仏教は「生の哲学」でなくてはならぬ
         死後の世界、釈迦は何を語ったか
 
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平成18年11月

 1日 定命(じょうみょう)

仏教に定命という言葉がある。人間の命は生まれた時点で定まっていて変えることが出来ないということ。

理不尽なことだが、それが現実。だから、明日の事を思い悩まないで、今日出来ることは今日しておくがよいと云う事になる。
 2日 毒矢の話 死は誰にも分らない、ましてや死後の世界は誰にも分らない。釈迦に死後の世界のことを執拗に聞いた弟子がいた、名前は摩邏迦(まらか)、それで釈迦が言われた。 ここに毒矢で射られた男がいるとする、周囲の人々が慌てて医者を呼んだ。すると毒矢に射られた男が医者に向かい、「そんな治療をする前に、まず俺を射た男を捜してくれ。そして使った弓がどんな形で、材料で、毒の種類も調べて欲しい、その答えが出ないうちは治療しては困る」と。
 3日 毒矢の話2 釈迦は摩邏迦(まらか)に、この男をどう思うと聞かれた。摩邏迦はその男は大バカだ、その間に毒が廻り死んでしまう。釈迦は、お前の死後の世界の質問も同じことだよと云われ絶句した。 釈迦は、大事なのは毒の正体を知ることではない、まず毒矢を抜いて、苦しみを除去することだ。死後の世界の問題に拘る場合ではあるまい、大事なのは今の苦しみをどうやって克服すべきかと言うことだ。幾ら考えても分らないことは考えるのをやめなさい、と。
 4日 無記(むき) お釈迦様は生前、決して死後の世界や霊魂の存在などという問題についてお話しにならなかったと云う。
色んな弟子が聞いたが一切お答えにならなかったという。これを釈迦の「無記」という。ノーコメントのことである。
お釈迦様は死後の世界があるかどうかという議論を全くされなかつた。

死後の世界があるのか無いのか、霊魂が実在するのかしないのか・・・こんなことはお釈迦様でも分らない。
 5日 仏教の基本 分らないことは分らない。そんなことは考えず、今の人生をしっかり考えようというのが仏教の基本。 死後の世界は死ねば分るから、だから生きている間は只管、今どうやって生きるべきかを考えなさいというわけである。
 6日 死ねば仏となる 釈迦は言われた、人間の心の中に無明(むみょう)があるから、生きている間、我々は苦から離れられない。人生は苦しみ、悲しみの連続。でも死ねば我々の心から無明が消えるから、その無明が産み出した苦も無くなる。 だから死んだ人の顔は穏やかな顔をしている。イヤらしい顔をしていた人でも一晩たつと「仏顔」になっている。
 7日 苦しみからの解放 病気で苦しんだ人も、色々な悩みで苦しんだ人も、死ねば痛みや苦しみから離れることが出来る。 残された人も心配することはない、みんな浄土に渡っておられ、阿弥陀様が彼岸に導いておられると仏教はいう。
 8日 地獄 仏典に書かれた地獄は私たちの心に在する。他人を嫉妬したりすれば心の中は炎で焼き尽くされるのが人間。その痛みは激しくて途絶えることはない。これが地獄の苦しみである。 死ななくても我々は地獄に生きている。生きているということ自体が苦しみ、死んでからまで地獄に行く必要はない。
 9日 葬式 お釈迦さんは「まだ体験していない死のことを考えたり煩うな、今、生きていることのほうを大事にせよ」と教えたのだ。 日本では、葬式仏教と言われるくらい坊さんの仕事は葬式か法事くらいに思われている。
10日 本来の仏教の教えは それは「生の教え」である。死後のことはそれほど重きを置いていなかつたのである。

今、生きている我々が生きている間に、どうやって幸福になるか、如何に生きるかということを研究して教えてくれるのが本来の仏教であろう。 

11日 お釈迦さんの見解 お釈迦さんは、決して「葬式を派手にしろ」とか「墓は大きいほうがいい」なんい一言も言われていない。

亡くなった方の供養も大事だが、それよりも生きている自分のことを大切にしなさい」というわけである。

12日 お釈迦さんの遺言 お釈迦さんは80歳で亡くなられた。その直前に弟子たちが、亡くなられたら、ご遺骸をどうしようと」相談していた。 そんな時もお釈迦さんは、「そんなことは心配するな、お前達は自分の修行のことを考えておれ。私の葬儀については在家の信者たちが供養してくれるはずだから、それに任せておけ」と云われた。
13日

