日本あれやこれや 11月 天皇と日本 

平成18年11月

 1日 太陽と稲作と天津(あまつ)日嗣(ひつぎ) 日本は稲作民族であり、当然太陽信仰となり、天照大神を中心とかる国生み神話と結びつくのである。極めて論理的なことである。日本はそのようにして古代から生きてきた。 天照大神の天孫、初代神武天皇から今上陛下まで、天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)は連綿と絶えることなく、皇紀2666年を数えるまでとなった。この世界的な不思議な連続性はなぜ保たれたのか。
 2日 国民と対立皆無の皇室 皇室は武力や権力で、国民に臨んだり、国民と対立したことは過去2666年に一度たりともない。天皇のお住まいは城郭を必要とせず、「御所」というに過ぎない。 天皇の御仕事の中心は、天照大神を祀る「賢所(かしこところ)」、歴代の天皇を祀る「皇霊殿(こうれいでん)」と、日本中の神々を祀る「神殿」の宮中三殿に、日本国民を代表して、朝な夕な国家の安泰と国民の幸福を祈る最高の神官行事である。皇室の仕える公家も刀剣を帯びない。
 3日 自然の恵み 日本は自然の恵みの豊な国であり自然に順応して、感謝し勤勉に働き、神を祭っておれば国民生活は幸せである。 神を祭ることが政治の祭りごとと同じで祭政一致の国柄を歴史的に作ったのは自然体である。
 4日 歴代天皇の特徴

歴代天皇は例外なく学問文芸を好まれ、日本文化の伝統を継承される当代一流の文化人であられた。昭和天皇は生物学者、明治天皇は十万に及ぶ秀でた御製を遺された。
「朝みどり 澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」

四方(よも)の海、みな同胞(はらから)と思ふ世に、など波風の立ちさわぐらん」

どの一つをとっても武人の心は片鱗もなく、文人に徹しておられる。
 5日 天皇はすべての国民に慈愛をもって臨まれ、貫く精神は「仁」である。明治天皇の御名は「睦仁(むつひと)」、大正天皇は「嘉仁(よしひと)」、

昭和天皇は「裕仁(ひろひと)」、今上天皇は「明仁(あきひと)」、皇太子は「徳仁(なるひと)」と明らかである。

 6日 国民の本家・至高の権威 皇室は国民の本家であり、皇居は神殿であり、日本文化体得の殿堂である。武力とか権力とは距離をおいた「至高の権威」の象徴であり続けてきた。この為、信長、秀吉のような日本歴史のどの権力者、独裁者でも、

天皇を倒して自ら天皇にならうとした人物はいない。天皇は神であるべきだと考えたからである。神社を潰して己が神だと言った人がいないのと同じである。外国とは異なる、中国など天子は倒して自ら天子となる革命国家と大違いである。 

 7日 征夷大将軍 天下に号令をかける天下人の将軍になる為には、都に上り天皇の許可の「錦の御旗」を戴かなければ「征夷大将軍」になれなかった。日本の仕組みは素晴らしい英知である。 天皇は神権的け権威を背景として仁徳を以て「王道」で国民の臨まれる存在で、権力の「覇道」に無関係だつたから皇統が連綿と続くことができたのである。外国の王室は、15300年長く続いたものがあるが、半分はギロチンの犠牲となっている。
 8日 「みやこ」とは天皇の宮のまわれる宮処(みやこ)である。都に上りたい向都性は奈良時代から続く日本人の本姓。都に上れば天下の情報に触れられる、天皇に帰一できるからである。 日本歴史上、権力の中枢が鎌倉や江戸でも、当時の天皇のおられた都処の京都であり続けた。明治になり天皇の遷都で江戸城は東京城となり宮城となり真の日本の都となった。
 9日 生きている武蔵野・皇居 皇居は武蔵野の末端、東京の中心、500年前の貴重な武蔵野の縮図で植物、野鳥の楽園で「生きている武蔵野」、大都市の中ら残された「自然の秘境」である。

掘や石垣の亀や蛇は太田道灌の昔から万世一系の種を保っている。皇居は田植え、養蚕、植林の民族の伝統を守り、生きた民族学の宝庫であり、東京の自然生態は皇居で守られている。 

