格言・箴言 11月「小学の読み直し」E
       失われた自己を取り戻す為に

       
小学は「人間生活の根本法則」

平成18年11月

1日 横渠(おうきょ)先生曰く、今の朋友は、其の善柔(ぜんじゅう)を撰び、以て相興(あいくみ)し、肩を()(たもと)()って以て気合(きあ)ふと()す。一言(いちげん)()はざれば怒気(どき)相加(あいしの)ぐ。 朋友の際は其の相下(あいくだ)りて()まざらんことを欲っす。故に朋友の間に於て、其の敬を主とする者は、日々に相親(あいしん)(くみ)し、効を得る最も速やかなり。
 2日

終戦の詔勅にある「万世(ばんせい)の為に大平(たいへい)を開く」とはこの人の語であります。宋の宰相・王安石(おうあんせき)と意見が合わわず、陜西省(きょうせいしょう)横渠(おうきょ)というところに帰って学問に専心し、生涯を送った。

名は(たい)と言い、(あざな)子厚(しこう)と言う。若い時から華厳(けごん)等も学び、だんだん儒学にはいって達した人であります。
 3日 子弟にはかく教うべし 馬援(ばえん)の兄の子、(げん)(じゅん)と並びに譏議(きぎ)(この)みて、(しこうし)軽侠(けいきょう)の客に通ず。援交趾(えんこうしし)に在り。書を還して之を(いさ)めて曰く。吾れ汝が曹・人の過失を聞くこと父母の名を聞くが如く、耳聞くを得べきも、口言ふを得べからざるが如きを欲す。後漢光武(こうぶ)の名将馬援(ばえん)の兄の子の厳と (じゅん)の二人は共になんでも(そし)ることが好きで、その上軽薄な志士気取りのつまらぬ男だてと交わっておった。丁度馬援が今のベトナム地方にあたる総督をしておった時分に、多分甥たちから来た手紙には、時の宰相をそしったようなことが書いてあったのでありましょう。その甥たちへの手紙の返事に、これを誡めて云うには、私は、お前たちが人の過を聞くこと父や母のことをとやかく言われるように、耳にははいるが口に出すには忍びない様であって欲しいと思う。
 4日

好んで人の長短を議論し、(みだ)りに正法(しょうぼう)を是非するは、此れ吾が(おおい)(にく)む所なり。(むし)ろ死すとも子孫に此の(ぎょう)有るを聞くことを願はざるなり。

お前たちのような修行中の未だ物事のよく分からぬ青二才は、好んで人の長所や短所を議論したり、みだりに国家の正しい法を批判するのは、私の最も悪むところである。死んでも子孫にこのような行のあることは聞きたくない。 

 5日

龍伯高(りゅうはくこう)敦厚(とんこう)周慎(しゅうしん)にして、口に擇言(たくげん)無く、謙約(けんやく)節倹(せっけん)(れん)(こう)にして()有り。吾は之を重んず。汝が曹之(そうし)に効はんことを願ふ。

龍伯高(りゅうはくこう)(名は述、字孔明)という人は重厚で慎み深くて、言語みな法にかない、謙約・節倹、清廉公明で、威厳があった。自分はこれを愛し重んずるものである。お前たちも見習って欲しい。
 6日

杜季良(もくきりょう)豪侠(ごうきょう)にして義を好み、人の憂を憂へ、人の楽みを楽み、清濁失ふ所無く父の喪に客を(まね)けば、数郡畢(すうぐんことこど)く至る

杜季良という人は軍系統の人であるが豪侠で義を好み、人の憂える所を憂えてやり、人の楽しむところを一緒になって楽しみ、清は清、濁は濁でちゃんと飲み込んで父の葬儀には数郡の人々が悉く参列した。それだけ人望があったわけであります。
 7日

吾れ之を愛し之を重んず。汝が曹の(なら)はんことを願はざるなり。伯高に効いて得ずとも猶ほ謹勅(きんちょく)の士と為らん。

自分はこれを愛し、重んじておる。然し、お前たちのこれを見習うことは願わないのである。龍伯高(りゅうはくこう)を真似て、よし達することが出来なくとも、謹勅の人間になることができるであろう。
 8日

