徳永圀典の「近・現代史」 その一

敗戦後、日本人が日本歴史を学ばないで来た結果が国民の意識、今日の国際、外交関係に大きなマイナスを日本に与えつつあると指摘できる。それは国家喪失に近い恐るべき段階に到達している。私は専門家でもないが、日本歴史、中でも近・現代を再び学び直し取り組みたいと決意した。そして、それは独自の見解を披瀝する事となる。毎日を目標とするが自由な形態で取り組む事とする。 平成1561日徳永圀典

概説1

16世紀以降、欧米諸国は地球規模の植民地化を進め、17世紀にはアジアに植民地橋頭堡を築いた。19世紀になり一段とアジア諸国に圧力を強めた。イギリスは産業革命、ロシアはツアーの権力拡大、アメリカは太平洋に進出しアジア諸国を狙った。開国を要求された徳川幕府は対処の妙案はなく国論は開国か攘夷で沸騰した。幕府は300年の慣例を無視し天皇の権威を借り挙国一致で難局を乗り越えようとした。国論は割れた。アヘン戦争でシナ人の破滅的実情を知った日本人は欧米の意図を察し攘夷を唱え幕府を倒し王制復古をものにした。これが明治維新である。この時、国内の対立勢力も欧米勢力の意図を知り賢明にも彼ら外国勢力を拒否したので、日本は内戦の泥沼化や民族の分裂は避け得た。国論分裂は民族の悲劇を齎すのは洋の東西を問わない歴史的事実である。それは、21世紀の今日にも通ずる問題でもある。

概説2 国家の独立に危機感を抱いた明治政府。欧米列強国に伍して国家の独立保全を希求。為に西欧化で文明開花と富国強兵を邁進。明治半ばでアジアで最初の立憲国家となる。国会を開き、幕末に欧米の力に負け無知の為に締結した不平等条約の改正に取り組み半世紀かかって改正実現。

概説3 近代化した日本は、欧米に侵食されつつある朝鮮に近代化と独立を働きかけた。朝鮮の宗主国、清国の反発を受けて対立、日清戦争で勝利し満州の支配を強化し大国ロシアの朝鮮進出に対抗せんとした。日露戦争となり勝利した日本は世界各地の民族の独立運動に強い刺激を与えた。

概説4 大正から昭和には満州の権益を巡り米国と対立する。米国は門戸開放、機会均等を掲げシナに対する植民地や権益獲得に加わり日本と対立が深まる。米国と満州鉄道を共同経営しておれば日米対立は防げたとの反省もある。この間、経済恐慌、対シナ外交に苦しむ。政党政治に不満の軍部が台頭し満州事変を誘発しシナ事変に拡大する。遂に米国との戦争勃発。敗戦した日本は連合国に占領され、民族2千年の文化・伝統初めあらゆる革命的変革を強要された。極東軍事裁判という非近代的、野蛮なる事後法裁判で戦争を厳しく問われた。戦力放棄を規定した新憲法はマッカーサー指令によるものである。戦後日本はこのように米国の生殺与奪の権力の下に変革させられたもので、今日まで日本のあるゆる自主性喪失の原点となっている。

概説5 アメリカによる国際法違反の無差別空襲と原子爆弾により焦土と化した日本。米ソ冷戦下、国内では左右の思想対立に苦しんだ、それは現在でも尾を引いているが国民はゼロから立ち上がり団結し目覚ましい再建を経済中心に果たした。米国に次ぐ世界第二の経済大国となって対外資産世界一となると冷戦終結により、世界の屋台骨を揺るがす程の金融資産を貯めた日本に対して欧米が経済逆襲を迫り、冷戦思考の抜けきらない、国家戦略を持たない日本は、奈落の底に落ちるように市場経済という名のアメリカクリントン政権の謀略・恫喝に曝されて戦後成功のソフトと言える日本型システムを放棄した。経済優位を一挙に失い現在は、立ち直りの兆しさえ見えない不況の真っ只中にある。21世紀を迎えて、民族のアイデンティティ喪失したかに見える日本は、北朝鮮の拉致問題を通して、戦後の、国家の主体性の無さを漸く自覚しつつある。共産主義国人民約7億人の自由経済参加による低コスト攻勢は、21世紀が否応なく、新しいパラダイムに進むことを示している。だが、その処方箋は、どの国もまだ確立していない。EU通貨の創立がドル覇権を脅かしている。世界情勢の行くへは混沌とし、日本の進む道は示されていない。概説終わり