死後のこと

お釈迦さまは、「死んだあとは、お前達自身と仏法だけを頼りにせよ」と云われた。だが、その遺言は必ずしも守られていない。 お釈迦さまは、ご自身の葬式なんてどうでもいいと思っていたのである。
14日 日本仏教開祖の認識 お釈迦さまの、この考え方は、日本の仏教に脈々と伝っている。例えば、天台宗の開祖・最澄は「私の供養のために、仏像を作ることはない。写経することもない。 私の遺志だけ継いでくれればよい」と言って亡くなられた。浄土真宗の開祖である親鸞は「私の遺体は賀茂川の魚に与えよ」と云った。
15日 日本仏教開祖の認識2.

曹洞宗の開祖・道元はお釈迦さまの教えに忠実で、「死者の追善法要などは在家の人がやることである。僧侶のやることではない」と教えている。

父母の恩を思うことは大切だけど、それと形式的な葬式は関係ないというわけである。 

16日 日本仏教開祖の認識3. 時宗を開いた一遍は遺言で自分の葬儀のことを次のように述べている。「葬礼を改まって行なう必要などない。私の遺骸など野にうち捨てて、ケダモノに施してやれ。ただし、在家の信者が弔いをしたいというのであれば、させておけ」 本来、仏教は生きておる人の苦を無くし、楽を与えるための教えである。これを「抜苦(ばつく)与楽(よらく)」という。あくまで生きている人たちが主である。
17日 檀家制度 前述のようにお釈迦さまも、仏教の開祖・高僧もみな「葬式や法事のような形式的儀式なんて要らない」と言っていたのである。そんな仏教が、今日のような葬式専門の仏教になぜなったのか。 最大の原因は、江戸時代に檀家制度が出来たからである。江戸幕府は、キリシタン禁令を口実に「宗門改め」という庶民が必ずどこかのお寺の門徒にならなければいけないとした、それからである。
18日 人別帳(にんべつちょう)

それから人々は、どこかのお寺の檀家なのかは人別張に掲載され、それが一種の戸籍となったからである。この結果、江戸時代になると仏教は本来の姿を失ってしまったのである。

布教の努力をしなくても仏教徒になってくれるから、教えを広める必要がないのであり僧侶が堕落したままなのである。お寺は信仰のためでなく葬祭場になったと云える。
19日 宗派は日本独特 元来、日本は世界でも最も仏教が熱心な国で、「十三宗五十六派」と言われるほど、様々な宗派が開かれている。宗派とは日本独特なものである。それだけ、どうしたらこの世の苦から抜けられるか仏教者が必死になって模索したからである。

江戸時代になるとその熱気と情熱は急速に薄れた。宗教の「自由競争」が無くなったからである。為に江戸時代に宗教が堕落して檀家の葬式と法事だけしかしない住職となった。それでも檀家は幕府の命により寺から逃げることが出来ず、それが今日まで続いている。 

20日 寺の本来の意義 本来なら寺とは、「いかに生きるべきか」を伝えるべき場所である。亡くなった方にお経をあげるだけの場所と思われている。

現在、悩みを抱えている人こそお寺に行くべきである。処が葬式と法事だけのお寺に成り下がっている。先祖を担保に取られているからで、信仰の真の自由が必要であろう。 

21日 戒名 亡くなった人に付ける名前だと思う人があれば大間違い。仏教に帰依した人に対して与えられる法名である。出家する時に行われる「受戒」にちなんでいる。出家し、今後は仏教の戒律を守りますことを誓った人の名前が戒名。 「在家出家」即ち、本来の仏教徒なら生前に戒律を受け貰うものが戒名である。死んだ人をあの世に仏教徒として送るのに必要なのが戒名。だから葬式の時に得度式をして戒名をつけるのである。
22日 自灯明(じとうみょう) お釈迦さまは、弟子のアーナンダに遺言された。「お前達は自分たちを明かりとしなさい。人をよりどころにするな。仏教をよりどころにして、他を頼るな。

自分が死んでも、自分の銅像を拝めとか、一番弟子のいうことを聞けとか云われなかった。あくまで頼りにするのは自分だ。自分がしっかりしなくては誰も助けてくれない。自分で自分の心を鍛錬しなさい、自分の姿を反省して正しい行いをしなさい」言われた。 