所謂こく(こく)を刻んで成らずとも、尚(ぼく)に類する者なり。季良に効ひて得ずんば、陥りて天下の軽薄子(けいはく)と為らん。所謂虎を書いて成らず、反って(いぬ)に類する者なり。

所謂おおとりを刻んで成就することができなくとも、龍伯高(りゅうはくこう)のアヒルになることはできる。杜季良(もくきりょう)を見習って達することができなければ、陥って天下の軽薄子となるであろう。丁度、虎を画いて犬になってしまうようなものであると。ご本人は一人前の国士のつもりでおるが、実際は画かれた犬の如き者も確かに少なくない。
 9日

諸葛武候(しょかつぶこう)、子を戒むる書に曰く、君子の(おこない)(せい)(もっ)て身を修め、(けん)以て徳を養ふ。(たん)(ぱく)に非ざれば以て志を明らかにすることな無し。寧静(ねいせい)に非ざれば以て遠きに到ること無し。()れ学は(すべか)らく(せい)なるべきなり。

とう慢は高慢ちきの意。さすがに親の子、孔明の子の(せん)は決して父を辱しめなかった。魏と戦って戦死しております。蜀の楠木正行であります。
10日

才は須らく学ぶべきなり。学に非ざれば以て才を広むることなし。静に非ざれば以て学を成すこと無し。とう慢なれば(すなは)ち精を研くこと(あた)はず。険躁(けんそう)なれば則ち性を(おさ)むること能はず。年・時と(とも)()せ、意・歳と與に去り、遂に枯落(こらく)を成し窮廬(きゅうろ)に悲歎するも()()た何ぞ及ばん。

また、その子の尚は、魏が蜀を攻略した時に殉職しております。諸葛三代の誠忠(せいちゅう)は丁度支那(しな)に於ける楠氏の一族と言うべきであります。あの支那嫌いの平田篤胤(あつたね)でさえ、孔明を孔子以後の第一人者と褒めております。
11日

疏廣(そこう)、太子の太傅(たいふ)たり。上疏(じょうそ)して骸骨(がいこつ)(しま)ふ。黄金二十(きん)加賜(かそ)し、太子五十斤を贈る。郷里に帰り、日に家をして(きょう)具し(),酒食を設けしめ、旅人・故旧(こきゅう)賓客(ひんきゃく)()うて相與(あいとも)に娯楽す。数々(しばしば)其の家に会の余り尚幾斤(いくきん)有りやを問ひ、(うなが)し売って以て供具す。

居ること歳余(さいよ)、廣が子孫(ひそ)かに其の昆弟(こんてい)老人の廣が信愛する所の者に()うて曰く、子孫・君の時に及んで頗る産業の基祉(きし)を立てんことを(ねが)ふ。
12日

今日の飲食の費且(ひまさ)に尽きんとす。宜しく丈人(じょうじん)、君に勧説(かんぜい)する所に従って田宅(でんたく)を置くべしと。老人即ち間暇(かんか)の時を以て廣が為に此の計を言う。

廣曰く、吾・(あに)老悖(ろうはい)して子孫を(おも)はざらんや。願ふに、自ら旧田廬(でんろ)有り。子孫をして其の中に勤力(きんりょく)せしむれば、以て衣食を供するに足ること凡人と(ひと)し。 

13日

()た之を増益して以て贏余(ちゅうよ)()さば、但だ子孫に怠惰を教ふるのみ、賢にして財多ければ則ち其の志を損ず。愚にして財多ければ則ち其の為を益す。

且つ夫れ富は衆の(えん)なり。吾れ既に以て子孫を教化(きょうか)する無きも、其の()を益して、而て怨を生ぜしむるを欲せず。又此の金は聖主が老臣を恵養(けいよう)する所以(ゆえん)なり。故に楽しんで郷党・宗族と共に其の賜を享け、以て吾が余日を尽くす、亦可ならずやと。 

