終わりは新たな始め

乾坤(けんこん)から始まって、(かん)()に至る易の卦を辿ってみると、実によく思索し、把握し、推敲(すいこう)されて極めて自然であります。それが、下経になりますと、やや人為的、人間的でありまして、その最後は、「既済(きさい)未済(みさい)」です。ザッツオールというのが「既済(きさい)」、それと同時に「未済(みさい)」であります。終わりは新たな始めです。終わりは決して終わりでなく、やがて始まる。循環であります。上経三十卦、下経三十四卦、合計六十四卦をもって易は出来ておるのであります。

そこで、この易を研究してまいりますと、円転滑脱(えんてんかつだつ)というか、無限、無窮、実によくできておりまして、さすがに何千年もかれて練り上げられたものであるということが、しみじみ分かると同時に、易を学びますと、軽薄にのぼせ上ったり、或いは意気地なく失望落胆することがなくなります。また変転極まりない人間学と、自然の観察に基づく人間の考察、解明でありますから、易を学ぶことによって始めて我々は、限りない自由を得ることが出来る。これが易経の妙味と言いますか、興味の深いところであります。

(ぶん)(めい)文迷(ぶんめい)の時代こそ易を

此の頃、文明は、まさに文冥になりつつある。冥までは参りませんが、少なくとも迷うておることは事実です。文迷であります。何とかこの現代文明を文冥にしないように努力しませんと、大変なことになるので、最近ヨーロッパにローマ・クラブというのが出来ました。アメリカにも出来ておるようですが、多くの学者が集まって真剣に現代文明の研究、批判と修正を目的として努力しておるようであります。

どうも、まだ日本にはそういうものが、個人的には少しあるようですが、結束してやっておるというのがありません。やはり日本人は、西欧人のように自治的でなく指導力というものを必要としますから、安定した内閣をつくり、内閣が音頭をとって学者や識者を集めて、この近代文明の弊害を救い、新鮮な時局を打開することに努力しなければなりません。 

易は活学そのもの

アメリカ大統領は一回当選すれば任期が四年ありますから、日本の内閣も一度組閣すれば四年は保つというような、少なくとも地方長官ぐらいの任期を持つ内閣にする。そうすると二期やれば八年ですから、四年から八年やると相当やれます。

易学から申しましても、かなり見込みのあるというか、意義ある政治をやることが出来ます。優れた同人を集め、大きな力、大有にして、謙虚に、大いに能力を発揮していけば、どのような大きな事業でもやることが出来ます。従って易をやりますと政治経済、道徳、諸般のことに関して深い示唆を受けることが多く、易学は本当に、天地人生を通ずる原理の学問であるとともに、道徳、政治を通ずる活学であります。 

六十四卦を一通りやりますと、我々の精神、頭脳というものは非常に豊かになり、あきらかになります。実によい学問、貴い学問でありますが、それだけに難しいと言えば確かに難しい学問であります。然し、これは手ほどきが肝腎であります。初めを誤ると「初めあらざるなく、終わりあるは鮮し」とと言いまして、途中で皆が参ってしまいます。そこで始めに入門を正しく、懇切にやりますと、易学というものは、やればやる程味のある、深味のある生きた学問てであります。

私達の人生も、事業も、民族も国家も、これは大いなる易でありますから何にでも通ずるこの上ない学問であります。最初に申しましたように、人類の興亡の歴史を研究しておって、すっかり行き詰り、煩悶懊悩しておったトインビーが、図らずもこの東洋の易というものを発見して、易の六十四卦循環の理を知るに及んで、始めて活眼を開くことができたと、非常に感激をもって語っておりますが、我々も真剣に易学をやりますと、窮するということがない、本当に救われるというか、浮ばれるというか、意義深いと同時に非常に美しい学問であります。

(安岡正篤先生昭和五十三年七月十八日講)
        平成19年11月1日 
                 徳永日本学研究所 代表 徳永圀典