10日 外人観光客の不思議 皇居を外人観光客が見学して不思議に思うことは、国民を威圧し、国民を仰ぎ見るようなモニュメントが何一つ見えないからである。そこには、森と石垣と掘があるだけである。国民統合の象徴としての天皇の権威を示すものが外に向って誇示されていないことだ。 外国の王室の宮殿のような絢爛豪華さは全く無く、皇居は謙虚で質素で静かに森の中に静まりかえっている。皇居というより「空虚」「空居」と言ったほうがあたっている。皇居は神国日本の全国民の鎮守の森である。
11日 時間の文化 人間だけが動物と違い時間の存在を意識している。流れている時間に区切りをつけ、時計や暦を発明した。時間を止めるると過去・現在・未来を知った。未来を知り貯えることをする人間。その為にせっせと働き貯蓄し、未来の不安を解消する為防衛や学習にも励む。 過去の時間で経験した知恵は文化となり子孫に伝える。その時間意識が外国人より格段に勝れているのが日本人。これが日本発展の謎である。日本人ほど時間を大切にし、時間を区切り、けじめをつけて目標を決めてハジからシカジカ計画的に仕事を片付けて生活する民族はない。  
12日 「けじめ」と稲作文化 稲は熱帯植物で年に三度とれる。いつ種を蒔いても育ち時間に追われない。処が温帯の日本で稲を育てるには真夏の7-8月の短期間の一回勝負。 為に春先の種蒔き、苗代から準備に入り、初夏の田植えから始まり一番草、二番草、三番草取り、稲刈り、と時間刻みの多忙な農作業の連続。このように気候帯の不利を勤勉な労働で補わねば日本の稲作は成立しなかった。
13日 時間の節目をつけた日本人 日本人は八十八夜の別れ霜、二百十日の台風荒れ日のように時間の流れに節目をつけて計画的農業を2000年以上も繰返してきて瑞穂の国となり節目、けじめを大切にする民族性となつたのである。

稲作農業は怠け者や愚か者にはとてもついていけなない生業である。日本人の国民性となつた「けじめ」という概念は外国語にはない。ここに日本発展の秘密が隠されている。

14日 小刻み時間 小刻みに時間帯を設定することは、時間意識が高まり時間を大切にする。けじめができるから生活も計画的となる。時間に縛られる、追われる、行動が機敏となる。そして稲作民族は季節に生活利リズムを合わせて暮す習慣となる。

1年を12ヶ月に分割するだけでなく、15日刻みで立春、夏至だ、秋分だと24節気に区切る。更に節分、端午の節句、入梅、七夕、土用、彼岸などと雑節まで作る。 

15日 欧米との比較 欧米の狩猟・遊牧を基礎に暮す民族は、悠然として時間にルーズ、追われることがない。

日本人のように暮れと正月に1週間も生業を休んでけじめをつけて祝うことをしない。 

16日 初めと終わり このようにして、日本人は初めと終わりに、はっきりと、けじめをつけなくてはいられない民族となる。日常の行動様式の中にやたらと節目、けじめをつけて暮す。 家を出る時「行って参ります」、帰れば「ただ今」。
送る方は「行っていらっしゃい」、「御帰りなさい」。英語にかかる表現は無い。
17日 学校・汽車のけじめ 授業は「起立」、「礼」、「着席」で始まる。芝居も「東西東西」の口上、拍子木やテーマ音楽で始める。 汽車の出発は「汽笛一声新橋を」、外国のように何の合図もなく発車しない。
18日 事の初めと終わり 新年会、忘年会、始業式、仕事始め、仕事納め、大発会、大納会のように必ず「けじめ」をつける。 会社も役所も団体も10周年、20周年の記念式典を挙行するのも同じけじめの思想で外国には見られない美俗・文化である。
19日 和歌 「ももしきや 古きのきばのしのぶにも なお余りある 昔しなりけり」のように枕詞で始まり「けり」でしめる定型がある。

ここから」けりがつく」という大和言葉がうまれたと云われる。 

20日 国境線 北米、豪州、アフリカに顕著だが、国境線が東西南北に直線で示されている。日本は地形が複雑で市町村が直線になることはない。 外国では四季の変化が乏しく、時間にけじめが無いばかりか、空間的にも自然環境が平坦で単調で区別のしようがない。従って地球上の経度、緯度という天文的な線で国境を区切るしかない。空間的にも彼らはけじめを知らない。
21日 元号の知恵 節気の知恵を時代の流れに適応したのが元号。歴代天皇は、数年から数十年を目途に巧みに元号を変更して巧みに時代や人心の転換を企図した。天皇のこの大権こそ、時間民族日本の天皇の最高に重要な使命である。西洋のように数字だけでは所詮、国家の情緒もなく干乾びたようなものだ。