23日 近代的知性

バツカリという弟子が不治の病で倒れた。友人に「私の命はもう尽きる。お釈迦さまのお顔を拝見したい、だが体力が無い、恐れ多いがお釈迦さまにお出まし願えないか」と。お釈迦さまはバツカリの家に行く、泣いて喜んだ。その時、バツカリにこう説法された。

「バツカリよ、私の老いさらばえた身体を見た処で、何の役に立ちはしない。大切なのは私ではない。仏教だ。仏教を守り信じるのだよ」と。バツカリははっと悟った。お釈迦さまはご自分を神格化されなかった。近代的知性があり親近感がある。現在の葬式仏教は依然として進歩もなく極楽に行けると云う。 

24日 この世は美しい お釈迦さまの臨終には何の奇跡も起こらない、ベッドの周りの四本の沙羅双樹の樹が亡くなると同時に真っ白になり枯れただけ。あれだけ素晴らしいことをされながら、普通の人と同じように老い、病に倒れ、亡くなられた。

お釈迦さまは「人生は苦に満ちている」と認識しながらも「この世は美しい。人の命は甘美なものだ」という美しい言葉を残しておられる。これこそが仏教の教えである。人生は悲しいことの連続である。生まれてこなければとさえ思うこともある。だからと云って人生を諦めてはいけない。 

25日 一切は心より転ず 人生は諦めてはいけない。人生は自分の心がけ次第で変えることができる。だから人生は素晴らしいというのがお釈迦さまの教えである。お寺に行きてお布施をあげればいいのではない。 仏様に甘えて祈ればそですむものではない。自分の人生は誰にも頼らず、自分自身の努力で変えなさい、というのが仏教の教えである。
26日 生き方の「四つの真理」 お釈迦さまの悟られた内容を「四諦(したい)」という。諦は諦めるの意味ではない。「真理を明らかにする」という意味のサンスクリット語である。

四つの真理とは、「苦諦(くたい)」、「集諦(じつたい)」、「滅諦(たい)」、「道諦(どうたい)」である。「苦集滅道(くじゅうめつどうう)」の四つである。 

27日 苦諦(くたい) 「苦諦」とは、どうしてこの世の中に苦しみがあるのか、その原因を考えること。苦の原因は煩悩や執着だという真理である。 この世は苦しみに満ち溢れているという真理。生きている以上、「生老病死」の四苦から逃れられない。それらの苦しみを経て最後は死が待つ。

生まれて来ること自体が既に苦である。更に四つの苦をお釈迦さまは分類された。「(あい)別離苦(べつりく)」、「怨憎(えんぞう)会苦(えく)」、「()不得苦(ふとっく)」、「五蘊(ごうん)盛苦(じょうく)」である。

28日 集諦(じつたい) 欲望の最大、最悪のものが渇愛(かつあい)、むさぼるような欲望である。生きている限り、心が動いている限り、絶えず様々な苦しみに悩まされるのが人間であり人生。お釈迦さまは「集諦(じつたい)」の真理を詳しく精密にという形で説明しておられる。 「十二因縁」
無明(むみょう)(ぎょう)(しき)名色(みょうしき)六入(ろくにゅう)(そく)(じゅ)(あい)(しゅ)()(しょう)老死(ろうし)である。
29日 滅諦(めつたい) お釈迦さんの結論は明快、人間の苦しみの根源は十二因縁にあるような「無明」にある。それなら無明を消してしまえばよい、苦を消滅させる真理だから「滅諦」である。

「これあれば、かれあり」、「これ生ずれば、かれ生ず」、「これ無ければ、かれ無し」、「これ滅すれば、かれ滅す」と云われた。これとは「原因」、かれとは「結果」である。原因をなくせば結果も無くなる、ということである。 

30日 (はっ)正道(しょうどう)

道諦(どうたい)我々は、どうすれば、無明を滅し、涅槃に至ることができるか。お釈迦さまは菩提樹の下でその方法を悟る。これが最後の「道諦(どうたい)」である。道とは涅槃に至る道、無明を消滅させる方法、この方法を「(はっ)正道(しょうどう)」という。

(はっ)正道(しょうどう)」とは、八つの正しい実践方法。
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正見(しょうけん)(
正しく見る)
A正思(しょうし)(正しい答え)
B
正語(しょうご)(正しい言葉)
C
正業(しょうぎょう)(正しい行い)
D
(しょう)(みょう)(正しい生活)
E正精進(しょうしょうじん)(正しい努力)
F正念(しょうねん)(正しい気遣い)
G
正定(しょうじょう)(正しい精神統一)