14日

前漢書の列伝にあります。「骸骨を乞ふ」、とは公職にある間は身を犠牲にして働くために、骸骨の様に痩せ細る。従って辞職の意味に用いる。

大賛成で誠に嬉しい一文であります。愚人が沢山金を持つと必ず失敗する。賢者も同じことで、どうしても志を損じ精神を失い勝ちであります。
15日

(りゅう)(かつ)て書を(あらわ)し、其の子弟を戒めて曰く、名を(やぶ)り己に災し、先を(はずかし)め、家を(うしな)う。其の失尤も大なる者五つ。宜しく深く之を(しる)すべし。

其の一、自ら安逸を求めて(たん)(ぱく)に甘んずること()く、己に苟利(こうり)あれば、人の言を(うれ)へず。
16日

其の二、儒術を知らず、古道を悦ばず前経にくらくして而も恥ぢず。当世を論じて而て()を解き身既に知(すくな)くして、人の学有るを(にく)む。

其の三、己に勝る者は之を(いと)ひ、己に(した)ふ者は之を悦び、唯戯談(ぎだん)を楽みて、古道を思ふこと()く、人の善を聞いて之を(ねた)み、人の悪を聞いてこれを掲げ、頗僻(はひが)浸漬(しんし)し、徳義を()(こく)す。簪裾(しんきょ)徒に在り。廝養(しよう)と何ぞ(こと)ならん。
17日

其の四、(ゆう)(ゆう)(とうと)び好み、きく蘗(きくげつ)(ふけ)(たしな)み、杯を()むを以て高致(こうち)となし事を勤むるを以て俗流と為す。之を習へば(すさ)み易す、(さと)れども己に悔い難し。

其の五、名宦(めいかん)に急にして、権要に(かく)れ近づく。一資(いっし)半級(はんきゅう)或は之を得と雖も、衆怒り群(そね)み、存する者有ること()し。余・名門右族を見るに、祖先の忠孝・勤倹に由って以て之を成立せざるなく、子孫の頑率奢倣(がんりつしゃほう)に由って以て之を覆墜(ふくつい)せざる()し。成立の難きは天に(のぼ)るが如く、覆墜(ふくつい)の易きは毛を()くが如し。之を云えば心を痛ましむ。爾宜しく骨に刻むべし。 

18日

頗僻(はひが)はかたよること。一資半級はおこぼれ。頑率はかたくなで軽率なこと。成立は家を興すこと。

家を興すことの難しさは天の升るが如く、これほ墜させるのは容易なことは毛を焼くが如きものである。実際その通りであります。
19日

范文正(はんぶんせい)(こう)参知政事たる時、諸子に告げて曰く、吾貧しき時、汝が母とともに吾が親を養う。汝が母(みずか)(さん)()る。而て吾が親甘旨(かんし)未だ(かつ)()たざるなり。

宋の范文正(はんぶんせい)(こう)(仲庵)が大臣をしておった時、子供達に告げて云うには、私がままだ駆け出しの貧乏時代には、お前達のお母さんと力を協せて親を養っておった。当時お前達のお母さんはかってご馳走を腹一杯食べたことはなかったのである。
20日

今にして(こう)(ろく)を得たれば、以て親を養はんと欲すれども親は(いま)さず。汝が母も己に蚤世(さうせい)す。吾が最も恨む所の者なり。(なんじ)(ともがら)をして富貴の楽を()けしむ

に忍びんや。今出世して厚禄を得るようになったけれども、最早その親はおらん。お前達の富貴の楽しみを享受せしむるに忍びない。 

21日

吾が呉中(ごちゅう)の宗族(はなは)(おお)し。吾に於いては(もと)より親疎有り。然れども吾が祖宗より之を()れば、(すなは)(ひと)しく是れ子孫にして、固より親疎無きなり。

郷里の()には一族のものが大勢おる。勿論自分には親しいものもあれば疎遠なものもある。然し、わが先祖からこれを見れば等しくみな同じ子孫であってもとより親疎の別などあろう筈がない。
22日