幕末の孝明天皇は在位21年間に、嘉永、安政、万延、文久、元治、そして慶応と六回も改元された。混乱の時代を如何に転換させるかの天皇の苦衷の表れである。続く明治改元で御一新となった。 

22日 年号の意義 明治維新、明治となり民族は、暮れから正月を迎えたようにチョンマゲを忘れ、気分一新、目標を掲げて新時代を創造することができた。 年号はその時代を着色し、意味付け、明瞭に区別する。明治、大正、昭和と云っただけでどんな時代だつたか浮かび上がる。「・・頃は元禄・・」で忠臣蔵の江戸時代、西暦1703年では味も素っ気もない。
23日 元号制こそ日本のアイデンティティ 時代遅れだとか、軽薄な進歩的文化人とか、反日左翼の日教組とか、メディアが言うが、日本のアイデンティティそのものである。 大化の改新から千数百年、本家の中国すら消滅している。天皇と元号制こそ日本そのもの、最後の砦である。
24日 日本語 言語は人類文化最高の財産、世界に約2500語がある。故に日本語は日本文化の生みの親であり、日本人を日本人たりしめるものである。

国語は民族をヨコに結びつけるし、過去・現在・未来の人々をタテに連結するクサリであの日本文化のバックボーンである。一国家、一民族、一言語の日本の統一安定社会の謎もここにある。 

25日 日本語の素晴らしさ 日本人は国語を無意識に空気のように使用しているが、実はそれが日本発展の原動力であることに気がついていない。日本語が欧米初め世界のどの言語より勝れて高度に発達した言語である事を知ればすぐ分る。 日本語は、漢字、カタカナ、ヒラガナの仮名交じりの三通りの表現で、複雑に洗練された言語であり、外国人が学習するのに世界一難解と言われる。処が国民は義務教育で自然に高い漢字教養を身につけ文盲は皆無である。
26日 和才 明治以来、外国の優れた文明の洋才をどしどし取り入れて、和魂で包み高度な和才に仕立て上げる。巧妙な和風となる。一度日本に輸入された文明は日本語 で再構築され忽ち世界一のものになり再び外国へ出て行く。外国で学んだ時計、自動車、テレビ、半導体が世界一の商品として世界の市場を圧倒して行く。
27日 言語比較 単純な26文字のローマ字と、日本語の複雑多様な漢字仮名交じりの文化により決定的に方向づけられた結果である。26文字では余りに少なすぎて表現に微妙な差異を示されない。

三角形を彼らはABC、ビタミンの区別もABC。これを日本語なら甲乙丙、優良可、大中小、松竹梅、福禄寿と内容に意味と深みすらある多彩な区別をする。 

28日 日本語の特色 日本では低学年でもカタカナに五十音にヒラガナ五十音の表音文字を覚え、更に小学校で千字、中学校では二千字の表意文字を覚える。高卒の頃には3600の漢字を修得して新聞など誰でも読めるようになる。

一生のうち、誰でも五千程の文字教養を頭脳というワープロ器に納めて自由自在に活用するようになる。欧米の26文字に対する日本の5000、ここに勝負の根源かがあるのだ。

29日 瞬時に理解できる違い 日本語がローマ字のようにカタカナの電報文のままならどれだけ不便であったか。漢字が混じることで表現が直感的に理解できる。 ヒラカナなローマ字なら、瞬時に分別できない。地名でも日本は金沢、東京など大概二字で地図に表示されるが、米国ではサンフランシスコは12字、ロスアンゼルスは16字と読み分けも地図上もえらい違いがある。
30日 タテヨコ自在の日本語 日本語は横文字と異なり、タテヨコ自由自在、左書きでも、右書きでも、書けて、読めてと、世界一便利な文字である。

中国では、共産党が漢字を変形と簡略化した為、現代人には自国の古文書が理解できなくなっている、これは韓国とてハングルにした為、自国の歴史が読めず、人間の情緒の問題にまで波及してきているという。

古代の文献は日本 上述のような次第で漢字の本家本元である中国に変化が起きている。二千年以前の論語孟子の漢書が同じ意味で現代人に理解できるのは日本人だけとなりつつある。

東洋の漢字文明の粋は、従って日本にしか残っていないと云えるようになっている。