した「友好」という言葉は、世界共通の外交用語でなく中国特有の用語である。
19日 友好の解釈権

かっては「日米親善」とは言っても「日米友好」とのフレーズはなかつた。「中国語」としてのこの「友好」とは一体どのような意味があるかについては、その解釈権は中国だけにあるのである。

つまり外国のいかなる行為であれ、中国が気に入らなければ「非友好」的行為となつてしまうのである。そして「非友好」は「反中国」だ。このような判断基準は勿論、中国だけは永遠に無謬であって、非があるならそれは総て他人の側にある、と云った論理に基づくものである。
20日 人間不信社会の中国 中国は人間不信の社会であり敵だらけの社会だから、人々は不安感、脅迫感から、常に安心を求めて他者と友好ほ結ぼうとする。言うなれば彼らが友好を必要とするのは身の安全を守るためである。孫子がいう「示型の術」という戦略である。

中国人がいつも新しい友人を求めていることは、中国に行ったことのある日本人なら知っているかも知れない。また現に初対面の中国人から、恰も旧知の如く親しく話しかけられたことのある人も多い筈だ。

21日 友情観の相違 それについてはよく、中国人は他人とのコネ作りに熱心だからだと指摘されるが、それも人間不信社会で生きる彼らの自己防衛本能である。

然し、相手が自分に役立たない人物であると悟った時は、熱が冷めたように、その人から去っていってしまうことがよくある。こうした場合、日本人は「裏切られた」と失望してしまうが、そもそも日中の友人観、友情観は異なるのだ。 

22日

日中友好の判断基準

「日中友好」という言葉の解釈、つまり日本側の言動が「友好的かどうか」「友好の原則に適しているかどうか」との判断基準は、中国共産党の指導下,指令下で決定されるわけだ。 もし日本の官民がその「指導」に従わなければ、たちまち「日中友好に反する」「反中分子」と決め付けられるのが「日中友好」なるものの真義であろう。だから対中国関係を重要視する日本政府は外務省中国課の官僚だけでなく外務大臣すら,中国の指導におとなしく従う人間以外を据えることができない。
23日 外務省は中国出先機関 台湾の李登輝前総統は「日中友好という「錦の御旗」の前に日本人は次々と内面的妥協を重ねざるを得なくなった。例えば日中戦争は日本の一方的な侵略戦争であるとする中国側の「歴史観」を受け入れた。 そこから逸脱した発言をした閣僚を罷免することまでした。中国流の正しさを受け入れ。それにより国内秩序を構成するというのは、将に「中華帝国」における「属邦」の作法だ」と喝破したが、まさにその通りである。
24日 華夷秩序押しつけの国 中華帝国の華夷秩序的世界観を持ち続ける中国に、外国との対等な友好関係を結ぶことなど考えられないことを知らなくてはならない。然しそれを痛いほど分かっていながら「日中友好」の錦の御旗を放棄しないのが日本外務省である。 中国はインド、ソ連、ベトナムと「友好」を合唱し、それが最高潮に達した段階で、それらの国々に戦争をしかけるという裏切り行為を行ってきた。日中が「子々孫々まで友好」を合唱している時は戦争にこそならなかったが、江沢民時代になって反日政策、内政干渉といった理不尽ないざこざが起こったことも周知の事実である。それは中国の独善主義や「友好」の戦略性が原因だが、中国が追い詰められた時に打って出る、生存の為の窮余の一策である。
25日 危険な中国との友好 或いは、友好関係を結んだ相手が、実際は友好に値しないと判断し、急遽敵対関係に持って行った場合もある。 或いは「友好」が四人組との友好、林彪との友好と云った場合、権力闘争でそれらが敗北すれば、その友好国を敵国と見なした時もあった。この点、人脈を大切にし、しかもバカ正直な日本人にとり中国との「友好」はとても危険である。
26日 中国人の
人種観
中国人の中華思想そのものの見方、考え方の中でも、人種観についての分析、解明は、日本では余り行われていないようだ。この人種観は華夷思想である。古代中国の華夷思想に関しては中国最初の辞典である許慎の「説文解字」における夷狄の注釈を見ても分る。

つまり異民族を人間と見ず禽獣と見なしていたのである。夷狄の一部が半人半獣として、かろうじて中国人に認められるようになつたのは唐の時代からだが、それでも明末の王夫之などの儒学者は、相変わらず夷狄を禽獣とする説を鼓吹していた。 

27日 プライドの源泉 勿論、東夷である日本人などは禽獣で、朝鮮人と同じ穴の(むじな)としか見ていなかつた。西夷のヨーロッパ人にも、例えばイギリス人などは「英兵利(イギリス)」の三文字に夫々獣篇を加えて書き示すなど,禽獣視していた。 これが中国人の華夷思想であり、彼らのプライドだった。そのプライドの象徴、顕現が排他的思想,中華文化優越主義思想としての排外主義と排外運動である。現在も心底では変わらない。
28日 華夷の別 彼らの反日、敵日、侮日も近代以前からの、例えば朱子学の「華夷の別」に代表されるような強烈な排外思想、排外情緒によるところ大なのだ。 中国の排外運動の中でも最も代表的なのがキリスト教の宣教師、信者(中国人)、そしてあらゆる外国人を殺害、迫害の標的にした義和団の乱だろう。
29日 義和団の乱 義和団の乱は北清事変(1900)に発展し、北京は八カ国の占領下に置かれたが、それでも排外気運は収まらなかった。尤もドイツ、ロシア、フランス各軍の占領地区では、それはなかった。

なぜなら、これ等の軍隊は略奪、暴行を盛んに行っていたため、住民は恐れおののくばかりであった。 

30日 義和団の乱2. では、どこで排外気運が高まつたかといえば、それは日本軍の占領地区においてだった。なぜなら日本軍は極めて秩序ある軍隊で、一切狼藉を働かないどころか、住民に対して同情的な姿勢を示したかららだ。日本軍はこの「優しさ」で侮られたのである。日清、日露戦争における日本の攘夷(ナショナリズム)に刺激され、中国人の民族運動、つまり排外熱は高揚した。「拒俄(ロシア)運動」(19001905)、や米貨不買運動(1905)、その後の権益回収運動はその例だ。

やがて中華民国の時代になると,中国に進出を強めていた日英米のうち、中国人は排外運動の矛先を、冷酷で強圧的な英米より、やはり「情の深い」日本に向け、日本軍に対して戦争を挑発するまでになった。そして日本の敗戦で排斥対象を失った中国人は「向ソ一辺倒」の姿勢をとる一方で反米に夢中になった。毛沢東などは当時、アメリカを「紙老虎」(張子の虎)と呼んで人民に奮起を呼びかけ、反米をテコに大躍進運動の生産運動に駆りたてた。