(いやしく)祖宗(そしゅう)の意にして親疎(しんそ)無ければ、則ち飢寒(きかん)の者吾れ(なん)(あはれ)まざるを得んや。祖宗より(このかた)徳を積むこと百余年にして、而て始めて吾に発して大官に至るを得たり。

いやしくも、先祖の心に親疎の別が無いならば、一族の中の衣食に困っておるものをどうして私が憐まずにおられようか。先祖代々徳を積むこと百余年にして初めて自分にその徳があらわれて大官になることができた。 

23日

()し独り富貴を()けて而て宗族を(あはれ)まずんば、異日(いじつ)何を以てか祖宗に地下に(まみ)えん。今何の(かんば)あってか家廟(かびょう)に入らんやと。(これ)に於恩例(おんれい)捧賜(ほうし)・常に族人に(ひと)しうし、(なら)びに義田(ぎでん)宅を置くと云う。

若し自分一人が富貴を受けて一族を憐まなければ、いつか死んだ時にどうして先祖の人達に地下でお会いするこことがデキか。そこで今ままでしばしば朝廷から賜ったものや俸禄を一族の人達に等しく分配して併せて一門一族を救済する田を設けようと思うと。 

24日

(はん)忠宣(ちゅうせん)(こう)、子弟を戒めて曰く、人至愚(しぐ)と雖も人を責むるは則ち明らかなり。聡明有りと雖も己を(じょ)するは則ち(くら)し。(なんじ)が曹、但だ常に人を責むるの心を以て己を責め、己を恕するの心にて人を(ゆる)せば、聖賢の地位に到らざるを思へざるなり。

(はん)忠宣(ちゅうせん)(こう)は文正公の子で、名を純仁という。大臣もやり、父を辱めぬ立派な人であった。その忠宣公が子弟を戒めていうには、人間というものは自分はどれ程馬鹿でも、人を責めることはよく出来るものである。 

25日

反対にどれ程頭が良くても、自分をゆるすということになると全く分らない。お前達は常に人を責めるような心で自分を責め、自分をゆるすかのような心で人をゆるせば、聖賢の地位に到達できないことを心配する必要はないんだと。

こういうことが、我々の精神・行動のルールなのであります。このルールを明らかにしなければ、どれだけ政治や経済を論じてみても、結局は枝葉末節で根本的にはなんの解決にもならない。
26日

やはり道徳教育・社会教育というものを確立して根本をなおさねばならないのであります。それにはどうしても小学をやらなければいけない。

小学なくして人間革命も精神革命もない。小学なくして大学なし。現代の悩みはその小学をなくしてしまったところにあると信じます。
27日 小学について 朱子の小学は、小学だけに我々の身近な問題が取り上げられている。明代の碩学、章楓山の許へ一人の進士が訪れ、学問に就いての心構えを尋ねた処、即座に「小学をやるべし」と云われた。 そこで進士は最初、大いに立腹したが、考え直して小学を勉強、再び章楓山を訪れた処、「ほお、大分小学を読んだな」と云われたという。この逸話にも窺えるように、小学は自分自身の卑近な、如何に自己を修めるかという道徳教育の学問である。これが分れば大学も小学であり、小学も大学であって同じであります。
28日 仁者と義者・妄語 仁者は盛衰を以て節を改めず。義者は存亡を以て心を易えず。仁者は家が盛んになつた、衰えたということで節操を変えない・また義を守る人は国が亡びた、存したということで心を変えることはない。

妄語―妄語せざるより始めよ。

誠に入るの道は、まず嘘を言わないことから始めるべきだ。

29日 物と情 物薄くして情厚し。 世間では贈り物をしたたり、人を待遇したりする場合、物質の手厚いことだけが良いと考えているるが実は品物は薄くとも情の厚いほうが一層大切なのである。
30日 幼児 幼児には常に(あざむ)くこと()きを(しめ)す。

小さい子供には決して嘘を言わないということを行いの上で示さなければいけない。 

父母の遺体 身は父母の遺体なり。父母の遺体を行なうに敢えて敬せざらんや。

我々の身体は父母が遺してくれたものである。だからその身体を取り扱うのに当然慎みを持ってしなければならない。